2009年11月 3日 (火)

NO.218号 秋の陽射し、陶友の作品、杜の鍛冶屋作品、一輪挿し。

 今回は唐松の紅葉を編集の予定でした。ところがそれ以前撮影のものが編集漏れしていることが判りましたので、先に漏れたものを編集致します。

秋の陽射し。
 ハナミズキはその花よりも紅葉の方がが美しいと思う。
 嘗て吉川英治は滅び行くものは皆美しいと新平家物語の中で述べ、更にその美しさは落日に映える紅葉のような美しさがあると述べている。
 老境に入っている私から見ると春盛りの花よりも、惜しまれ散って行く紅葉の方に哀惜の感が深い。
 それは親しい友人が次々に亡くなり、それを偲ぶ感懐に似ている。
 自宅のハナミズキ。



 この家を建て直して丁度10年が過ぎ去った。あっという間の出来事だった。、後10年間生きられるかどうか判らないが、又あっという間に過ぎ去るのだろう。楽しく生きてゆかなくてはと、よく妻と話をしている。歳を取るほど過ぎ去る歳月が早くなるのだ。
 
 夏は陽が高く、庇に遮られて庭木の陰が障子に写らないが、今は大きく写っている。







 11月1日 雲
 空に変わった雲が。不思議なことに上の方に空飛ぶ円盤のような緑色のものが写っている。
 2枚撮影したが双方に写っているのだ。思い当たる事が無い。2枚目の写真の物体はこれよりも下に移っている。周辺は2階建て以上の高い建造物は無いのだ。


陶友の作品

 小鉢  作  越 美奈子 径13cm 高7cm
 何の釉か判りませんが、益子の釉のような気がしますが。釉の扱いにより濃淡を出されたものでしょう。


  鉢  作 同  径20cm 高11cm
 呉須に白釉と思います。地味なデザインですが飽きずに長く使用できる作品と思います。


 平皿  作 同   径15cm  高4cm
 単純なデザインですが清潔感の美を感じます。黒と白の対比が巧に表現されています。私好みの作品です。



落ち葉花瓶 作  杜の鍛冶屋  径12cm 高19cm
花瓶いっぱいに紅葉の落ち葉を描きたいと思い作りました。釉は既に施してあり、本焼きを待つばかりです。



 炎  作  同  径14cm 高23cmcm
 以前に炎の花瓶を作りましたが,気にいらずで、又挑戦です。釉掛けも済み窯入り待ちです。



一輪挿し  作  同
 209号で軽井沢銀座で見た一輪挿しを紹介しました。あれは小さな浅間溶岩に穴を開けた簡単なものでしたが、私は強い興味に捕われていました。
 花を飾るには先ず花を買います。花瓶に入れて生け花にしますが手間も費用も掛かります。あの一輪挿しは小さな野の花を穴に差し込んだ極めて簡単なもので、不精な私向きと思い、早速自分で作ったのです。
 焼き物にしたのが3個、浅間溶岩の小石を3個拾い電動ドリルで穴を彫りました。

 一個の大きさは小卵程です。穴は底まで突き抜けです。小皿に水をいれてその中にこれを置きます。そこへ花を差し込めば終わりです。駅の花屋で一束100円の花を買い。早速飾りました。














      安くて簡単こんな有難いことは有りません。      以上

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2009年10月22日 (木)

NO.214号 自宅の花、果物。近隣の花。

自宅の花と果物

(1)ホトトギス 鳥の不如帰の胸羽に似ていることから命名されたそうです。


(2)同 写真は見易いように拡大しています。一つの花びらは1.5cmくらいしかありません。繁殖力が強く自然に殖えます。


(3)紅葉の始まったハナミズキに赤い実がつきました。


(4)実を拡大


(5)柿が熟し始めました。


(6)蜜柑も熟してきました。しかし柿も蜜柑も木が若く、未だ沢山は実りません。両方とも植えて9年目です。


近隣の花
(7)印刷屋さん前で 左の白い花はナデシコ、右のピンクの花はカランコエ(ベンケイソウ科)?


