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2009年4月20日 (月)

NO.154号 肉筆の浮世絵、羽黒洞とは、鍛冶屋製作中の作品、近隣の花。

  北尾派肉筆浮世絵。「歌妓立姿図」
  昭和49年8月(1974)、羽黒洞収集による肉筆浮世絵が三越本店開催の展覧会で売り出された。
 その時に杜の鍛冶屋が買った作品である。署名が無いのと、画面や装丁が汚れていたので、割安だった。
 春と夏を描いたの双幅であったが、元は春夏秋冬の揃いの4幅と推定する。表具屋に汚れを落として額装にして貰った。
 以下は画商の説明。明和頃(1760年代、10代将軍の頃)、右の歌伎は煙管(きせる)を右手にもち、左手に桜花の籠を持っている。江戸下町の典型的な女将(おかみ)の立姿として艶麗であり伝法肌を感じさせるものがある。
 左は夏の湯帰りと思わせる歌妓が、夕立の晴れ間に傘をすぼめながら振り返る姿であり、格子の着物と言い、肩かけの手拭、顔に掛かる2本の遅れ毛と言い当時の粋な歌妓を偲ばせるも
ので、江戸時代の往時を顧みる貴重なもの。
 


 羽黒洞とは。
  羽黒洞とは何ですか?と言う質問が、先号の記事をご覧の読者からもたらされた。
  画廊を持つ画商の一人で、木村東介(きむらとうすけ)創業のもの。(現存の人物には一応 尊称を付けるが、故人には付けないのが決まり、秀吉、漱石、吉田茂などと同じ)。
  木村東介は山形県で、1901年4月8日生~1992.3.1日東京没の90歳の生涯を終えた。

 その一生は波乱万丈で、最近聞いたことだが左手首から先が無いから、私は戦傷と思っていたが明治大学のOBの折に、後輩の運動部が他校の運動部と紛争を起こしたので、剛腹の彼が仲裁を頼まれて相手校を訪れたが、誤解されてやくざに斬りつけられ左手で防ぎ、切り落とされたという。

 画壇内部の紛争対立も彼の仲裁により、解決の事例があり、画商だけの人生では無かった。
 弟が衆議院議員で、政界にも顔が広く交際も多岐に亘った。
 画商としての大きな足跡は先号でも述べたが、肉筆浮世絵の収集から、それで展覧会を開き大量を売りさばくまで、私の推定だが肉筆の人気が出るまで40年以上待っている。

 そのスケールの大きさは半端なものではない。厚手の浮世絵のカタログを作成し販売を託すまで絵も合わせると莫大な資金の滞留をどうしたのか?気の遠くなるような話である。
 しかもその間、彼は多くの画家の発掘もしている。新しい芸l術が生まれて世間に評価されて軌道に乗るまで、永い歳月が必要である。有名なセザンヌが有名になるまで、セザンヌは生きていなかった。
 ゴッホの絵が何十億円にもなるのに死後何十年も必要であった。

 東介は有望と判断すると、躊躇せずにその作品を100枚以上をコツコツと買い込み画家を援助した。よほどの自信が無くては出来ないが、膨大な資金が無くては出来ず、どうしたのだろう?と永く思っていた。良い作品が彼の情熱を掻き立て、資金のことなど考えもしなかったかも知れない。
 
 最近遺族の方にお会い出来、聞いて見た。生活は極めて質素であったこと、お金は約手のやりくりで大変だったと聞かされた。彼の投資は花開くまで随分永い我慢辛抱が必要であった。
しかし殆どが成功したのだから、大層な目効きという他はない。その成功は多分膨大な富を齎したと推察する。
 

 放浪の画家 長谷川利行 の絵は戦前には全く評価されなかった。東介は長谷川が世界一の画家として多くのその絵を買い込んで応援していた。
 過日テレビのお宝拝見で1、800万円の値がついたそうで、私は驚いた。美術館に買われたそうである。

 東介の残した言葉で私の一番好きな言葉は、

 我慢、心棒、忍耐は 他日爆発せんがための 貯蓄なのである。 
 
 (心棒を普通は辛抱と書くが、何事にも動じない魂を言っているのだろうか)

 木村東介については次回に更に書きます。


 杜の鍛冶屋の作陶

 粘土を轆轤(ろくろ)で成形し、板の上に載せ新聞紙を器の上に載せてビニールの袋(大抵ゴミ袋)の中に板と一緒に入れ、保存します。板は30cm四方くらいです。
 一度に早く干すと表面が早く縮みひび割れが出ますから、時間を掛けて干します。
 新聞紙を入れるのは水分吸収に一番適していますが、沢山新聞紙を用いると器が硬くなりすぎて失敗します。
 ある程度粘土が固くなってきたら取り出して轆轤に載せ、轆轤を回転させて陶芸用鉋(かんな)で削り、整形と余分な粘土を削り落とします。乾燥後素焼きします。慣れないとこの仕事は案外難しいです。



 2色の粘土で作った花瓶を素焼き(800度)を済ませたものです。これに釉薬を掛けます。


 釉薬をかけたもの、白釉と織部釉(緑)を掛けました。これを本焼きします。1,200度で焼きます。
 満足な品が出来上がらないで、がっかりの連続です



  近隣の花
 
瀟洒な白い建物を背景に、山桜でしょうか?



 小さな海棠の木ですが、可愛らしくまとまり目立ちます


 桃の花でしょうか。


 椿ですが、蕾がいっぱいです。皆咲いたら壮観ですね。


 ヒマラヤユキノシタ








 君子蘭と海棠なのでしょうか?君子蘭は近辺でよく見ますが、ここの花が一番早く咲きました。


                       以上
 

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コメント

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投稿: hikaku | 2009年5月 1日 (金) 17時13分

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