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2009年9月 4日 (金)

NO.204号 天草への旅 第五章 天草下島から天草上島を経て大矢野島から九州本土に渡る。

 8月18日は今回の旅の最終に当たる。それは天草下島から天草上島を経て大矢野島の天草四郎のメモリアルホールを訪ねる。
 天草下島から天草瀬戸大橋を渡り,風光明媚な有明海を左に見ながら幾つもの名のついた観光道路をバスが快適に走る。観光道路は詳しくは第一章の地図に詳しく書いてあるのでご参照下さい。

  バスが観光道路を走るだけで天草上島には主要な見るべきキリシタン史跡らしいものがどうも紹介されない。上島から九州本土へは五大橋と呼ばれる巨大な橋が架けられており、バスのガイドさんが盛んに薀蓄を傾けた説明をされた。バスを停車させて橋を見ないから建設工学を学び構造に興味がある私には何か物足りないが、老人ばかりの旅で今日中に東京に帰らなくてはならないのだから仕方がない

ここの道中でのガイドさん(女姓)の歌が素晴らしく、プロかと思わせるものだった。

 大きな橋は小さな島々を飛び石伝いのように橋脚を建てて渡って居る様であった。
 下島から上島を経て一気に大矢野島まで走ったことになった。
 そこは天草四郎の生地であり聖地であった


 ここに熊本国府高校パソコン同好会の書かれた天草四郎の物語があるので一部を転載させて戴く。




 天草四郎メモリアルホール (追悼会館)

此処の辺りに四郎の家が有ったと推定されたようだ。




 四郎像ヘの道


 道に沿って


 道端にアジサイが


 四郎銅像



 四郎銅像の礎石の文字



 上記載の文字拡大



四郎の墓、或る家の石垣の中に有るのが発見された。


 隠れキリシタンの墓、昭和42年の発見今度の旅で最も感動したものの一つでした。


 この時代によく石碑が出来たと思う。普通石碑など作れない。台座にクルスが刻んである由。







これは偉い人のものか?



ホールの前にコスモスが咲いて


ここからバスで一路熊本空港へ羽田着は20時30分でした。

以上で天草ヘの旅ハ終わりです。今度の旅は永く思い出す事になりそうです。

               杜の鍛冶屋 敬白


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