(8)キンモクセイ 多くの家で咲きました。今(09.10.22日)では花は散りました。


(9)花びらと花粉が道路脇を彩りました。


(10)石畳の上にも


(11)ピラカンサ 印刷屋さんの前で


(12)ムラサキシキブの実


(13)教会通りカレー屋さんの前で デュランタ・レベンス(クマツヅラ科)


(14)同 カクトラノオ


(15)同 カライトソウ


(16)教会通りパン屋さんの前で  キク科のルドベキアの一種?


(17)公衆電話の上に生け花が、絶えず花を換えてくださる方がいるのです。これ09年10月15日 左の花はアルストロメリア  右の花はラン科のデンファレ


(18)これは10月21日です。ピンクの花はラン科のバンダ


(19)


(20)ペンタス

(21)トレニアか?


(22)ゼラニューム


                                                  以上

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NO.213号 陶友の作品、杜の鍛冶屋作品、  

 

花瓶 作者  允 (まこと)  
この作品を遠くから見ると、普通の作品との異なりが鮮明になり
印象に残ります。  径18cm 高20cm 

 同 別面


 茶碗 作者  セシル

 径10cm 高9cm 白釉に織部
 柔らかな美しさが作品を引き立てました。


 同 流し釉と云う慣れないと難しい技法に挑まれました。私もこれに随分悩まされました。
 径10cm 高6.5cm


 同


 作者 石川由起子

 ぐい飲みか、楊枝立てか?作者から聞きもらして判りません。
 可愛い小さな形が何ともいえない見事な作品。
 赤土に釉を2種混ぜたものと思います。
 径5cm  高5cm


 同 コーヒー茶碗  径11cm 高9cm
 釉の効果が見事に出ました。


 同 小鉢 この形は楽そうで難しいと思います。私は未だ作った事がありません。


 同 これは器というよりもオブゼというものでしょうか。器に蛙だと思いますが面白い
作品です。凹凸があり、伊羅保釉を巧みに生かしました。
 径11cm 高9cm


 同


 皿  作者  杜の鍛冶屋
 径14.5cm  高4.5cm 赤土、白泥、白釉、織部。


 同 鉢 径14.5cm 高7cm 鉄、白釉


 同 真上から


 同  小鉢 白泥 、鉄,白釉  径13.5cm 高5.7cm



                                          以上

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2009年10月21日 (水)

NO/212号 柳 海剛 梅瓶、唐三彩。

 柳 海剛の梅瓶 (りゅうかいごう のめいびん・ またはばいへいと読む)
 彼は18才で高麗青磁の復元を志す。この焼き物は既に600年前に製作が絶えて技術が失われた侭であった。
 韓国全土を巡りその地の土で試作を継続。遂に現在の柳海剛窯の場所の土が適合することに辿りつき窯を築く。
 青磁は土の鉄分含有量で決まるそうである。
  韓国では 柳 海剛 の作品は輸出が許可制で、簡単には輸出が出来なかった。つまり海外への流出を警戒したのだろうと思う。個展の作品には輸出許可を示すアルミの承認証が貼られていた
 海剛 が没したとき、韓国政府は急ぎ彼の作品を買い集めたが大部分が好事家ものであり、わずか3個の梅瓶しか買えなかったと海剛記念館で聞いた。3個は国宝になった。
  本人の韓国での氏名は 柳 根濚 読み方は ユ ヘガン

 
1894年生~1993年没・99歳
 明治27~平成5年まで生きる。
 。1894年生~1993年没・99歳。
 明治27~平成5年まで生きる。
 
  海剛の作品が日本で売買されるとしたら、輸出承認証が有るか、又は若い時の作品以外には考えられない。
 推測だが当時韓国は輸出が思うにように振興せず、外貨の獲得に苦労していたような気がする。その一環としての海剛 作品の三越個展が成立したのではないか?以後同じ催しは聞かない。だから海剛作品は日本では少ない筈である。
 一時海剛の作品として 大量の偽物が出回った事がある。悪い人がいるものだ。

 下の海剛梅瓶はその個展で私が1973年(昭和48年)に買ったもの。お金が無いから株式を売り、やっと入手した。
 左の肩に承認証が見える。これ買ったときは金色に輝いていたが、あれから36年が経過してアルミの白に変わった。
 国内の取引が少ないためか、価格は安いと聞いた。
 この写真では承認証が金色に見えるが、これは光線の具合。下記のように白である。

