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2009年5月30日 (土)

NO.175 浮世絵、障害者の絵、浜田庄司作品、近隣の花

掲載の資料は昭和49年羽黒洞刊、三越本店での展示カタログより。
 説明文は羽黒洞創立者、肉筆浮世絵収集の故・木村東介。



 
文中の寛文は1,661年~1672年 4代将軍の時代。世情次第に安定期に入る頃。文中の「恣は」 「ほしいまま」
 高さが102cmとあるから、相当に大きなもの。尚解説の文字が原文で極めて小さく拡大のにより読み難くなりました。
 
 あじさい 青木 正臣 画伯 
 あいアイ美術館提供の障害者の作品




 浜田 庄司 柿釉抜絵偏壺(かきゆう ぬきえ へんこ
 幅20.3cm 高25.4cm
 この色が柿釉、柿釉が薄いと黒くなる。



昭和44年12月14日(1969)購入。於・三越本店の浜田庄司個展で。
 この頃、柳宗悦(やなぎ むねよし)提唱の民芸運動が盛り上がり、浜田氏や、英国のバーナード リーチが盛んに活躍していた。
 民芸運動とは普通の窯の作り出した古い作品の中に、気がつかない美があり、その価値を見出そうとしたものである。

 柳氏は韓国へも行き、普通の古い家庭雑器の美を見出し、その運動で韓国政府から勲章を貰った。
 浜田氏は益子の窯で優れた作品を作り、後に文化勲章を授与されている。益子は有田、九谷のような高級美術品を作らず、漬物の壷や、甕(かめ)、土瓶や茶碗などの家庭雑器を専ら作り,釉が茶色で、他と異にしていた。

 その益子に住んで浜田氏は異色ある柿釉作品を作りだし、注目を集めた。田中角栄が日中国交回復で(昭和49年)、毛沢東への土産として浜田の作品をを持参しており、益子窯を有名にした。テレビでも放映があり、朝日新聞が作品集を出している。

 有名になり出したのは昭和40年前後と記憶する。一頃にはブームを巻き起こしたほどである。毎年12月に彼は沢山の作品の個展を三越本店で開いたが、柿釉の器に赤やブルーを入れ、全く違う趣の作品が三越開店と同時に売り切れたのだ。

 それも開店と同時に足の早い男に階段を走らせ、エレベーターよりも早く会場の着き、色つきのものを片端から買約したと言うから恐れ入る。
 
赤の入った作品は希少価値となり、以後市場に出る事が無い。私も買えなんだ一人である。
 それは私が生まれて40年後のこと。それから私は40年を生きたから、人生の真ん中の出来事であった。尚、この壷の絵はサトウキビで、彼がよく用いたもの。どうやって描いたかは省略。

 裏面


  
近隣の花
 撮っても撮っても次々に新しい花の出現。尽きることが無い。
 花の命は短くて 悲しきことのみ多かりき。何という詩人だか思い出せない。
 その花は直ぐ枯れて、あと一年経たないと花は咲かない。咲く僅かの期間
 のためにその植物は一年間を耐えている。


①パンジー


②あじさい


③ あじさい


④スイセンノウ(酔仙翁)、別名フランネルソウ。ナデシコ科。全体に白い毛に覆われているのが命名の由来の由。


⑤ペラルゴ二ウム(フウロソウ科)ゼラニュウムと同じ科


⑥バラ


⑦同


⑧ノバラ(別名・野イバラ)


⑨あじさい



⑩同


⑪ノースポール(菊科)


⑫左はゼラニュウム、右は百日草


⑬ネズミモチ


⑭ゼラニューム


⑮もみじ葉ゼラニューム


⑯ビオウヤナギ、又は ビヨウヤナギ。江戸時代に ビオウヤナギ (未央柳)と花を称える名がつきそれが後に美容柳となりました。ビオウヤナギは中国で未央柳と書かれ、中国歴史の未央宮に由来する。白楽天の有名な長恨歌(玄宗皇帝と楊貴妃の悲しい物語)に詳しい。


⑰右上の端から二つ目がアイビーゼラニュウム。他は近接撮影しなかったので判定出来ず。


⑱チエリーセイジ


⑲バラ


⑳同拡大

 今回はブログ開始以来の最大の写真掲載枚数で24枚となりました。
                                     以上

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