2009年2月 9日 (月)

NO.129号 河津桜満開速報

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  この桜は本州で一番早く咲く桜として有名です。伊豆半島・河津町で偶然発見され、その原木が大事に保存され、沢山の子木が実に見事な並木に成長しています。2月9日にテレビが満開を知らせました。
 花の色は薄紅色で、真に見事、千葉県や神奈川県等各地で増殖されていますが、本場は河津町で開花時には大層な人出となります。
 今年は早くも満開のようです。昨年3月1日に撮影のものをお目に掛けます。丁度菜の花満開と重なり楽しめましたが、今年も同時に見られるかどうかは判りません。

 この桜は寒緋桜と早咲きの大島桜との自然交配で、 昭和30年頃、河津町の飯田勝美氏(故人)が河津川のほとりで発見し、自宅に移植しました。この原木が下記の写真①です。
 樹高約10m。樹幅約10m、幹周1.15m。
 場所は河津駅から天城方面に向かい1.2kmの地にあり、樹齢は50年を越えています。花寿命は約一ヶ月。
 この場所は飯田氏の邸宅内で、多くの方が見物される駅近い花の並木とは離れています。
 交通は伊豆急行、河津駅下車。東京駅から3時間半弱。 片道3,540円。

  ①撮影場所は飯田氏の邸宅外(この写真は河津町のホームページより転載)

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 ②河津桜並木その1
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  ③河津桜並木その2
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  ④菜の花と河津桜と托鉢僧その1
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  ⑤菜の花と河津桜と托鉢僧その2
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  ⑥河津川のほとりで
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以上

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2009年1月31日 (土)

NO.127 世田谷ボロ市連載三回目

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 骨董屋
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 着物の帯500円均一
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自転車屋の前も市が占領


 ベルト専門店、1本千円だが別の店では500円均一で、ネクタイも500円均一だった。品物が違うのだろうか。


 まな板専門店があった。


 上の写真と同じ店だが、まな板1枚300円、2枚500円と現物につけてあった。柾目の良い板であった。
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 プロマイド屋があり驚き。
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 いわし6本350円。写真で見るより現物の方が太ってよく見えた。どんどん売れていた。安いから6本買って帰ったが、とても美味しかった。2束買えばよかったと思った。
 この右側で鰤(ぶり)をさばいて売っていた。
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 かね印判屋
 仙台から市に売りに来たと言っていた。売り人が他所から大勢来ているようだ。そうでなければこれだけ多種の店が揃う筈がない。
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 靴屋。
 全部2~3千円


 ネクタイ、ベルトみな500円
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 夕闇が迫ったが人が増加の一途
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 今回三回目で世田谷ボロ市の記事は終了致します

以上

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2009年1月29日 (木)

NO.126 号 世田谷ボロ市、連載二回目

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  世田谷ボロ市続き。
 甘酒の幟(のぼり)が見えます。とにかく何でも有りがこの市の特徴で、見応えがあります。

 

 骨董屋多々


  上記の店を拡大
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 前回掲載のものですが、面白そうで拡大の希望から再度の掲載です。
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  前回も子供がお面を見ている写真をのせました。
今回のは右に人影が写っていますが、私が撮影している影なのです。

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 これは太い竹の看板です。面白いので撮りました。
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 多数の小型サボテン鉢。大きな花屋にもこんなに沢山のものを見ないのですが。
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 ボロ市保存会
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 陶器屋



 江戸時代の代官所。
 彦根伊井藩が世田谷の地を江戸屋敷の賄い料として加増され、その地の名主大場家が代官役を世襲で勤めた。その屋敷が残されたもので、代官屋敷の保存は珍しいとされているが、本来は豪農の大場家の屋敷だから、武家屋敷の様式とは異なっている由。
 430年前にボロ市発祥とすると、徳川幕府は未だ誕生していない。市は小田原北条氏時代から代官所の近辺で始まったらしい。

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  江戸時代代官所と当時の市の模型
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 代官所裏手

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 世田谷歴史資料館内部の模様、発掘土器の陳列
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  発掘された鎧(よろい)、模造品の由。鉄だとすると、古代の人がどうして作れたか?不思議な気がする。鉄を溶かすには千数百度にしなければならない。
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 世田谷区内に有った古墳の出来た当初の想像模型。
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 発掘された木製水道管、鋸(のこぎり)で作られた厚い板で作られたもの、今から思えば大層な仕事であったことだろう。
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20090129_mokusei         

以上

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2009年1月27日 (火)