 下記は三越美術部の展覧会の挨拶状を転写




 柳 海剛 作  梅瓶

 径25cm 高44.5cm


 輸出承認証


 唐三彩 香炉
 これは親戚の者が台湾の故宮博物館に行き、買ってきた絵葉書の転写です。
 唐の国は618~907年までの289年間続いた。徳川幕府より24年間長い。判り易く云えば8世紀に中国で栄えた
国であり陶器で著しい進化を見せている。これが作られたのは多分洛陽であったと思う。洛陽が唐の陶芸中心地であったからだ。京都のことを洛というのは、この洛陽から来ている。京都の都市計画に洛陽を模写したからとされている。
 嘗て唐三彩の展覧会が上野の国立博物館で開催され、優品多数を拝観した経験がある。

 このような宮廷の財宝が何故台湾にあったか?普通なら有り得ない事である。それは中国国民党が共産党との戦いに負けて台湾に逃げ込み、財宝を北京から約半分を持ち去ったからである。従って故宮博物館は北京にも有るのだ。
 この財宝は北京にあった以前に日本の侵略を避けて2度動かし、中国南部や重慶に置かれたこともあったのだ。その動乱の中で散逸も無く、よく保存が出来たのに感心する。

 香炉の見事さを見てしみじみと思うことである。




                           以上

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2009年10月15日 (木)

お詫び 211号の火焔土器の記事編成中 誤動作で編集中途の記事が登録されてしまいました。 新しく編集の211号に直しましたので、改めてご覧下されば幸甚です。

記事を記入します

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2009年10月12日 (月)

NO.211号 火焔土器

 嘗て日本経済新聞が火焔土器の特集記事を掲載した事があった。その文中にあの土器が作られた時代には恐らく世界一美しい器だったであろうと記事を読んだ記憶がある。

 あの土器が作られたのは縄文時代中期らしいが、何でも今から4500年以前頃ではないかとされている。
 そんな古代にあの素晴らしい作品が日本国内だけで多種多様な形で大量に作られた事実は驚嘆に値する。そんな昔既に素晴らしい文化が国内で産声を上げていたのだ。

 あの作品は現代の芸術と比較しても何等遜色を感ずるものではない。その発見は1936年、新潟県長岡市の馬高(うまたか)遺跡の発掘で発見された。発見は近藤勘治郎・篤三郎親子が大晦日に発見したのだ。
 今から73年前の事だった。4500年もの気の遠くなる歳月地中に眠り続け、その間誰にも発見されなかったのが何か神秘を感ずるものだ。

 その製作は縄文時代に栄えた侭遂に継承されることは無かった
 新発見以後幾つもの発見が現在まで続いており、新潟県の信濃川流域が特に多く、県内各地、長野県北部、福島県西部、東北南部等発見地域が拡大している。既に国宝になったものもある。

 或る発見が縄文遺跡の住宅の柱の穴の底にあったと云うから不思議だが、そのために完全な形での取得が多かったそうである
祭器であったであろう事に異論は無く、その為に大事にされ、生き残ったのであろう。日常用品なら壊れて無くなったと思う。
 嘗て10年以上前に上野の国立博物館で火焔土器の展示があり、私はそれを見てひどく感動し、何時かは作りたいの気持ちを持ち続けて来た。

                 岡本太郎 火焔土器を高く評価
 火焔土器は日本が世界に出せる最高のものである。と彼が評価し、以来普通の陶芸と見
なされてい火焔土器が一躍優れた芸術と評価され始めた。正確にそう云ったかどうかはは判ら
ないが、そんな記事を読んだ
記憶がある。彼が初めて見たのは国立博物館でのことであったら
しい。
   
 火焔土器は2種類に分かれる。

 火焔型土器 上部に鶏頭冠を持つ。

 王冠型土器 上部に短冊形の突起を持つ。

 2種の土器は何故かペアで発見された事が多いのは、対立する二つの何かの関係を語るものと思われる。

                    驚くべき数の土器出

 1996年、道尻手上段集落の南側で調査があり、田の下から敷き詰められた密集度で、大規模な土器群が
が出土した。それは縄文中期から後期まで重層した土器の破片が40万点という物凄いものであった
 以後6年の歳月を経て200個体ほどの様々な土器が復元された。
 然し、そこで復元された土器の姿が何故かインターネット上に出ていない。その土器一個の半分の写真しかないのだ。
道尻手遺跡がどの町にあるのか?記述がない。
 津南町だけで200の遺跡があるそうだから、地元の人は理解しても読み手には判らないのは寂しい。
 
