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2009年12月

2009年12月28日 (月)

NO.232号 巣鴨とげぬき地蔵尊

 前号所載の水彩画の展覧会を見たあと、有名な とげぬき地蔵尊 が近くにあるので参拝しました。
 この寺は最初は神田湯島に開かれ、60年後に下谷屏風坂、明治24年区画整理で現在の巣鴨に移りました。
 寺の正式名称は曹洞宗萬頂山高岩寺です。開かれたのは慶長元年(1591)で419年前になります。
 1590年代は秀吉の朝鮮出兵でしたから、その直前の開基でした。

 寺の信仰が広がった原因は、お産で健康を損ない死にそうになった婦人が信仰で命拾いをしたとか、毛利家の女中さんが針仕事中に誤って針を飲み込み、苦しんでいたところ地蔵尊の尊像の紙を飲み込ませたところ、吐き気を催し、尊像を貫いた針を吐き出して助かった、などが伝えられており トゲヌキ の名称はそれが起源と思いますが、延命地蔵菩薩とされています。
 
 これは蛇足ですが、寺には必ず○○山と山の名が付けられていますが、山に無くても何故山の名をつけるのか?疑問を持たれませんか?
 高野山金剛寺、比叡山延暦寺は確かに山の上に有りますから文句を言えませんね。然しこの古い寺は別として今有る殆どの寺が○○山を名乗るのは何故でしょう?

 しかも実際は無い山の名を付けているのです。それに対して明快な答えを中学の先生が解説してくれました。
 中世の頃仏教は国の普及政策が浸透し、信者の増加と経済的恵みを受けて、寺が次第に武器を持ち僧兵を雇い武士と対決し政治を批判する存在となります。信長も秀吉も家康もこれ等の対策に苦労しました。信長は延暦寺を焼き討ち断行する措置に出ました。今イスラム教が大きな問題を起こしているのに似ていますね。
 何天皇の時か忘れましたが、寺が都市か、都市に近い所にあるから問題を起こす。寺は山深い所として政治から分離すべきだとの朝令が出されたのです。それは多分大名からの要請で出されたと思います。朝廷の生活費が大名の献金で賄われて居たからでしょう。大納言や中納言の位階決定は天皇の大権だったのです。
 僧はお経を上げる事に専念せよとの天皇の命令が出たのです。
 それ以来暫くは寺が山に篭ったのですが、次第に崩れました。
 しかし○○山の称名は威厳の象徴として残りました。

 巣鴨駅の上を仲仙道の大きな道が通っています。江戸期仲仙道は東海道と並ぶ江戸と大阪を結ぶ幹線道路ですが、駅から西へ直ぐのところで斜めに分かれて川越街道になり、そこにとげ抜き地蔵尊の寺があります。著名な神社や寺の前は大きな門前町通りになり、繁盛していますが、ここも予想を越えて多い人通りに感心しました。写真はお江戸日本橋から一里を示した一里塚が江戸期に有ったとするものです。





門前町からとげぬき地蔵尊へ





高岩寺入り口、内側から撮影。


香を焚く所


本堂


とげぬき地蔵尊に水をかけたり、本尊を丁寧に洗う人も。鉄柵の中で順を待つ人々。


本尊は何故か屋外の雨さらしに。


前記の像は金属製。すぐ横のこの像は石像。


境内の土産店。




















寺の全景が遮られるもの多く撮影できなかったのが残念でした。以上

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2009年12月26日 (土)

NO.231号 水陽・爽風会 水彩画展覧会  

   これは冒頭に書いた団体の水彩画の展覧会が09年11月下旬 東京巣鴨の画廊で開催され、知人の所属している団体でありましたので、それを取材撮影したものです。 然し初めての経験であり、ガラス張りの絵で光の反射や、絵が手前に傾けての展示であり、撮影が大層難しいものでした。電灯の位置にも関係した明暗もあり、その為に残念ながら写真を見てから没にせざるを得ない作品も随分ありました。画帳からの撮影では有りませんので、その点で不出来をご了解下さい。 お作品は何れも見事なものでした。額装してありますがこれは絵の額ではなく私が画像処理でつけたものです。

