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2009年4月

2009年4月29日 (水)

NO.163号 肉筆浮世絵、吾妻渓谷 その一.、

肉筆浮世絵掲載の資料は昭和49年羽黒洞刊、三越本店での展示カタログより転写。連載中

 一見女に見えるが、刀を差しているのだから男である。下の解説にもあるが、元禄時代は徳川政権も安定し、戦争も遠のき、こんな風俗がカッコ良い姿とされたのだから、時代が変わったのだろう。(鍛冶屋)







 里山
 4月23日に群馬県吾妻渓谷へ行きました。この渓谷は九州の耶馬溪に匹敵する美しさとされ、観光客も多く上流には草津温泉があります。
 ここにダムを作る計画が50年も前に決められながら、工事は遅々として進まず、水の消費が当初よりも減る傾向を見せ始め、水質が草津の排水が酸性で、中和の必要があったりして反対運動も起こり、批判も盛んです。酸性ですから魚が住みません。
 魚が住めない水を人が飲めるのか?等の問題も多々あり、欧米でもダム建設は停止です。多くの問題をはらみつつ今年工事が進捗し始めています。
 渓谷の入り口の里山です。東京よりも春が遅くようやく桜開花と新緑が出始めのときでした。


 吾妻渓谷 その一
 国道の遥か下に河が流れています。その水面を見るための小道です。


 河が奇岩怪石の中を細く、或いは太く流れて行きます。







ここでは桜の開花と若葉が一緒です。













        次の164号へ続きます

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2009年4月28日 (火)

NO.162 肉筆浮世絵、自宅の花

肉筆浮世絵掲載の資料は昭和49年羽黒洞刊、三越本店での展示カタログより転写。連載中
 
2枚の絵はカタログ掲載の略2倍に引伸ばしてあります。







 杜の鍛冶屋宅で咲いた花
 次の君子蘭2枚は同じ花ですが、撮影の日時が違います。鉢植えでしたが昨秋庭に植えました。




 自然に生えた次の花は2枚とも同じ花ですが、撮影の日時が違います。実物はもっと小さいです。





 自然に生えた雑草ですが、綺麗なので撮りました。これも実物はもっと小さいです


 次の2枚はクレマチス。別名テッセン





 べコニヤ


 蜜柑の花蕾です。今年も沢山実りそうです


 これも自然に生えた花です。略実物大。


 パンジイ


                                           以上

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2009年4月27日 (月)

NO.161号 肉筆浮世絵、陶友・忠兵衛氏の作品、鍛冶屋の庭の花

肉筆浮世絵掲載の資料は昭和49年羽黒洞刊、三越本店での展示カタログより転写。連載中
 
 ここに有る解説は収集した羽黒洞創立者、木村東介による。この下の絵は真に解説のように興味ある場面であり、こんなことが事実有ったことがそれ自体既に面白い板の間、四角の土俵。




 
下の解説を読むと、歌舞伎のことが判りやすい。


 

 杜の鍛冶屋所感
 太平が続いた徳川時代、開田が進み米の生産高は吉宗の頃には2倍になっていた。全国的に地方大名が熱心に開田を進めた結果であった。人口も増加し、産業も発展が促され各種文化、芸術振興が自然に進んだ。絵画、演劇、工芸、相撲、交通、あらゆる文化が日本独自の発展を見せた。これは太平の恩恵である。 
 この期間は268年間に及んだ。明治政府は維新が如何に優れていたかを宣伝のために、徳川政府を如何に過酷であったかを宣伝した。
 維新から今年で140年が経過したが、その半分約70年にどれだけ沢山の戦争をし、それでどれだけ敵味方で人が膨大に殺されたか判らない。
 そして戦争で得た土地も皆失い、その植民地へ出掛けた人達は困苦を強いられた。徳川時代の約25%
の期間に、日本はこんな馬鹿げた事に巨大なエネルギーを消耗した。世界に扉を開いた維新は良かったがその後がいけなかった。維新の成功を言うなら教育の普及と産業の振興だったと思う。
 今私が浮世絵に関係してみて、平和の所産を思うことしきりであり、間違いの失われた70年を思わない訳にいかないのだ。