NO.125号 世田谷ボロ市

 09年1月16日の正午のテレビニュースで世田谷ボロ市の事を報じた。
 聞いてはいたが見たことが無い。早速カメラ持参で出掛けた。予想を超える広さ、予想を超える人出であった。
 新宿より小田急に乗り、豪徳寺下車、直ぐ前に世田谷線の駅が見えた。市電に乗り2ツ目の上町(かみまち) 下車すぐ露天商の列が見える。700軒もの店があり430年もの歴史があるそうだが、はじめは古着などを売ったのでそんな名がついたようだ。
 しかし名のようなボロの品物ばかりではなく、商品というもの全てを売っていると言ってよいだろう。
 町中の商店街と違うのは骨董屋が多いことだ。骨董好きの私にはまことに楽しい散歩だった。

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  先ず群集を撮影


 盆栽屋
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  何でも屋?
 

  大安売り
 この店に細かい品物が並べられ、全てに価格が見易く表示されていた。

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 鍔専門店
 刀の鍔(つば)専門の店があり驚き。この主(あるじ)は鍔の製作もしていると言うから更に驚いた。私が興味と関心を示したら、名刺を呉れた。ここも露店だった。他所では見られない店である。

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 何でも500円の店


 木製品の店
 石屋かと思ったら箸などの木製品の店だった。雨の日はどうするんだろうと、余計な心配が頭をよぎった。



  宝石等装飾品の店


 
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20090127_03houseki

 子供のお面
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20090127_04omen

  神棚
 神棚を売る店が2軒も有った。しかし私の歩いた範囲はボロ市の半分くらいだから、もっと有ったかも知れない。


 本格的な刃物屋。大工、農、料理、植木用等全てが間に合いそうだった。刃物屋は他にもあった。
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20090127_05hamono

 何を売っているかと思ったら「お守り」を売っていた。


 これ以上の送信はブログ受け入れ容量制限のため、無理のようですから、後は次の126号でご覧ください。あと多分2回くらいの連載かと思います。

以上

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2009年1月20日 (火)

NO.124号 既掲載・拡大の皿、ラベンダー氏の蘭の花、幻の大白鳥と鯉、八重紅梅、宮浦画伯・拡大版画3点、拡大京都の紅葉、拡大銀杏並木3題

 陶芸教室の新窯が据付られましたが試運転で稼動にならなくて、作品を焼けないでいます。この為に作品完成に未だ何日も掛りそうです。
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 ①既掲載、拡大の皿
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 ②ラベンダー氏の蘭の花
 説明文

  macradenia brassaborae(マクラデニア・ブラッサボレ)という原種のランです。この株は2001年に我が家で咲いたきり、年々元気を失ってきました。
その原因は、どうも株と鉢のバランスが悪く、株に対して大きすぎる鉢に植えていたようです。そこで、思い切って、小さな鉢に植えましたらみるみる元気になりまして、ようやく今回の開花となりました。感慨深いです。
ランを植える鉢はできるだけ小さい鉢に植えるのがコツです。
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 ③幻の大白鳥と鯉
 09年1月9日テレビが東京練馬の石神井公園に大白鳥飛来し、初めての事と報じた
。11日に早速見に行った。ところが人が大勢来ていたが肝心の大白鳥が居ないではないか、人が大勢来たので逃げてしまったらしい。皮肉にも白のアヒルが泳いでいた。
池畔に落城した豊島氏の城跡があった。

 鯉と水底に光の波紋。
 池畔の極く浅いところに鯉が沢山ゆったりと泳いでいた。
その波紋を通して光が水底に模様を作り出していた。
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 ④公園に八重紅梅ガ満開 

 ⑤既掲載・宮浦画伯の版画3題
 国宝松本城
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 ⑥同・北アルプス、餓鬼、蓮華岳遠望
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 ⑦同・安曇野秋晴れ、爺ヶ岳と鹿島槍
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 ⑧既掲載、京都の紅葉
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 ⑨神宮外苑の銀杏並木・2題
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 ⑩昭和記念公園
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以上

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2009年1月 7日 (水)

NO.122号 私の若い時撮影の写真  第7回

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今回で若い時撮影の写真は終了します。

 晴海埠頭
 私の代表作に「埠頭暮色」と題する作品がありました。A4の印画紙2枚を繋げた大きな作品であり、当時の有力な写真誌の写真サロンに大きく掲載されました。残念にもその本も原紙も失われましたが、当日同じ晴海埠頭の別の場所で撮影の次の写真が残っていました。
 輸入された膨大な石炭が荷役されていました。ここから湾岸発電所や製鉄所に搬送されていたらしいです。昭和28年(1953)撮影、未発表。
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  村童
  松本市の郊外の丘で焚き火していた子達がいた。なんとも無邪気な明るい子達だった。昭和28年冬
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  新橋演舞場 出を待つ舞台裏
  よくこんな場所まで入れて呉れたと思った。緊張感が漲る様に感じられ、こちらも緊張した。未発表。
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以上