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                                                    軽井沢    レイクガーデン    大谷 愛子


            ビンのある静物  江口サワ子


            鎌倉 寿幅寺 中島敦子 絵の署名が入りませんでした。


         静寂な公園  江口サワ子


    田園調布駅 川崎れい子  この絵額装すると絵に食い込みますのでやめました。


                     三浦・三崎港  武内 弘


                富良野 風のガーデン   沖 恭子


            雨上がりのカフエ   山田道子


                    小 径   大谷愛子


                   浄真寺門   兼頭 房子


                   深大寺門前茶屋   中島敦子


           街の一隅  (アムステルダム)   近藤浩二  左上に光線が残念


                 深秋の公園   北川恵子


              泉岳寺の秋   北川重彦  右上に電灯の反映が残念


                 目黒 自然教育園   井上洋子            
                                           以上

この団体の方へ  今回掲載されなかった方は写真を提供して戴ければ掲載が出来ます。
                     

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2009年12月13日 (日)

NO.230号 杜の鍛冶屋作品

一輪挿し
 これは浅間山の火山岩の欠片(かけら)を拾い、電気ドリルで穴をあけたものです。
極めて楽に小型の生け花を楽しめる優れもの。不精な私向きです。焼き物の一輪挿しを幾つも作りました。


1穴、2穴、3穴、最大で10穴のものが1個あります。穴の存在が判るように上からの撮影が殆どです。




抹茶茶碗 径13cm 高8cm


                                    以上

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229号 陶友の作品

陶友の作品
皿 作者 須藤雄一郎
 この皿を5枚アットいう間に書きあげられました。



 片口 作者 桃太郎
 片口は大きな器の酒や醤油を小さな徳利や醤油さしに注ぐ器でよく使われ、便利な実用品で、陶芸教室で是を作られる方が多いです。この作品は昔使われたかのような素朴な味が見所でしょう。年代物かと思わせます。


鉢 作者 越美奈子 径22.5cm 高9cm
 灰釉を使われ真ん中が貫入(かんにゅう)で彩られました。実物はこれよりも美しいです。


筆立 作者 マコト 径12cm 高11cm
 口径が高さよりも長いので測定ミス?と思われるかも知れませんが、間違いないのです。
釉を何にしたか?後で伺いたいと思います。微妙な美しさがあります。


同、側面


鉢 作者 マコト 径17.3cm 高14cm


 日本画
 これは焼き物ではありません。ある日隣の奥さんから柿の実を描きたいから枝葉つきの実を下さいと言われました。注文の枝を切り差し上げたら数日後作品を見せて頂きました。それが下の絵です。 紅葉つきの実のある枝を の意味が判りました。ご立派ですね。


                                                      以上

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2009年12月11日 (金)

NO.228号 観泉寺と紅葉

  
 12月10日所用で観泉寺の傍を通りましたので寺に寄りました。紅葉が綺麗で撮影しました。
 ブログの資料が溜まっていますが、季節が過ぎると価値が無いので、先に観泉寺紅葉をブログ掲載します。

  観泉寺は今川氏の菩提寺。今川氏とは桶狭間で織田信長に破れ亡くなった今川義元の子孫のこと。。
 義元の子氏真(うじざね)が建てたとされている。 杉並区今川町に存在し、大きな規模の寺です。
  建立は慶長2年(1597)関ヶ原合戦の3年前。
  桶狭間以後家臣の反乱、東西からのの侵攻などで今川家は滅びるが、氏真は家康に救われ臣従する。
 これは家康幼少の頃今川家に人質とされていたことに関係があると推測する。

 私は昭和20年に長野県から上京し杉並区青梅街道沿いのアパートに住み込んだ。荻窪駅まで歩20分の距離だった。青梅街道は東西に走り、多くの家は街道をを挟んで分布しており、街道から少し北に離れると畑が広がっていた。
 その畑の中にぽつんと大きな寺があり、鐘の音が聞こえていた。それが観泉寺でよく散歩に行き由来を知った。今川町の名が今川家から来ているのは言うまでも無い。広大の畑が今は住宅で埋まっている。
 今川家は都の説明案内を撮影掲載してあるから、参照して下さい。相当な地域を所領としたらしい。是は幕府から高家(こおけ)の扱いを受けて居た事に関係する。吉良家も高家で、礼式を司っていたことはご承知の通り。