 陶友・忠兵衛氏の作品 いとも大胆な流し釉で面白い図柄を形成されています。
 







杜の鍛冶屋宅で咲きました。
 ハナミズキ



 同


 昨年2本の花大根を植えたらこんなに増えました。

 
 
 

 


 

 

 同


 狭い通り道で見つけました。
 狭い日本、公衆電話の上に花鉢とは驚きでした。塀の上や門扉にも付けられて、狭いところを巧みに使っているところは共感を呼びます。見事と言いたいです。


                            以上

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2009年4月25日 (土)

NO.160号 肉筆浮世絵、陶芸作品、近隣の花

肉筆浮世絵 昭和49年羽黒洞刊、三越本店展示カタログより転写、連載中。








 杜の鍛冶屋 陶芸作品
 過日掲載の作成中の2作品が本焼きを終えて窯から出ました。
 コーヒー茶碗

 千葉県のある農家に行きましたら、柄のないこのような茶碗でコーヒーを出してくれました
美味しく感じましたので、作って見ました。径9.0 高10.2cm


 花瓶 崖春来 径13.5 高19.0cm
 以前に崖残雪という花瓶をつくりました。今度は崖に春来るです。


 藤棚 何と美しい白でしょう。静謐の感しばし見とれました。


 優しく嬉しい桜草、不思議に何かホットした感じを与えて呉れます。


 花ってどうしてこんなに美しいのでしょう。


モクレンをこんなに真近で見られるとは。


 以下妙正寺公園周辺





 シンビジュウム と思います。よほどの達人でないとこんなに見事にはいきません







                                           以上

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2009年4月24日 (金)

NO.159 肉筆浮世絵、屏風絵2点、近隣の花。





下の絵の値段をご覧下さい。






近隣の花











同拡大


妙正寺川に浮かぶ桜の花びら。水上の花筵(むしろ)と言うべきか。


妙正寺川・河畔の枝垂れ桜


同、上の写真と全く同じ写真です。画像処理でこんなにも違います


                                   以上

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NO.158 肉筆浮世絵、近隣の花

 浮世絵は肉筆でも版画でも、すべて色彩で描かれているが、カタログ掲載
の絵はモノクロのものが圧倒的に多いのである。画集ではなく本質はカタログ
だからであろう。
 この絵も色彩で描かれていた筈で。素晴らしいと思う。何とも言えない艶やかな
香りが感じられる。裏付けされるごとく価格も随分している


 下の原文にある慶長、元和、寛永は豊臣から徳川への切り替えの時期にあたり、
負けて潰された大名も数知れない。明治維新に匹敵のときであり、まさに時代は激
動期。郭に入れられた女性もあっただろう。





近隣の花

 海棠は既に何度か載せました。しかし光線の加減が素晴らしく、また撮影


ベンケイ草属の花


人形あれば一段と光ります。無いのを想像すれば判ります。


狭い所でもようこそ。小手鞠


はじめて見た花です。クリスマスローズ


右下の赤い花はシャクナゲらしい。奧の赤い花はアジサイ。



この花もはじめてです。


躑躅の紅が何とも鮮やか。


モッコウバラの門素敵ですね。


モッコウバラ





                                 以上

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NO.157号 肉筆浮世絵、近隣の花

 肉筆浮世絵
 羽黒堂・画商木村東介が永年収集したものを、昭和49年三越本店で展示
即売したときのカタログを転写したものです。
 従って価格は当時のものです。そのカタログは杜の鍛冶屋が所有しています。

 大名行列。
 浮世絵は多数存在しますが、大名行列の絵は見た事がなく、これは大層貴
重品でしょう。
 解説はカタログ記載のもので木村東介のものと思います。これは屏風絵のため
に人が小さくしかならず、残念です。