                      十日町博物館
 
 ここに国宝になった火焔土器があることが判った。以下の記事は十日町博物館のホームページより転写。

 




 十日町市博物館の記事はこれで終わりです。写真撮影は当館が行い、そのホームページからの収録です。杜の鍛冶屋撮影のものではありません。


 火焔土器 火焔土器を作りたい一心で、試みの作成。

 
 作 杜の鍛冶屋  05年5月作成。76歳陶芸を始めて一月目の作品
 幅37cm  高43cm   赤土 白釉


 同
 幅33cm 高36cm 普通土 黒釉  09年9月80歳 作成  先号で掲載済み
 

 
 何故二つの作品を並べたか、それは作成間隔が4年あり、4年間でどれだけの差が生じたか?を比較したかったからです。
残念ながら4年前の作品の方が変化に富み気力が充実しているように感ずるのは年齢の違いのせいか?元気をださなくてはと思う。

 新潟で発掘の火焔土器
 4500年前の作品。国宝も含む。
 とにかく本物の凄さはとても杜の鍛冶屋の比ではない,云うまでも無く全て素焼き。千度を越えたと推定される。、
高温をどうし得たか判らない。
 インターネットで各博物館より転写。掲載写真が小さく、大きく写し出せません

 国宝  王冠型土器  新潟県十日町信濃川右岸(川下に向かい右側)段丘上の笹山遺跡で発掘。十日町博物館所蔵。



  火焔型土器
  信濃川西岸 長岡市 馬高(うまたか遺跡で発掘 縄文中期) この土器でも ドキ!!ここだけ写真拡大出来ました。
 、縄文中期。


 王冠型土器 津南町 堂平遺跡 高39.5cm 国有      王冠型土器 縄文中期 津南町堂平遺跡
 4500年前、最盛期

何とも云えない美しさが続く。これ作った人達どんな人だったのでしょう。    
 左 津南町代表的 火焔型土器
 右 津南町 道尻手遺跡 火焔型土器

                                                                         
左 道尻手遺跡 初期 火焔型土器            右 国内最大の火焔土器 高60.7cm 威風堂々で素晴らしい。
 
沖の原遺跡 1953年出土 縄文中期 津南町歴史民族
 資料館蔵 新潟県指定文化財 

 以下 王冠型 3個







 インターネット「火焔街道」より収録の部分説明です


 変わった土器
 左 猿の顔に見えるが。                        右 人が叫んだ顔に見える。

                                    以上



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2009年10月 8日 (木)

NO.210号 東京荻窪の読売文化センター陶芸教室に通う方達の作品展。


 表題に書きました通り、ここに掲載の陶芸作品は陶芸を趣味として、同じ教室に通っておられる方々の作品を纏めてブログで発表するもので、それまでは私のブログの中に時々陶友の作品を掲載した程度でした。
 今回は纏めて陶友の作品としてブログを作成しました。
 陶友は90歳代から20歳代まで、広い年齢層があり、在室年数も20数年から新規入室まで、幅広い層を網羅しています。
このセンターは沢山の趣味の講座、例えば碁、絵画、パソコン、音楽、などの一部門として陶芸教室があります。
 先生は一流の方々を揃え、陶芸の場合週一回の割合で教室があります。好きな日を選び通います。

 私は陶芸を学ぶ一人で今80歳、入室4年目で未だ良い作品が出来ませんが、先生や先輩の優しさに囲まれ、励み楽しんでいます。先輩の中には素晴らしい作品を作られ、それに感動し励まされて来ました。 
 東京以外の他県から教室に通われる方も居られます。
 
 パソコンでブログを始めて現在一年五ヶ月になりました。掲載回数がこれで210回目。見てくださった方の回数が17、300を越えました。最近は一日の訪問人数が初めに較べて大分増加し、一日に100人を越える日も珍しくありません。ブログの稼動は24時間昼も夜も読者があります。9月の半ばに陶友の作品だけのブログを初めて作成しました。
 会場を借りての個展は費用も手間も大変ですし、作品数も大層な数が必要で、一年に一回か二回が精々ですし、その上来場者も僅かな知人だけ。然し私のブログだと只で参加でき、遠い知人親戚にも見て戴くことが出来るし動員人数も違います。