寺門前。これは12月11日雨の日で、画面にボケが入る。ブログ作成のために快晴の10日と雨の11日に撮影。


門前の碑


今川家墓地入り口。右側に都の解説。


今川家墓地にある都の解説。


今川家墓地。





古寺に見られる石像が各所に、雨しきり。








雨しきり、山茶花が美しい。苔むした墓石、412年前に建てられた寺、家来の墓も多いと思われる。


門前から東に向かい、左右が観泉寺、本堂は左側。本堂の裏に寺経営の大きな幼稚園。


快晴、本堂の東に大銀杏。


通り掛かった地元の人が今年の紅葉は今までにない美しさだと語った。
ここは自宅から約30分、近い所で有難い。


遠くに行かなくても、こんな美しい所があるとは。


鐘楼の前で、是は順光。逆光の方が美しいことがある。


或る画家が 「紅葉の中に混じって青葉がある方が美しい」 との記事を読んだ記憶がある。


雨中の銀杏の黄色に赤い落葉が。これ着物の柄にしたらどうかしら?


雨で画面がけぶり、これも又風情。





同、雨中、西に向かい右が門。


雨中、大銀杏の落葉が道いっぱいに。


12月10日、好天、落葉が屋根を埋めて。


12月10日晴天。竹林と紅葉。


12月11日雨中。


12月11日,あつらえた様な落葉の配置。雨水が溜まって。


同、雨中。


本堂前の巨石則面

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2009年12月 9日 (水)

NO.227号 近隣の花

近隣の花
 公衆電話の花。もう何回も掲載している公衆電話の上に置かれた花です。今回は2回分を掲載します。
根気よく続けられています。花はカーネーション。

オンシジューム(ラン科)


荻窪教会通りの医院の前に置かれていました。サボテンの一種と思いますが、熱帯植物が冬に咲いていたのが不思議でした。シャコバサボテン。


上と同じ場所に置かれていました。初めて見る花です。キンギョソウ。


これも同じ場所です。センニチコウ。


 ピラカンサ、ぎっしりと詰まって実を結び実に見事。この実が柔らかになる頃に鳥が食べに来ます。我が家ににも以前にこの木があり、食べ時には玄関先を糞で大層汚されて、懲り懲りしました。仕方なくこの木を切り、今は有りません。


これは上の拡大です。見事な柿に見間違います。


若杉小学校の楓と銀杏の紅葉です。11月28日の撮影で、紅葉の始まりです。


同日撮影



銀杏大樹の幹。真下から望遠で。



                                               以上

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2009年12月 3日 (木)

NO.226号 陶友の作品、杜の鍛冶屋作品、近隣の花と落ち葉。

陶友の作品


 人形  作者  セシル  幅8cm 高15cm
 白い服に清楚なデザイン素敵な人形が出来ました。陶芸教室で動物を作られる方は多いですが、人形を作られる方は少ないです。目立った作品でした。




 小皿 五個揃い  作者  竹屋 径7cm 高3cm
 同じ大きさの皿を揃えることは簡単のようで、やって見ると案外難しいものです。熟練しないとこうは出来ません。白釉を主体に軽く織部を掃いています。上品な作品と思います。 



 中皿 作者 丘   径14cm 高4cm
 釉は白と黒、シンプルなデザインですがお陰で素地の透明釉が冴えて美しくなりました。おおらかな素直な作品、使いやすいと思います。