 近隣の花









杉並区妙正寺の枝垂桜。この寺は鎌倉時代からのもの。


妙正寺の枝垂桜が、本堂のガラス戸に写り名物になっている。


妙正寺の枝垂桜


妙正寺の花筵(むしろ)


妙正寺公園の紫躑躅(つつじ)


妙正寺のボタン開花


                                        以上

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2009年4月22日 (水)

NO.156号 肉筆浮世絵拡大


幅37×高86 cm                              幅37×高105 cm


                                                以上



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2009年4月21日 (火)

NO.155号 羽黒洞続・90歳まで生きた画商。写真は大活躍の頃。近隣の花

羽黒洞続き。創立者 木村東介




註・ ランカイ屋とは展覧会屋の略称。彼は晩年集めた絵画を屡大きなっ展覧を開いて売り捌いた。
 原稿が細かい字で書かれているので読みにくいと思いますから沢山の書を書いたとだけご理解ください


 羽黒洞 故 木村東介 編集の肉筆浮世絵連載で掲載します。
 但しこれは一応羽黒洞の了解を得てはいますが販売のためのカタログ本でありますから既に販売済みのものが有ると思いますが持ち主がわかりませんので一々御了解頂くことは不可能です。
 金儲けでは無く素晴らしい作品群をこのまま眠らせておくのはもったいないのでご遺族とも相談の上での企画ですありますのでご理解をお願いいたします。版画の浮世絵が絶えず本屋に並び、一方で肉筆物
が好事家に滞留した儘とは残念なことです。












              

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2009年4月20日 (月)

NO.154号 肉筆の浮世絵、羽黒洞とは、鍛冶屋製作中の作品、近隣の花。

  北尾派肉筆浮世絵。「歌妓立姿図」
  昭和49年8月(1974)、羽黒洞収集による肉筆浮世絵が三越本店開催の展覧会で売り出された。
 その時に杜の鍛冶屋が買った作品である。署名が無いのと、画面や装丁が汚れていたので、割安だった。
 春と夏を描いたの双幅であったが、元は春夏秋冬の揃いの4幅と推定する。表具屋に汚れを落として額装にして貰った。
 以下は画商の説明。明和頃(1760年代、10代将軍の頃)、右の歌伎は煙管(きせる)を右手にもち、左手に桜花の籠を持っている。江戸下町の典型的な女将(おかみ)の立姿として艶麗であり伝法肌を感じさせるものがある。
 左は夏の湯帰りと思わせる歌妓が、夕立の晴れ間に傘をすぼめながら振り返る姿であり、格子の着物と言い、肩かけの手拭、顔に掛かる2本の遅れ毛と言い当時の粋な歌妓を偲ばせるも
ので、江戸時代の往時を顧みる貴重なもの。
 


 羽黒洞とは。
  羽黒洞とは何ですか?と言う質問が、先号の記事をご覧の読者からもたらされた。
  画廊を持つ画商の一人で、木村東介(きむらとうすけ)創業のもの。(現存の人物には一応 尊称を付けるが、故人には付けないのが決まり、秀吉、漱石、吉田茂などと同じ)。
  木村東介は山形県で、1901年4月8日生~1992.3.1日東京没の90歳の生涯を終えた。

 その一生は波乱万丈で、最近聞いたことだが左手首から先が無いから、私は戦傷と思っていたが明治大学のOBの折に、後輩の運動部が他校の運動部と紛争を起こしたので、剛腹の彼が仲裁を頼まれて相手校を訪れたが、誤解されてやくざに斬りつけられ左手で防ぎ、切り落とされたという。

 画壇内部の紛争対立も彼の仲裁により、解決の事例があり、画商だけの人生では無かった。
 弟が衆議院議員で、政界にも顔が広く交際も多岐に亘った。
 画商としての大きな足跡は先号でも述べたが、肉筆浮世絵の収集から、それで展覧会を開き大量を売りさばくまで、私の推定だが肉筆の人気が出るまで40年以上待っている。