 今回で陶友だけのブログが2回目になります。作品の優劣には気にしないで作品を出して戴く為に、ニックネームでの展示でお願いし、気軽なご参加を出来るようにしてあり、中には本名での方もあります。

 ご覧の上ご批評を戴ければ幸いです。右の端の文章の下方に書き込み欄があります。
 
 陶芸教室作品展

 掲載は作品の撮影順です。今回の撮影は59枚、選択し27枚を掲載。
 撮影は陶芸教室の工作台上。僅かに台の汚れが写る場合が有ります。
 文中に同とあるのは上の作品と作者が同じの意です。

(1)鉢 越 美奈子 作

  均整の取れた形、縁添いの細かな美しい模様など優れた作品。
 径20cm 高10cm


 同・角度を変えて。


 同・(2)織部が美しく


 (3)茶碗 須藤雄一郎 作

 製作の早いのも、沢山作るのも教室一。しかも絵が得意で作品は優秀。誠に羨ましい。
 これだけの作品になると、プロの作品に匹敵すると思います。
 径13.5cm 高8cm


 角度を変えて


 (4)同・花瓶
 径9cm 高9cm


 (5)同・五角茶碗
 径11cm 高8cm


 (6) 同・片口 (かたくち) 酒を徳利に注ぐ器
 径18cm 高6cm


 (7) 同・片口
 長14cmx高6cm
 右端を持ち蕎麦を食べたらとフト想いました。


 (8) 吉平 作

 径19cm 高4cm
 どっしりとした安定感と熟練された手法を先ず感じました。白泥に織部が巧みです。
 何を盛ったら似合うでしょう? 果物でしょうか、それとも和菓子?。
 

 真上から


 (9)同  
 デザインが斬新。美しい器、食べ物が美味しくなりそう。
 径15cm 高10cm


 (10)同  上記と同じ鉄に白釉 綺麗に出来ました。


 (11)同・植木鉢 
 
長37cm 幅19cm 高19cm 大作です。伊羅保に織部と思います。
 これだけ大きくなると焼き上げて歪みが出来がちですが、これには有りません、均等な厚さに出来ているからと思います。
 渋さと美しさがよく整っていると思います。


 側面を」ご覧下さい。面白い紋様が見られます。見やすいように明るさを調整しました。


 (12)大型片口 竹屋 作

 径23cm 高6cm
 この色どうやって出しましたか?と何人もの人が聞いていました。色も流石ですが美しさも光りました。


 同・ 真上から



 (13)同 大皿 
 板の角を押し付けて直線を描いた力作。手に取ると重みと量感がひたひたと伝わります。刺身でも沢山並べて一杯やりたくなります。
 27.5cm×27cm 高2。5cm 左下に作者 印


 (14)同・ 
 24cmx18.5cm 右上に作者 印


 (15) 皿 星月夜  彦左衛門 作

     計13cm 高3、5cm
  江戸時代の儒学者 佐藤一斉の残した言葉。彼は商人であったが、60歳の高齢で学を志し名を残した。当時の60歳は今の何歳になるのだろう。
 私は4年前76歳で陶芸を始めた。それは暗夜の中であったが、この言葉に励まされた。この作品を見て一斉の言葉を思い出した。
   
    「一灯をひっ下げて暗夜を行く 暗夜を憂うる事なかれ 只ひたすら一灯を頼め  佐藤一斉 


 (16) 皿  允(まこと) 作

     径21cm 高8cm
  一色で濃淡を大胆に決められ見応えのある作品になりました。次は裏面です。


 裏面 浜田庄治は砂糖黍を題材とした作品が多く、彼のトレードマークとなりました。この絵も作者のマークになりそう。一目で作者名が判り有名になられるとよいですね。


(17) 陶板絵 土利 作

   83歳の方の作品です。面白い題材と思いました。
    21.5cmx15.5cm  厚2cm


 (18)同



 (19)火焔土器    杜の鍛冶屋 作

 09.9.12日素焼きが出来ました。


 (20)本焼き

 釉は何をと陶友に聞かれ、こちらも判らなくて迷いました。黒釉に決め焼けたのが10月3日でした。 黒と土色の混じりに仕上がる予定が黒一色となりました。黒釉は薄いと土色になり,まだら模様を期待していたのでした。黒釉が濃かったのが原因でした。新たな経験です。 思うようにならないのが陶芸の難しさです。


