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2010年8月15日 (日)

NO.289号 水戸の墓地、杜の鍛冶屋の作品、陶友の作品

 水戸の保和苑に接して、広大な歴史的な墓地があることは先号で述べた。それをこれから書く。
ご承知のように水戸藩は御三家の一つではあったが、将軍職が回って来ることは無かった。御三家の配置は家康の周到な配慮であることは今更説明するまでも無い。

 御三家の内、紀伊と尾張は大納言であったが、何故か江戸に最も近いところの水戸は中納言であった。何故そこに差別をつけたのか?
 これは私の私見に過ぎないが、理由があったとしか思えない。そこに家康の周到な意思が有ったような気がする。

 もしも御三家が将軍継嗣をめぐり争うようなことが起これば、安泰の幕府が崩壊の危険に晒されるかも知れない。継嗣候補は二者にして置いた方が安全で、水戸は三番目の候補とされたのではないか?
 これは私の空想であるが、この措置が江戸時代の水戸藩の隠れた不満として受け継がれたような気がする。
 大日本史の編纂は、半ば幕府の批判であるのはそれが原因かも知れない。

 水戸藩の行動は屡反幕府の動きがあったように思える。万延元年(1860)桜田門外の変は時の政府を打倒するものであり、尊王攘夷の水戸藩は開国外交を進める幕政に対する大きな批判であったと思う。
 その点では水戸の感覚は、当時の世界的感覚に応じた西国の藩とは大きな隔たりに置かれたような気がする。

  その墓地に入ったところで先ず目についたのは、全く同じ小型の墓が整然と沢山並んでいたことであった。それは桜田門外の変と、水戸天狗党犠牲者の墓であった。天狗党とは水戸の尊王攘夷を旗印に東山道から北陸道にかけて賛成を求める運動に走った武士団で最後は皆落命したのだ。詳しいことは判らない。、
 人気者格さんの墓があった。彼は大日本史編纂の一委員であり、テレビに出るような派手な存在では無かった

 桜の木の下に見える墓の群れが、受難者のものである。



藤田東湖の墓 水戸学の大家。幽閉されたが、そこで大著をなし、多くの影響を残した。50歳で没。









墓石を覆うアジサイ。


桜田門外と天狗党の受難者の墓群。


墓地もアジサイだらけ。









杜の鍛冶屋の作品
以下の作品は6月頃のものです。撮影日と製作日には違いがあります。
茶碗 径10cm 高8.5cm


花瓶 径11.5cm 高15.5cm


馬上杯 径8.5cm 高11cm


茶碗 径9.5cm  高9.3cm


コーヒー茶碗



陶友の作品
6~7月頃の作品。
作  允  大皿 奇抜なデザイン。こういうのも楽しい。


作  同  大皿


作  不明  親豚子豚

                                以上

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