« NO.216号 浅間の噴煙 | トップページ | NO.218号 秋の陽射し、陶友の作品、杜の鍛冶屋作品、一輪挿し。 »

2009年11月 2日 (月)

NO.217号 浅間山荘事件、南軽井沢、北軽井沢、  

浅間山荘事件顕彰碑 、南軽井沢 薄(すすき)のよく繁る原の角地にそれはあった。軽井沢発地(ほっち)である。

 昭和47年(1972)2月19日。連合赤軍5名が河合楽器軽井沢保養所に侵入占拠し、31歳の女性管理人を人質にした。写真は保養所、手前は攻撃隊の警察官たち。
 初めは榛名山で赤軍派が革命の為に軍事訓練をしているのを察知した警察の包囲網から逃れての事であった。
 医者の田中氏が説得のため山荘に向かい射殺された。赤軍派はライフル銃や散弾銃で武装化されていたから、簡単に攻められない状態で、催涙弾や放水も効果が無かった。
 篭城10日に及び、ビル解体工事に用いるモンケンの鉄球が保養所の壁を破壊し、警官隊が一斉になだれ込み激しい銃撃戦を展開、赤軍派5人を逮捕した。女性管理人は無事だった。然し警官3人が被弾、2人が即死、一人が失明の重傷だった。

 事件後赤軍派の内情が判明したが、同志12人がブルジョワ派として処刑されており、世間に衝撃を与えた。
新聞もテレビもその報道が埋めつくした。
 当時の日本は順調な経済発展を続けており、何が不満で青年たちがそんな行為に出たか判らない。気違い行為としか思えない。今の方が就職出来ず若者は苦しいはずだ。

 この事件は共産主義を賛美のあまりの、当時の一部若者の暴走だったと思う。日航機ハイジャック事件や類似な事件が相次いだ。しかしロシヤが政治を自由主義に変えて以来、目が覚めたか沈静せざるを得なかった。今中国が世界の注目を集める発展を見せているが、これも中国共産党が方針を転換した成果である。
 20世紀は歴史的に見て、社会主義のテストと失敗の時代だったような気がする。大学にマルクス主義の学者がいなくなった。それは壮大な政治的実験の時代だったと思うが、違うだろうか。
 
 殉職死亡の二人の警官は42歳と47歳、残されたご家族のその後はどうなったか誠に御気の毒である。
 37年前の耳目を集めた事件も、遙かに遠い彼方のことになった。



 以下10月28日 何時も花が供えられて。これは殉職警官を賛え顕彰した慰霊碑


ススキが顕彰碑隣の野原で


碑の近くの家での柏の紅葉


鳥獣慰霊碑 長野県知事 揮毫


ピラミッドアジサイがこんなに赤く、塩沢湖の近くで。


ススキ群生、上の花の側で。


軽井沢最大のスーパー鶴屋駐車場で。名も知らぬ木に赤い実がいっぱいに。


上記の木の実拡大


10月29日朝 北軽井沢 朝霧の松林。





   以上   以下次号は唐松の紅葉(黄色の葉を紅葉というのは変ですが、スケールの大きなものです)

|

« NO.216号 浅間の噴煙 | トップページ | NO.218号 秋の陽射し、陶友の作品、杜の鍛冶屋作品、一輪挿し。 »

趣味」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: NO.217号 浅間山荘事件、南軽井沢、北軽井沢、  :

« NO.216号 浅間の噴煙 | トップページ | NO.218号 秋の陽射し、陶友の作品、杜の鍛冶屋作品、一輪挿し。 »