 他面


 今回は参加者も増え、力作が揃いました。参加者が更に多くと期待しています。 以上
 

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2009年9月12日 (土)

NO.205号  杜の鍛冶屋および陶友の作品。

ここに掲載の陶芸作品は私と同じ陶芸教室に通う方々の作品です。

 
クミさんの作品。

個性的な塊を作り、それを積み上げた独創的な作品です。底がなく壁面に小穴が有りますから花瓶か照明のカバーでしょう。
径18cm 高 25cm 

 

     三村さんの作品
       俳句   蝶舞うや チャールストンと 云う黄バラ  

        チャールストンはバラの名、この方俳句の名手。92歳で字も陶板も自作。
        眼鏡不要で驚き。
        30x30cm



 須藤雄一郎氏の石榴(ざくろ)皿
 絵がお上手で極めて早く書き上げます。老練の技で羨ましいです。作品は全て友人へ。 私も一枚頂ました。
 径25cm 高5cm


 同 絵皿
 青呉須の絵の上に白釉です。呉須の濃淡を巧みに生かしたものと思います。
 計25cm  高5cm


 
 前の皿と同じ手法ですが。一本の斜めの線が作品を生かしていると思います。この方の製作の速さは誰も適わないでしょう。
 計25cm  高5cm


 彦左衛門氏の皿3枚。
 
ご家庭の使用品は全て作られます。バックを黒に出来ず、教室の工作台の上に並べました。
 径10cm  高4cm


 忠兵衛氏のコーヒー茶碗。
 
教室一番の若手ですが、中々どうしてスマートな作品を作られます。これもコーヒーを美味しくして呉れそうです。
 径9cm 高8cm  取っ手抜き


 同 朝食皿
 食卓へのオカズの盛り合わせになさるのでしょうか。
  18x22cm 


 越 美奈子 さんの鉢
 
鉄釉に白釉をかけた由、美しい素敵な作品です。
 径16cm 高12cm


 同 


 竹屋さんの作品 鉢
 
赤土に白泥を回し塗りしたものに透明釉です。赤土がこんな色に変わりました。思い切った作り方に感嘆。



 同 
 
作品の感じが大分変わりました。ご本人はこの作品の方がお気に入りです。



 同 大皿
 先生の話では「皿千枚」と云う言葉が陶芸にはある由です。千枚くらい作らないと一人前の皿師には成れないと云う意味です。
 皿は縁がが垂れ下がり易く、ヒビの原因になりやすく難しいです。私も挑戦してどれだけ失敗したことでしょう。径が2割長いと価格が倍にもなるそうです
 刺身か蕎麦の盛り付け、サラダにも似合いますね。
 32x4cm


 
 今回の同氏の作品4品の中でこの作品が私は好きです。独創性が高いと思います。黒釉に白釉。
 22x7cm


 同、方向を変えて
 
作品の撮影で一番難しいのは器の光の反射の扱いです。プロの様にスタジオでないと困難です。これも方向を変えて何枚も撮った一枚です。



 允(マコト)さんの壷
 今までのこの方作品から大きく転換された作品で、おおらかさが謳歌されたように思いました。想像も出来ない模様も素晴らしいと感じました。
 径22cm  高23cm


 同 別面



 杜の鍛冶屋の火焔土器
 これは製作を始めて既に3週間が経過しました。大きなものですから自宅に持ち帰り作業を継続出来ません。教室は週一回ですからどうしても日数が掛かります。これは粘土で整形が終わったところで,乾燥後に素焼き,釉かけ、本焼きとなります。
 大きなものは乾燥過程でヒビが入り易く、気長に少しずつゆっくりと水分を抜かなくてはなりません。
 陶友に釉は何を?と聞かれますが、私が聞きたい方です。高さが50cm位で焼くのも大変です。本物は素焼きですが、大層高い温度で焼いたらしいです。推定千度と云いますから、どうしてその高温を得たか不明の由です。
 火焔土器は新潟県の長岡市馬高遺跡と、宮城県の大木囲(だいぎかこい)貝塚遺跡から出土したようで、それは火炎土器と書き、字も違います。?
 二つの似た土器が遠く離れた土地で発見されたのに大きな興味を感じます。註・左奥の籠は捨てる作品の籠でストーブではありません。


