NO.232号 巣鴨とげぬき地蔵尊
この寺は最初は神田湯島に開かれ、60年後に下谷屏風坂、明治24年区画整理で現在の巣鴨に移りました。
寺の正式名称は曹洞宗萬頂山高岩寺です。開かれたのは慶長元年(1591)で419年前になります。
1590年代は秀吉の朝鮮出兵でしたから、その直前の開基でした。
寺の信仰が広がった原因は、お産で健康を損ない死にそうになった婦人が信仰で命拾いをしたとか、毛利家の女中さんが針仕事中に誤って針を飲み込み、苦しんでいたところ地蔵尊の尊像の紙を飲み込ませたところ、吐き気を催し、尊像を貫いた針を吐き出して助かった、などが伝えられており トゲヌキ の名称はそれが起源と思いますが、延命地蔵菩薩とされています。
これは蛇足ですが、寺には必ず○○山と山の名が付けられていますが、山に無くても何故山の名をつけるのか?疑問を持たれませんか?
高野山金剛寺、比叡山延暦寺は確かに山の上に有りますから文句を言えませんね。然しこの古い寺は別として今有る殆どの寺が○○山を名乗るのは何故でしょう?
しかも実際は無い山の名を付けているのです。それに対して明快な答えを中学の先生が解説してくれました。
中世の頃仏教は国の普及政策が浸透し、信者の増加と経済的恵みを受けて、寺が次第に武器を持ち僧兵を雇い武士と対決し政治を批判する存在となります。信長も秀吉も家康もこれ等の対策に苦労しました。信長は延暦寺を焼き討ち断行する措置に出ました。今イスラム教が大きな問題を起こしているのに似ていますね。
何天皇の時か忘れましたが、寺が都市か、都市に近い所にあるから問題を起こす。寺は山深い所として政治から分離すべきだとの朝令が出されたのです。それは多分大名からの要請で出されたと思います。朝廷の生活費が大名の献金で賄われて居たからでしょう。大納言や中納言の位階決定は天皇の大権だったのです。
僧はお経を上げる事に専念せよとの天皇の命令が出たのです。
それ以来暫くは寺が山に篭ったのですが、次第に崩れました。
しかし○○山の称名は威厳の象徴として残りました。
巣鴨駅の上を仲仙道の大きな道が通っています。江戸期仲仙道は東海道と並ぶ江戸と大阪を結ぶ幹線道路ですが、駅から西へ直ぐのところで斜めに分かれて川越街道になり、そこにとげ抜き地蔵尊の寺があります。著名な神社や寺の前は大きな門前町通りになり、繁盛していますが、ここも予想を越えて多い人通りに感心しました。写真はお江戸日本橋から一里を示した一里塚が江戸期に有ったとするものです。
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門前町からとげぬき地蔵尊へ
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高岩寺入り口、内側から撮影。
香を焚く所
本堂
とげぬき地蔵尊に水をかけたり、本尊を丁寧に洗う人も。鉄柵の中で順を待つ人々。
本尊は何故か屋外の雨さらしに。
前記の像は金属製。すぐ横のこの像は石像。
境内の土産店。
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寺の全景が遮られるもの多く撮影できなかったのが残念でした。以上
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