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2009年2月

2009年2月28日 (土)

NO.133号 兼田昌尚先生の茶碗4題、父の遺品、近作花瓶。

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  兼田昌尚先生の茶碗4題
 灰被茶碗 
 13.0×13.0×9.5 cm

 
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20090226_01  

 白釉窯変茶碗
 12.2×12.2×9.6 cm
 ②

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20090228_02

 白釉窯変茶碗
 13.0×13.0×9.2 cm
 ③

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20090226_03

 灰被茶碗
 12.7×12.2×9.5 cm
 ④
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20090226_04


 父の遺品 九谷焼丼
 九谷焼錦手丼大小三段揃二組とあり、初代と箱書きにあるが作者の名前は判らない。推定だが作者は多分窯元で修行して腕を磨き独立された方であろう。
 父がこれを入手したのは大正から昭和初期のことで、骨董屋からのものであることは間違いない。何人かの人を経て来たものかも知れない。
 大小三段揃い二組だが器六個の図柄は同じである。随分手の込んだ時間を掛けたものと思う。初代で信用を築くためにも懸命に製作したのではないだろうか。
 美しい九谷焼で父から兄へ、兄から私へと譲られたもの。懇意な骨董屋さんに聞いたら150年くらい昔のものでしょうとの事であった。とすると維新前後のものになる。あの動乱の中でも工人達の生業には変わりが無かったのだ。
 私のところへ来たのは1977年のことで、32年昔のことになる。父から兄へ、兄から私に譲られた経緯がある。
 
  二組の大小丼
 ⑤
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  大丼
  径21.6 高7.0 cm 
 ⑥
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20090228_06


 絵部分
 ⑦
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 同他部分
 ⑧
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 近作花瓶
 ⑨
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 同他面
 ⑩
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20090228_10_2

以上

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2009年2月22日 (日)

NO.132号 兼田昌尚先生の作品続き4題、サントリー美術館のカレンダー、陶芸新作。

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  兼田昌尚先生作
 白釉茶碗
 12.7×12.5×9.5 cm
 ①
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 灰被(はいかむり)茶碗
 12.9×12.6×9.3 cm
  ②

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20090221_02


 白釉茶碗
 13.5×13.6×12.5cm
 ③
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 白釉茶碗
 12.2×12.0×9.9 cm
 ④
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 サントリー美術館のカレンダー
 2月10日サントリー美術館へ行きました。三井寺(みいでら)の重文、国宝展を見るためでした。場所は東京六本木。巨大ビルの中でした。
 入り口正面の大ポスター写真
 ⑤
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 カレンダー
 出口の売店で普通と違うカレンダーが有りましたので買いました。
 それは今年4月から来年3月までのもので、このようなものに始めて巡り合い、面白いアイデアと思いました。過ぎた月のカレンダーは不要で新学期からというのが斬新に思えました。
 それに付属の屏風(びょうぶ)絵に興味が沸きました。勿論今回展示の屏風なのですが、展示の屏風はみな狩野光信の作品と私は思っていました。
 それは光信没後400年記念の三井寺国宝展とされていたからです。
 光信は安土桃山時代の狩野派総帥と聞いていました。ところがカレンダーの右下に四季花鳥図屏風(六曲一双) 州信 印 桃山時代と極々小さく書かれていたのです。
 六曲一双(六きょくいっそう)とは六に曲がる屏風で、それが2枚で一セットという意味です。大きな寺か屋敷でないと置ける代物(しろもの)ではありません。
 州信とは誰か?の疑問が沸き調べました。これは「くにのぶ」と読む事と、それは狩野永徳のことであることが判りました。
 名声の上では光信の父に当たる永徳が有名です。しかし狩野永徳の作品は極めて少ないのです。それは安土城や大阪城、伏見城など戦いで大部分が焼失したしたとされているからです。永徳の屏風なら何故それを大きく言わないのか?果たして三井寺に永徳の屏風が有ったのか?疑問が次々に沸きました。
 調べた結果一双(2枚)のうち1枚が個人蔵で、もう一枚が滋賀県の美術館にあるとの事でした。
 狩野派はあの時代の絵画界の大勢力で沢山の優秀な絵師を輩出しました。悪意ではない公認の勉強のための模写も多分あったと推定され、それは現代でも同じことです。
 絶対永徳と確信される何かがないので大事をとり、永徳とは説明しない深い思慮が働いたと推測するのですが、どうなのでしょう。
 俵屋宗達の書いた国宝風神雷神図が尾形光琳や酒井抱一、その他により模写されているのを見ても有得る事だと思います。
 私は模写なら狩野派一族が州信と署名を許さない筈だと思いましたが、果たしてそうなのか専門家ではないので判りません。
 幕府か大大名か豪商が伝えてきたものでしょうし、あの絵は立派な素晴らしい貴重なものだと思います。
 永徳の絵で信長が上杉謙信に贈った洛中洛外図屏風があまりにも有名で、米沢の上杉博物館に保存されています。
 州信と署名の六曲屏風一双
  4月からのカレンダー
  ⑥
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 10月からのカレンダー
 ⑦
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 近作 小鉢①
 径11.0 高5.1 cm


