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2009年10月 1日 (木)

NO.209号 軽井沢銀座で、自宅と近隣の花

 208号の見晴らし台で掲載を落とした写真が一枚有ったので、それを掲載。
 熊野皇大神社参集殿の前のこの石碑が目に留まった。
 宗良親王御歌とある。ムネナガシンノウと読む。実は戦時10歳代であった私には大層懐かしい御名だった。
 恐らくこの石碑も戦時に建てられたものと思う。 先ずこの石碑の歌を読んで見よう。

 「きみがため よのため なにかおしからむ すててかいある いのちなりせば」

 この親王は御醍醐天皇の八子。御醍醐天皇は建武の中興を足利尊氏により覆され、吉野山に逃れ南朝を興した。
 尊氏は京都に光厳天皇を擁して北朝を建てる。
 つまり天皇の絶対支配への回復が失敗となり、武士の絶対支配に大きく時代が転換したのだ。
 このときに御醍醐天皇の第一子護良親王が鎌倉で殺され、第八子の宗良親王は信州伊那で南朝の復権を失敗に終わる。
 戦時に軍は天皇の神格化に奔走し、陛下の御為に死ねと教え、長野県でも信濃の宮宗良親王尊崇の運動が始まり、今思うと気違いじみたムードであった。この石碑もその頃の歴史的な遺物だが、あの頃を思い出して懐かしさが俄かにこみ上げて来た。
 先年の春、吉野山の御醍醐天皇の御陵を拝観したときも、天皇の無念さに思いを馳せた。彼は悲劇の天皇だった。





 軽井沢銀座で
 この賑やかな通りに何度来ただろう。聞くところでは東京銀座の名だたる料亭や衣料店の殆どが店を出しているそうである。
 盛夏には100万人を集める由だが、富豪が揃う別荘地はまことに静寂で、その差に驚く。
 私は本通りよりも寧ろ横道や裏通りの方が何故か心が休まる感じがする。今回は見晴らし台を見て東京へ帰る途中。多くの時間を費やす余裕がなかった。
 
 横道で。 何となく垢抜けた店が続く


 同



 レストラン 芦屋亭 
 
軽井沢銀座からテニスコートに行く右側。
 午後1時近く、峠で力餅を少し食べて来たので軽くと思いこの小じんまりしたレストランに妻と入った。これが正解だった。
食べたものを撮影しないのが失敗。
 軽いものは?と聞くとブブ漬で如何でしょうとの返事。京都で食べられる事を聞いてはいたが食べた事がないから注文した。
 ご飯の上に乗せる細かく刻んだ漬物や佃煮が別皿に盛られ、土瓶のお茶をかけて食べたが期待以上に旨かった。
 聞くと若い女性あるじは京都出という事だった。壁の飾りも面白い。売り物の由。
 


 可憐な生け花が卓上に。こんなのはじめて。私陶芸を少ししているから早速真似しよう。


 同


 同


 自宅の花
 前の作品が気に入ったから妻はこの石(焼き物?)をこの店で買い、帰宅後自宅の庭の秋海棠を玄関に飾った。


 マユミの花
 

 これは20日程前、上の花のつぼみ。


 黄色の曼珠沙華 9月10日
 極楽のあるを祈りて彼岸花  


 同9月11日


 同9月11日


 同9月12日


 9月13日の朝、前夜の雨で露玉が光っていました。

 以上の曼珠沙華は枯れてもう有りません。

 戴いた朝顔が毎朝花を咲かせ楽しませて呉れました。夕方はこの花が赤くなりました。


 夏水仙。何度も新しい花を咲かせて呉れました。


 シュウメイギク


近隣の曼珠沙華



                                        以上

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