 そのスケールの大きさは半端なものではない。厚手の浮世絵のカタログを作成し販売を託すまで絵も合わせると莫大な資金の滞留をどうしたのか?気の遠くなるような話である。
 しかもその間、彼は多くの画家の発掘もしている。新しい芸l術が生まれて世間に評価されて軌道に乗るまで、永い歳月が必要である。有名なセザンヌが有名になるまで、セザンヌは生きていなかった。
 ゴッホの絵が何十億円にもなるのに死後何十年も必要であった。

 東介は有望と判断すると、躊躇せずにその作品を100枚以上をコツコツと買い込み画家を援助した。よほどの自信が無くては出来ないが、膨大な資金が無くては出来ず、どうしたのだろう?と永く思っていた。良い作品が彼の情熱を掻き立て、資金のことなど考えもしなかったかも知れない。
 
 最近遺族の方にお会い出来、聞いて見た。生活は極めて質素であったこと、お金は約手のやりくりで大変だったと聞かされた。彼の投資は花開くまで随分永い我慢辛抱が必要であった。
しかし殆どが成功したのだから、大層な目効きという他はない。その成功は多分膨大な富を齎したと推察する。
 

 放浪の画家 長谷川利行 の絵は戦前には全く評価されなかった。東介は長谷川が世界一の画家として多くのその絵を買い込んで応援していた。
 過日テレビのお宝拝見で1、800万円の値がついたそうで、私は驚いた。美術館に買われたそうである。

 東介の残した言葉で私の一番好きな言葉は、

 我慢、心棒、忍耐は 他日爆発せんがための 貯蓄なのである。 
 
 (心棒を普通は辛抱と書くが、何事にも動じない魂を言っているのだろうか)

 木村東介については次回に更に書きます。


 杜の鍛冶屋の作陶

 粘土を轆轤(ろくろ)で成形し、板の上に載せ新聞紙を器の上に載せてビニールの袋(大抵ゴミ袋)の中に板と一緒に入れ、保存します。板は30cm四方くらいです。
 一度に早く干すと表面が早く縮みひび割れが出ますから、時間を掛けて干します。
 新聞紙を入れるのは水分吸収に一番適していますが、沢山新聞紙を用いると器が硬くなりすぎて失敗します。
 ある程度粘土が固くなってきたら取り出して轆轤に載せ、轆轤を回転させて陶芸用鉋(かんな)で削り、整形と余分な粘土を削り落とします。乾燥後素焼きします。慣れないとこの仕事は案外難しいです。



 2色の粘土で作った花瓶を素焼き(800度)を済ませたものです。これに釉薬を掛けます。


 釉薬をかけたもの、白釉と織部釉(緑)を掛けました。これを本焼きします。1,200度で焼きます。
 満足な品が出来上がらないで、がっかりの連続です



  近隣の花
 
瀟洒な白い建物を背景に、山桜でしょうか?



 小さな海棠の木ですが、可愛らしくまとまり目立ちます


 桃の花でしょうか。


 椿ですが、蕾がいっぱいです。皆咲いたら壮観ですね。


 ヒマラヤユキノシタ








 君子蘭と海棠なのでしょうか?君子蘭は近辺でよく見ますが、ここの花が一番早く咲きました。


                       以上
 

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2009年4月17日 (金)