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2009年1月 5日 (月)

NO.121号 私の若い時撮影の写真  第6回

   昭和27年(1952)春、夜雨の新宿駅頭
 大きなビルの建設はこれから遥か後のことである。車も極めて僅かしかなかった。
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  昭和27年(1953)冬の銀座
 有楽町駅から歩き、銀座4丁目の和光の角を左に曲がり、少し行くとカメラと眼鏡の松島屋があった。パン屋の木村屋や、御木本真珠店のそばである。建物は木造2階建。
 ここの2階でよく写真の展覧会があり、都心に出たときはよく寄ってみた。夕暮れ時で見難いが、市電がご覧のように走っていた。
 この辺は今殆ど高層ビルであり、昔の面影は全く無い。
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  秋葉原駅での朝日の光
 朝、総武線下りのホームから階段を下りながら上を見上げると、朝日の光が眩いばかりに差し込んでいた。
 昭和27年(1952)冬早朝。
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  上野駅で
 昭和27年(1952)春、上野駅改札口前の大きな建物の出口で、二人の幼い女の子を伴った母親を見た。荷物を地面に置き迎えの誰かを待っているのだろうが、不安そうな面影と所帯やつれを感じさせる後姿が気になった。
 写真の例会で共感を感じてくれた会員が何人もいた。あの親子はあれからどうなっただろうと、何度も思い出した。何故なら迎えの人が汽車の到着前に駅に来ているのが普通だからだ。
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  秋葉原駅前広場 斜陽の長い影
 昭和27年冬、私は駅3階の総武線上りホームの西側(御茶ノ水方向)にいた。柵越しに下の地面を見て斜陽の長い影に気づき、思わずシャッターを押していた。しかし夕暮れ時で影が薄く、作品にならないと思い発表しなかった。
 今画像処理がパソコンで出来るようになり、試して出来たのがこの写真である。
 空襲の為か地面が荒れているのが判る。座って自転車を台にして、何かを売っているらしい人がいる。台八車を何故か梶棒の反対で引いている人がいる。今の駅頭から見ると人が少ない。何よりも長い影が面白い。

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以上

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2009年1月 4日 (日)

NO.120号 私の若い頃撮影の写真  第5回

  路上の落書き
 同じ落書きがすでに掲載済み。違う角度のものが出て来た。女の子の書いたもののようだ。傍らを台八車が通り過ぎた。
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  平凡な写真に見えるが、実は昭和28年(1953)冬の荻窪駅の朝。今の荻窪駅は全貌が全く変わってしまった。人が少ないが日曜の朝だったかも知れない。 
 今は地下からホームに登る。エスカレーターやエレベーターも付いているが、当時は線路を跨ぐ(またぐ)橋に登り、そこから下のホームへ降りたのだ。
 この駅には当時貨物車専用のプラットホームがあり、貨物の積み降ろしを行っていた。今はそのホームが快速専用ホームに変わっている。今昔の感一入(ひとしお)。

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  姐さん
 これは私の作品ではない。写真の会の尊敬していた先輩の作品である。
 彼は私よりも10歳くらい年上であった。例会でいつも立派な作品を出しておられ、出品された他の写真について何時も的確な評価をズバリと発言されており、一目を置かれる存在だった。
 これはどこで撮られたものか知らないが、年増の姐さん芸者の重みと言うか貫禄と言うべきか、そんな感じを受け、頼んで譲ってもらった作品。
 後ろに若い芸者が居り、睨みを効かせているようにも感じられ見事に姐さん振りを捕らえている。私は仕事の都合上2年余で会から遠ざかり、以後彼とは音信不通になった。

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  下の写真は私の撮影。神田明神境内の撮影会。この神社は駿河台の東端にあり、その東は崖のように落ち込んでいる。そこを明神下と言い、嘗ては色町で芸者置屋があった。あるときに撮影会でそこの若い芸者さんに来てもらった。  
 逆光で容姿は分からないが、石畳によく収まり自分ではよく撮れた作品と思っている。撮られることを意識してか彼女たちは頬を紅潮させていた。
 尚、明神下と言うと余談だが、岡本綺堂作の小説「半七捕り物帳」の半七はここに住んでいたことになっている。
 昭和27年、11月撮影