 大皿 作者 安野 径24.5cm 高6.5cm
 皿と書いたらよいのか、鉢と書いたらよいのか?暫く迷いました。私は作者にお目に掛かっていません。
 偶然教室でこの作品に遭遇し、ブログに是非掲載したいと思い、作品に添え手紙をを入れておき、お断りなら止めようと思い待ちました。然し未だ音信も無くご了解が得られたと思い掲載させて戴きました。先生が同じでも出席の曜日が違うと判らないのです。
 私がこの作品で驚いたのは細密な線を2色で迷い無く書かれていたことでした。
 相当に根気の要る仕事をよくこれだけに書かれたと思いました。
 或る著名な美術商から絵を見たとき、一番注目するのは線が迷い無く書かれているかどうかで作者の技量が判ると教えられましたが、この皿をみたとき、丁度その言葉を思い出していました。
 ご立派な皿だと思います。こんな線は残念にも私には書けません。


同裏面


以下は杜の鍛冶屋作品

茶碗   径12.5cm 高7.5cm


同 径13.5cm 高8cm


落葉花瓶  径13cm 高20.5cm


吹きたまりの落葉 


同大きな葉は朴の木の葉


サルスベリの剪定の枝が一輪挿しに。


馬上杯が花瓶に、中に一輪挿しが。


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2009年12月 1日 (火)

NO.225号 大田黒公園・紅葉夜景

11月27~12月2日まで紅葉に夜間照明がされる事を知り、12月1日6時頃夫婦で行きました。
素晴らしさは予想を超えました。解説は省略します。































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NO.224号 火焔

 火焔と言っても火焔土器の事ではありません。焼き物で焔が表現出来ないかと色々と試したのですが結果は未だ成功にはなりません。
 2ヶ月ほど前に中国で42万年以前に人が住んでいた住居跡が発見され、そこには火を使っていた痕跡があったと伝えらました
人類が他の獣類に差をつけたのは火の使用の効果であったことは多分間違いないでしょう。
 そんな気の遠くなるような大昔から人は火を見つめて生きて来たのですから、我々の血の中には火を見て暮らす遺伝子が組み込まれているような気がします。
 炎を見るときその美しさと恐ろしさが交錯して、刻々と変化する造形の妙は、他に比肩出来ない芸術のような気がします。だからそれを陶芸で表現出来ないかと思ったのです。

 次の写真は昭和28年(1953)頃、朝秋葉原青果市場に接する高架脇の道で路上生活者が電線を
燃やしていました。
 当時の電線は絶縁材として蝋含綿巻き線でしたから、凄い焔を上げていました。多分盗品で貴重な銅を得ようとしていたのでしょう。
 その焔を撮影しました。焔だけを写し取るためにレンズを全開にして250分の1のシャッターを切りました。早い露出は明るい物だけを写し撮るからです。2枚の焔の写真は全く同じ焔なのですが、撮影位置を変えたので違う焔のように見えます。この写真は今まで写真の素材になったことが無かった為か、好評でした。
 この印象を陶芸で表現しようとしたのです。然し自然の焔には及びもつきませんでした。

  杜の鍛冶屋 撮影 昭和28年頃


 同


 ①是が陶芸の焔の第一作。然しこの焔は茶色です。鉄釉に伊羅保を重ねると赤い発色
になりますが、本物とは遙かに違いました。焔かな?という程度です。
この作品の動きの表現は写真に似ていますが、本物の微妙な刻々の変化とは遠いものでした。



②失敗作だから残念だが割って捨てようと思いました。然し捨てきれず放っておきました。
ある日、これを油絵のカンバスに見立てて絵の具を塗ったらどうだろう、オブジェになるかもと思い実行
しました。焔の主体の色は蝋燭の焔のように薄いオレンジなのですが是は違いました。


③モノクロの写真を見ると、焔の中に黒い隙間がありますので、本物に近付くために
穴をあけました。


④今まではどうしても花瓶の概念で作りましたが、考えると丸い筒型の焔は無いのに
気づき自由形に切り替えました。しかし隙間が小さいのは失敗でした。それに今までの
作品が全て上部に焔の先端に付き、これは不自然では?と思い⑤の作品を作りました。


⑤ ④の作品は赤が強調されており、見栄えは優れますが現物からは遠ざかります。⑤は各部から焔が立ち上がり
焔は黄色であるとの私の概念に近づいています。難点は背が低く見栄えでは劣ります。更に精進を続けて、もっと素晴らしい
ものを作りたいと思います。



                                     以上

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