NO.153  肉筆浮世絵、製作中の陶芸作品、近隣の花


 
世界に一枚しかその絵は無い。それが肉筆の絵である。
版画の浮世絵が同じものが多数あるのと大きな違いがある。ところが肉筆
浮世絵は永い間版画のそれに比べて数が極めて少なく、何故かあまり重
視されなかった。
 版画浮世絵が欧州で印象派の画家によって、高く評価された。
 これ等の絵は有田、伊万里などで輸出焼き物の包装用に使われた。
 古新聞並みに利用され欧州へ船出された。それは江戸の出版業界が
如何に盛業であったかを物語っている。
 その梱包用の浮世絵が欧州の画壇印象派を刺激した。評価は欧州か
ら生まれて日本へ及んだ。それは全て版画だった。
皮肉にもその評価は肉筆浮世絵には及ばなかった。それに着目したのが
羽黒洞の木村東介だった。彼は一心に肉筆浮世絵を探し求めた。昭和
50年頃にはその枚数が大きくなり、彼は幾つもの有名デパートで展覧会
を開き販売した。
 彼は美術の業界で重きを成した有名人と成った。
 私の所有する下記10冊に及ぶカタログが、如何に大量の絵であったか、お
判りだろうと思う。
 これ等の絵以外にも今有名な画家を掘り起こした。彼の名は不滅の存
在として業界に残っている。



 
次号よりこの本の中から作品の掲載を行います。
 岩崎喜裕画伯の作品掲載は都合で5月からになります。

 製作中の花瓶、桜巨木の幹 千鳥ヶ淵の桜を見て触発されました。凹み
が桜花となります



 近隣の花 カロライナジャスミン
 

赤い花・ゼラニュウム、黄色・プリムラ、紫・パンジイ


 赤・シクラミン 蜜柑色・ビオラ


八重躑躅?


 ハナズオウ


下の二つの写真はこの公園で枝垂れ桜





 


博物館分館で開催中。この包装紙は棟方志功の作品


                            以上

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2009年4月15日 (水)

NO.152号 岩崎喜裕 画伯 兜、 近隣の花



 近隣の花
 見たことなしの花ばかり。外来種?なんでしょうか
 ある方の見方では右の紫の花はストック。右下の二つはプリムラ。左の
上の花はゼラニュウム。下はデージーの由。
 多種過ぎて80才の私には、とても覚えられません。


 韮(にら)の花。この花は随分各所で見られます。清楚な感じで好かれます。花の寿命もなが
いです
風が吹いて花が揺れ、ボケました。


 


 住宅街に桜の大木。大木であるのが珍しい。今はもう若葉。


 山吹、これも多い花です


 赤一色の見事な木瓜(ぼけ)の大木。


 滅多に見ない木桶を使っています。


 税務署の桜です。今はもう若葉。


 同、見事な胴吹きの桜。


 玄関前の僅かなところに見事な多彩です。


 狭くとも立体的に見事な配置


 春と共に一挙に花の饗宴で、沢山の花を撮影しました。全部をお見せするには、まだ大分時間が掛か
ります。
 そうしている間に、春は容赦なく進行して行き、新しい花が現れて、こちらは置いて行かれそうです。
何百枚を撮影したか判りません。                               以上

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2009年4月14日 (火)

NO.151号 岩崎喜裕 画伯の絵、杜の鍛冶屋の大皿、近隣の花。

 岩崎喜裕 画伯 画


 杜の鍛冶屋 大皿 径27.0 高6.0 cm 色釉が無いほうが良かったかも?


 近隣の花。
 桜だけが花でなし、少し歩けば花だらけ、この近隣に無尽蔵。撮影ばかりで無知なれば、花
の名前が判らない。80歳まで生きたれど、この世は知らない事だらけ。無断撮影ごめんなさい。



 どなたの家か判らねど キラリと光る白い花 永い平和の恩恵で 花を楽しみ世界一、北朝鮮の
ロケットも 無事に過ぎ去りありがたや!地震来ないを祈るなり



 朝顔?のような花があり 椿?と惑う花があり 知っているのは登り藤。


 一台の車だけの通り道 主の花好き反映し 立派な鉢の勢揃い 幸せいっぱいの家族かな。


 狭い空き地を花で埋め 多彩な色で鮮やかに 通りの人にも楽しませ 人生至福と思います。


 赤い躑躅(つつじ)が咲いていて 4月はじめ?と驚かす 花を育てて幾年の 研鑽あってのことで
しょう


 紅(べに)かなめ 花と見迷う 新芽かな。下手な俳句でごめんなさい。鮮やかなこと比類なし。 


 落ち着いた ひっそりとした住宅街 小路に沿って陽を浴びて。


 二色木瓜(ぼけ) 意外に多きぼけの花 花は見事に鮮やかに。


                                        以上            

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2009年4月11日 (土)