  同②


 近作 落葉壷①
 径13.5 高13.8cm
  ⑧
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20090222_08_2


 同②
  径13.5 高13.8cm
 ⑨
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以上

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2009年2月18日 (水)

NO.131号 著名な萩焼作家・兼田昌尚先生の個展が2月23日まで三越本店で開催中。ご了解を得て素晴らしいお作品を紹介掲載させて戴きます。

 萩焼は毛利藩の御用窯として発展し、多数の著名な作家を輩出しました。
 茶の湯によく用いられているのは皆様ご存知と思います。有田焼の華麗さに対して萩焼は静寂さを思わせる作風に相応しく真に茶の湯に向いていると思います。
 先生は1953年生まれで、萩焼8代目を継いでおられます。年齢から拝見して尚大きくなられる方と拝察致します。
 東京教育大の大学院芸術研究科彫塑コースを卒えて後母校の教授やいくつもの大学で教授として活躍され、数多(あまた)の賞を取られ、NHKテレビでも放映された著名な方です。作風は真に自由奔放さを感じさせます。
 個展の展示品は多数ですが、掲載は何度にも分けて行います。


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  ①灰被(はいかむり)茶碗
幅13.8 奥行13.6 高10.2 cm

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  ②白釉茶碗
14.0×13.5×12.4 cm

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  ③灰被茶碗
13.0×12.8×9.5 cm

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20090218_03

  ④白釉窯変茶碗
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20090218_04_2

後は次回以降に連載します。

以上

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2009年2月16日 (月)

NO.130号 陶友・須藤雄一郎氏の伊羅保皿、彦左衛門氏の茶碗、忠兵衛氏の7品、半端物、デンドロビウム、紅梅

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   陶友・須藤雄一郎氏の伊羅保皿。
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20090215_01


 陶友・彦左衛門氏の茶碗。
 簡素な清潔感のある茶碗と思います。私の感心するのは薄く軽く持ち易く作成された点です。私のものは厚く重く正反対です。薄く作るのは初心者がもっとも苦心する点です。
 径12cm 高11cm



 陶友・忠兵衛氏の小丼。径14cm 高11cm 
 

 同上 


 同 小皿4枚
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20090216_02

  同 小鉢


 同 小鉢


 杜の鍛冶屋収集品・ぐい飲み半端物。
 半端になった焼き物(普通は5客揃い)は一流の骨董屋では店頭には並べません。
 しかし、半端でも良品が並みの骨董屋で出会うことがあります。それは半端な数ですから格安で買えます。捨値?と思う程です。
 日常に使用するなら道楽として楽しむことが出来ますから、ぐい飲みなどそれで充分でしょう。そんなので一杯やれば骨董好きの醍醐味と言えるでしょう。
 次は九谷焼き金杯、恵比寿と大黒と思いますが大黒様がこれでよいのか?です。

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 小さな杯に糸瓜(へちま?)のような植物と大きな器が描かれています。こんな小さな物でも手間が掛かっています。


 4個しかなくて半端物です。


 デンドロビウム。
 自宅で12月末から咲き始めました。昨年は2月に咲いたのに,随分な早咲きで驚きです。



 紅梅開花。我が家では紅梅も白梅も周辺に比べて何故か遅咲きです。種別ということでしょうか?