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  撮影会をテニスで遊んでいた女の子達が、興味深く眺めていた。違う社会を覗き込むようなムードだった。
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  昭和28年(1953)11月15日 七五三 明治神宮本殿前の石段を登り振り向いて群集を撮影。
 つぶさに見ると、晴れ着の子が極めて少ない。戦後8年、未だ貧しい時代が続いていたのだ。

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  晴れ着の女の子をカメラを持った人たちが、わ!と取り巻き、ほかの見物人たちも取り巻いた。晴れがましい顔の母親なのか祖母がそこに居た。
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以上

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2009年1月 2日 (金)

NO.119号 私の若い頃撮影の写真        第4回

 この正月前後、陶芸の仕事が窯の関係で休みとなるので、古い写真を探し出し、ブログの材料にしていますが、写真を撮影してすでに50年以上が経過し、満足に保存がされたものが無いのです。その間2度の引越と、改築2回、新築2回で、随分いろいろな物を処分し、写真雑誌は全て無くなっています。従って掲載された写真の本も全部が無いのです。
 はじめにお話した通り写真に熱を上げたのは僅か2年余のこと、作品がそんなに有る訳がないのです。 まさか50年後にブログの掲載材料になるなど考えられる筈がない話。従って残った写真を掲載してもあと僅かと理解してください。


 117号の路面の氷ですが、氷の肌がよく見えませんので、部分拡大したものを掲載します。粉をまぶしたかのように見えます。


 ガード下の住人たち。
 これは蔵前通りの御徒町のガード下。朝日が当たり出した。彼らの左の白いのはダンボールで出来た住まい。警察官が来て絶えず追い払っていたが、直ぐ復活した。ここで子供を作った輩(やから)もいたから驚いた。あの子はその後どうなったのだろう。
  秋葉原駅から200m足らず、大都会の真ん中にもこんなところがあったのだ。昭和27年冬。写真が小さいから人がよく見えない。大きくするのは被写体としてどうかと思うから止めた。鉄骨に象徴される環境描写と見てください。



 米兵と看板を持つ女性
 米国の占領下であり、昭和25(1950)年の北朝鮮の南鮮侵攻とで町には米兵が多かった。戦争は4年間の激戦が続いた。
 看板の字がよく映っていないが、読むとグリル銀作 チキンカレー100円と書いてある。昭和27年の夏の銀座である。1ドルが360円だったから、カレーを米兵が食べれば只のように感じただろう。
 この写真は看板と米兵との対比を写したある歴史のようなものだ。



 遠足
 美ヶ原で偶然遭遇した遠足の行列を撮影。この写真は鈴木先生が健康関係の雑誌の表紙に頼まれて持って行かれた。昭和28年夏である。



 ガード下の風景
 「ガード下の住人たち」 と同じガード下で道路の反対側。以前あった秋葉原の野菜市場に近い。早朝の市場に急ぐ人たちか?写真の中に台八車(荷台の長さが八尺の木造の引き車)が2台見え、引き手が左が男性、右が女性である。
 この女性は下駄履きで、着物に割烹着で、頭に手拭という典型的な働く女性の姿だから八百屋のかみさんではあるまいか?だが、台八に野菜を積み帰ると、大層な仕事である。
 普通は台八一台分が八百屋一日の商い量だから、夫が死んだか病気か、何だか気の毒で、また健気なことである。。
 市場に集まる人の中によくこんな女性を見かけたものである。昭和28年春先、雨後早朝の風景。自動車は未だ極めて少ない。


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以上

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2008年12月30日 (火)

NO.118号 私の若い頃撮影の写真   第3回

  霜の木目  
  昭和 27年(1952)正月、松本市郊外の小川にかけた木橋に霜が落ちて木目を浮き立たせていた。黒いのは木の皮。平凡な写真と思うが、会員と先生が見たことも無い光景に関心を寄せてくれた。夜、空中の水分が氷結して降り注いだもの。東京では霜は寒気で地面に柱立つものを言うが、所変われば霜も変わるということか。信州では東京の霜柱らしいものを見た記憶がない。

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 雪の丸の内
 昭和28年2月東京駅前丸の内、向こう向きで米軍ジープが止まっている。車がいかに少ないか分かる。



 路上の落書き
 戦後10年間くらいは道路は子供の遊び場だった。面白い落書きがよく見られた。車が少ないから安全だった。昭和27年(1952)上野で撮影



 石切り場の休憩
 写真の会では時々撮影会が開かれた。これは栃木県の大谷石の石切り場の風景。よい写真だが手前の男に近づいて、この人をもっと大きくしたら良かった。と先生の評価だった。言われると確かにそうだと思った。
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以上

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