NO.150号 千鳥ヶ淵の桜。その3。近隣の花。

田安門出口から南に向かって。


胴吹きの花


帰り道


何時もの喫茶店に寄ってお茶とサンドイッチを待つ

千鳥ヶ淵の写真終わり。

 近隣の花。
 東京荻窪駅から北へ細い道で教会通りという道があります。昔は多分農道だったと
推定します。
教会まで曲がりが4箇所あります。時々ここにある店が記事になることがあります。
 90店もの店が犇いて(ひしめいて)います。その道から左右に別れている小道もありま
す。
 多くの人が駅への道として通ります。入り口に銀行、コンビに、床屋、蕎麦屋、歯医者、
ラーメン屋等食堂、菓子屋、靴屋、病院、衣料品店、薬屋、八百屋、蜂蜜等自然食
店、花屋、洋服屋、パン屋、和菓子屋、豆腐屋、はがき切手屋、文房具屋、陶器屋、
洋品屋,等々、この他にもあるかも知れません。
 その一つの曲がり角にこの店があり、アンジという店です。何か垢抜け感があり、好き
な店で、よく立ち止まって見ます。ウインド右方に前の店が写りカットしました。花がよく
ウインドに釣りあっています。

                       
以上

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NO.149号 続 千鳥ヶ淵の桜、その2

 田安門の中から北に向かって撮影。この門は重要文化財。万治元年(1636)
建築の豪壮な造りである。元,田安家の門であった。
 江戸城の中にどうしてそんな家が有ったのか?
 
 名君と言われた八代将軍徳川吉宗は子沢山であり、長男を九代将軍とし、あ
と3人の男子を城内に住まわせ、それぞれ田安,一橋(ひとつばし)、清水の姓を与え、
将軍補佐とし、将軍万一の時はこの三家から将軍を出すことにした。
 それは徳川御三家と将軍との血縁が離れたことに対する対策だったのではないか?
 それまでは吉宗のように紀州家から将軍が出るような御三家内の内紛もあったのだ
った。後年最後の将軍の15代慶喜の例がある。彼は三家の一橋家より出ている。

 この三家は御三卿と言われて幕府内で重きをなした。各々10万石を領したが、家
来を多く養って居た訳ではなく、豊かな暮らし向きであった。田安家初代の宗武は歌
人、国学者として著名である。
一橋家の跡地は大学になったのではないか?。



 
同じ門で、外人も多く。














巨幹に胴吹きの桜





   以上  次号に続きます。

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2009年4月10日 (金)

NO.148号 千鳥ヶ淵の桜 その1

あまりにも有名な皇居千鳥ヶ淵の桜です。4月7日撮影。


地下鉄九段下駅から坂を登ります。丁度快晴満開。続々と人の波が続きます




武道館入り口(田安門)から左の堀の方向に向かって。


古木の枝が堀へ流れ落ちるかの観があります






武道館への入り口を背にして。この日丁度明治大学の入学式が武道館で行われ、在校生が整理に当たっていました。





       以上で写真10枚。以下次号へ更に桜が続きます。

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2009年4月 9日 (木)

NO.147 岩崎喜裕 画伯・「川越 蔵造り」、杜の鍛冶屋 多彩皿、続川越の町。

岩崎喜裕 画伯・「川越 蔵造り


 
多彩皿、先号の多彩皿です。


川越の町
時の鐘の説明文



 漬物屋さんで、粕漬けとキムチを買いました。美味しかったです。観光客が潮が引くように居なくなった時に
撮影しました。



 山崎美術館
 小粒ながら立派な蔵造りの美術館に遭遇して感激でした。横山大観の親友の橋本雅邦の作品を沢山所蔵されていたのです。画集でしか見れない大家の作品を、真近く畳の上で拝観ができたのです。雅邦は川越藩のお抱え絵師だったのです。
 山崎家は亀屋菓子店で川越で有名。明治に銀行の経営にも関わった地方財閥でした。だから雅邦の作品も沢山保有できたのでした。



