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2010年1月28日 (木)

NO.243号 続・円覚寺、建長寺、鶴ヶ岡八幡宮、小町通り

円覚寺の拝観志納券(入場券)に北条時宗書状が印刷されていました。残念にも読み難いのですが,重文であり珍しいものですから掲載いたします。


 
 これは
弘安元年とあるから1278年に当たる。
 
元寇は1274年と1281年と2回の侵攻を受けており、その2回の侵略の間を縫い、北条時宗が1278年年末に南宋へ手紙を出したのだ。(北宋は60年前に蒙古の侵入で滅んでいた)当時は往復で1年や2年掛かっても不思議ではないし、使者が帰らない事も不思議ではない。殊に肝心の宛先の南宗は時宗の使者出発の翌年、つまり1979年に蒙古軍の侵入で滅び去っていたのだ。
 当時の日本は
再度の蒙古侵略に備えて、国全体が防備のために武器や兵士の増強や水城の構築は勿論、神仏への戦勝祈願を必死で行っており、南宋への時宗の手紙はどうか名僧をわが国へ迎えたいと懸命に訴えているのが伺える。
 手紙からは宗の国を頼っております。寺を建て仏に祈っていますが、欲しいのは木なら根元、水なら源のような仏教の真髄を求めんと望んでいます。と言っているようである。神仏への頼みは現在人の想像を超えるものだったと思うのだ。蒙古が攻めて来ますからとは、当然言えないことだったであろう。使者二人の安否を気遣い無事帰らせて欲しいとしている。
 詮と英は兄弟で建長寺開山禅師の弟、この二人が禅僧で使者である。二人が南宋へ着いたのは皮肉にも南宋滅亡の年であった可能性が高いから、としたら、生死も定かではあるまい。和南は時宗の署名で、南宋に和するの意だろうか?
 時宗は和南とだけ署名し、あとは禅僧の書と説明されている。


円覚寺の周囲は崖のような岩で囲まれ、座禅修行のための洞穴がこの写真もその一つ。立ち入り禁止で詳細撮影できず。


      多い建物が広く分散されて、その内容も伺い知れなかった。如意庵とある。


建長寺



                          建長寺総門


                           本堂





    
  仏殿 地蔵菩薩 格子天井に絵が美しく描かれていますが、撮影時気付かずで残念。


仏舎利塔 と思いますが、説明板がありませんでした。


      法堂  釈迦苦行像 パキスタンイスラム共和国より献納


          法堂 天井絵 雲竜図 小泉淳作 画  横河電機 寄進


                  庭園の解説は表札に


              大覚禅師の作庭 日本最古の禅庭園


               樹齢750年のビャクシンの巨木






鶴ヶ岡八幡宮
                         お寺に比べ賑やか


                         銀杏巨木と総門


                       銀杏巨木 近接撮影


                   八幡宮から駅まで、小町通りの雑踏


                                                    以上

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