 陶芸の近作は次回になります。

                        
以上

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2009年2月 9日 (月)

NO.129号 河津桜満開速報

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  この桜は本州で一番早く咲く桜として有名です。伊豆半島・河津町で偶然発見され、その原木が大事に保存され、沢山の子木が実に見事な並木に成長しています。2月9日にテレビが満開を知らせました。
 花の色は薄紅色で、真に見事、千葉県や神奈川県等各地で増殖されていますが、本場は河津町で開花時には大層な人出となります。
 今年は早くも満開のようです。昨年3月1日に撮影のものをお目に掛けます。丁度菜の花満開と重なり楽しめましたが、今年も同時に見られるかどうかは判りません。

 この桜は寒緋桜と早咲きの大島桜との自然交配で、 昭和30年頃、河津町の飯田勝美氏(故人)が河津川のほとりで発見し、自宅に移植しました。この原木が下記の写真①です。
 樹高約10m。樹幅約10m、幹周1.15m。
 場所は河津駅から天城方面に向かい1.2kmの地にあり、樹齢は50年を越えています。花寿命は約一ヶ月。
 この場所は飯田氏の邸宅内で、多くの方が見物される駅近い花の並木とは離れています。
 交通は伊豆急行、河津駅下車。東京駅から3時間半弱。 片道3,540円。

  ①撮影場所は飯田氏の邸宅外(この写真は河津町のホームページより転載)

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 ②河津桜並木その1
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Kawazuzakura_tunnel

  ③河津桜並木その2
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  ④菜の花と河津桜と托鉢僧その1
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Kawazuzakura_nanohana

  ⑤菜の花と河津桜と托鉢僧その2
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Kawazuzakura_nanohana2

  ⑥河津川のほとりで
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Nanohana_kawazuzakura    

以上

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2009年2月 8日 (日)

No128号 ラベンダー氏の雪割草、白梅開花、金柑、近作織部茶碗2題、柿釉 藁灰釉掛鉢、陶友彦左衛門氏のコーヒー茶碗、 陶友須藤雄一郎氏の伊羅保釉皿

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 立春も過ぎて信濃の安曇野では、白鳥の群れが早めにシベリヤへ飛び立ったとテレビが報じ、花の開花も早いようです。
  次の写真はラベンダー氏提供の雪割り草です。雪国新潟の日本海沿いの地域に分布の由。彼はこれを撮るために態々柏崎近辺の角田山まで出掛けたそうです。
 美しく可憐なこの花の本名は三隅草とのこと。3月半ばから四月始めに咲くそうです。

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 杜の鍛冶屋宅でも周辺よりも遅まきの白梅が咲きました。


 同じく金柑が去年よりも沢山実をつけ、小鳥が食べ始めたので、今日全部摘み取りました。写真は収穫直前のものです。


 近作 茶碗
 赤土織部釉 径11.0cm 高5.4cm 


 同側面
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 織部流し皿
 これは流し方に稚拙さがあります。次はもっとましなものを作ります。 径21.0cm 高4.0cm

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 柿釉 藁灰釉掛鉢
 径12.1cm 高5.1cm 



 陶友 彦左衛門氏のコーヒー茶碗
 肌のデザインも奇抜ですが、取っ手が斬新独創的ではありませんか、持って見たらとても持ち易いですし、壊れ難いと思いました。今後真似させて貰いたいです。
 穴の上下の窪みは滑り止めでしょうか。
 幅13.5cm 高9.5cm



 


 陶友 須藤雄一郎氏の伊羅保釉皿
 径27.0cm 高5.5cm

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20090207_4    

以上

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