 白い方も土蔵蔵で、この両方の奥へ蔵が続き美l術館になっています。


      以上。次号は有名な千鳥ヶ淵の桜だけになります。

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NO.146 岩崎喜裕 画伯・蟹とエビ、杜の鍛冶屋の多彩大皿、続・川越の町。 。          

多彩のものなら私鍛冶屋の作品にも多数ありますが、とてもこんな多彩なのには叶いません。


杜の鍛冶屋 多彩大皿 対角長径41.5 短径30.0cm 
 

 続 川越の町。観光客が途絶えるのを辛抱強く待って撮影。
 既に40年位前に川越に行った事があります。川越は城下町でしたから骨董屋が多くあると思いま
した
確かに多かったのですが、価格が割高で、印判角皿を一枚買っただけでした。
当時は骨董屋が多くありましたが、今回は見あたる店は極く少数で、その方の活気は感じられません
でした。多かったのはお土産店で菓子屋漬け物屋が多々でした。観光客の激増のせいだと思います。
 
黒塗りの土蔵蔵は明治26年の大火で焼け跡に申し合わせたように土蔵に再建され、今は貴重な
存在となりました。
当時は日本全体の都市の多くがそんな風景で、さぞ美しいものだったと思います。

 「名物に旨いもの無し」の諺がありましたが、今はまずいもの無しに変わりました。


    以下 川越は次号にも続きます。

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2009年4月 8日 (水)

NO.145号 岩崎喜裕 画伯 ・ かさご。杜の鍛冶屋・花瓶。川越風景続き。

岩崎喜裕 画伯 ・ かさご


  杜の鍛冶屋 花瓶に花
 この花瓶が焼き上がったとき、構想と全く違い捨てようとして先生に止められた経緯がありました。
 花瓶は花を引き立てなくてはならず、このくらいが丁度よいのですと言われました。
 花はシンビ゙ジュームで、頂きものを庭に植えましたら、時々咲いてくれます。次の黒を背景とした場合とは
大分ムードが変わります




 黒を背景にしたために濃い緑の葉が写りませんでした。


 川越続き 町の風景
 この前にこの地蔵尊の説明を大きく拡大掲載しました。



                                以下次号

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2009年4月 2日 (木)

NO.144号 兼田昌尚先生の陶芸作品、岩崎喜裕氏の絵、杜の鍛冶屋コーヒー茶碗、川越の町。

 兼田先生の三越個展のカタログの転写掲載が今回で終了します。
 ①作品 灰被香炉 12.0x12.3x13.5 cm



 ②作品 灰被香炉 11.0x11.0x13.2


③作品 灰被筥 31.5x17.0x14.0

 
 以上で兼田先生の三越個展のカタログの転写掲載を終了します。今後また作品ご発表の折には掲載を
お願いしたいと思います。従来見られなかった新風を感じさせるお作品に私は感動しました。芸術とは新しい
道を開いてこそ価値あるものと私は思っています。益々のご健闘を祈ります。

 岩崎喜裕氏 作 にがうり
 川越の個展で買った絵はがきです。天才としか思えません。なんとも美しい絵ではありませんか。



 杜の鍛冶屋作品 コーヒー茶碗。二人の天才一緒に並べられるものではありませんが。陶芸漸く4年80歳の春です。






 岩崎さんの個展を見に行ったので、川越の町を見物してきました。
 この次に説明があります。個展が開かれたお寺でお地蔵様を拝んで来ました。








 観光客が小雨の中大勢でした。黒塗りの土蔵は明治の大火後建てられた由。観光客が途切れた時を待ち撮影。


 
屋根瓦が実にご立派。屋根に登り撮りたい気持ち


 有名な時の鐘.




 望遠レンズで撮影、三脚無しで静止撮影は難しい。 

                                        以下次号

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