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2009年9月 6日 (日)

NO.205号 天草への旅 第五章天草四郎メモリアルホール 補筆

 旅の記録で、 ホールの中の展示に触れていませんでした。ホール内は撮影禁止のために絵葉書より転写しました。






  南蛮船の一部 大型模型

  どれだけ沢山の文物、多数の思い、幸福と不幸を運んだか考えて、隠れキリシタンの墓やこの舟の前で、私は暫く佇みました。
  スエズ運河が出来る遙か以前に、彼らは喜望峰を回り2年の歳月をかけて日本まで来ました。どれだけ困難が有ったか計り知れない苦労の連続と思います。勿論難破船も沢山有った筈です。
 然しそれを乗り越えても来る未知の価値が東洋に有ったのでしょう。
 人間の持つ好奇心の物凄さを感じない訳には参りません。
 その運んできた宗教が文化を伴うと同時に、不幸も伴ったのが困りものでした。宗教は人を幸せにするためが本来の発想だった筈でした。
 今も中東で不可解な宗派の戦争が続いています。人間は叡智と同時に無知に命を捧げる存在でもあるのか?と思いますが、悪いのは宗教ではではなく人間だと思います。




 メモリアルホール 大航海時代の始まり。 ポルトガル・リスボン港大壁画。



 天草四郎 像



 決戦原城攻防図




 以上で天草への旅が終了します。
 私の文章について質問がありました。「天下これを信じて多しとせず、一人これを信じて少なしとせず」 の意味を教えて欲しいというものでした。
 語源は中国明時代の大學者王陽明の残した言葉。陽明学という学問が今に伝わっています。

 云わんとするところは一人であっても自分の云うことを真に理解してくれる人がいてくれたら、それは尊いことである。天下の人が信じてくれても真に理解できてのこととは限らなく、一時の人気だけのことかも知れないから、多数の意見と思わないことだ、の意。
 
戦時中英米に必ず勝つと政府は大々的に宣伝し、危ないと云う人を拘束した。民衆は単純に勝つと思い込んでいたが、実際には疑問を感じていた人も多数居たのだ。戦争反対を勇気を出して叫んだ人も居り、彼らは一切の行動を封じられていた。もしももっと多くの人が反対を叫んでいたら戦争にならなかったかも知れない。要は何を云われても雷同せず正しい道を歩むこと。
 大久保利通や、吉田松陰は当時世間の賞賛を得た人ではなかった。 民主党大勝に当たっての所感。人気取りに流れないように。
 

 偉大な足跡。
 8月30日 近くの公立中学で行われた選挙に出掛けた。早朝であったがもうこんなに足跡が見られ驚いた。少し雨がパラツキ足跡が残された。体制を変えた歴史の記録と思った。



                             以上 杜の鍛冶屋 敬白

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コメント

はじめまして、kuriharaと申します。
現在東京の小学校の九州修学旅行の準備をしているものですが、
今回、修学旅行に向けて、社会科の事前学習として長崎の調べ学習を行っております。
この度天草四郎の調べ物の際に貴殿の記事とすばらしい写真を拝見しまして、
是非御ブログ内の写真をしおりづくりに使用させていただきたいのですが、可能でしょうか。
PC授業内で作成するしおり冊子のみの使用です。ご検討をお願いいたします。

投稿: kurihara | 2017年1月18日 (水) 08時04分

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