 同 反面



 丘さんの中鉢
 背景の黒幕の持ち合わせがなく、教室の工作台で撮影しました。この方の昨年の作品を思い出しました。それは丑の字を中心にした長い平皿でした。丑の字の色を変え数枚の作品で、12月にお正月に備えた素晴らしい作品として忘れられません。
 径18cm 高6cm この寸法が食器として一番使いやすいそうです。

                                  以上

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2009年9月 4日 (金)

NO.204号 天草への旅 第五章 天草下島から天草上島を経て大矢野島から九州本土に渡る。

 8月18日は今回の旅の最終に当たる。それは天草下島から天草上島を経て大矢野島の天草四郎のメモリアルホールを訪ねる。
 天草下島から天草瀬戸大橋を渡り,風光明媚な有明海を左に見ながら幾つもの名のついた観光道路をバスが快適に走る。観光道路は詳しくは第一章の地図に詳しく書いてあるのでご参照下さい。

  バスが観光道路を走るだけで天草上島には主要な見るべきキリシタン史跡らしいものがどうも紹介されない。上島から九州本土へは五大橋と呼ばれる巨大な橋が架けられており、バスのガイドさんが盛んに薀蓄を傾けた説明をされた。バスを停車させて橋を見ないから建設工学を学び構造に興味がある私には何か物足りないが、老人ばかりの旅で今日中に東京に帰らなくてはならないのだから仕方がない

ここの道中でのガイドさん(女姓)の歌が素晴らしく、プロかと思わせるものだった。

 大きな橋は小さな島々を飛び石伝いのように橋脚を建てて渡って居る様であった。
 下島から上島を経て一気に大矢野島まで走ったことになった。
 そこは天草四郎の生地であり聖地であった


 ここに熊本国府高校パソコン同好会の書かれた天草四郎の物語があるので一部を転載させて戴く。




 天草四郎メモリアルホール (追悼会館)

此処の辺りに四郎の家が有ったと推定されたようだ。




 四郎像ヘの道


 道に沿って


 道端にアジサイが


 四郎銅像



 四郎銅像の礎石の文字



 上記載の文字拡大



四郎の墓、或る家の石垣の中に有るのが発見された。


 隠れキリシタンの墓、昭和42年の発見今度の旅で最も感動したものの一つでした。


 この時代によく石碑が出来たと思う。普通石碑など作れない。台座にクルスが刻んである由。







これは偉い人のものか?



ホールの前にコスモスが咲いて


ここからバスで一路熊本空港へ羽田着は20時30分でした。

以上で天草ヘの旅ハ終わりです。今度の旅は永く思い出す事になりそうです。

               杜の鍛冶屋 敬白


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2009年8月25日 (火)

NO.200号 天草への旅。

 09年8月16~18日の3日間、私たち夫婦は念願の天草への旅を致しました。その記録です。今回は平素の編集文は暫くお休みとして、3日間の記録のみで編集致します。

 あれは昭和17年、私が中学2年の時と記憶する。太平洋戦争開戦2年目に当たるが、歴史の教師として京大出の若い先生がが赴任して来た。その先生が天草の乱の説明をされた。

 その話の中で、江戸時代毎年行われた踏み絵と仏教帰依の強制に触れ、農民は踏み絵をした後に自宅に帰り、足を綺麗に荒い、洗って汚れた水を呑み干して、神へのお詫びの祈りを捧げたと話されたのだ。
 生徒はそこで皆一斉に笑ったが、私は衝撃でとても笑えなく、鮮明に記憶して宗教の恐ろしさを感じたのだ。
 乱の原因は歴史でよく分析説明されているが、足を洗った汚水を飲み干すのにはいたく感動し、どうやってそれほどの信仰を与え得たのか?かの地へ何時か行って見たいと思い続けていたのだ。
 行って見て判ったことも多々有った。それは後ほど現地を見ての感想の所で述べるとして、行程に従い写真と説明を述べて行こう。
 
 (1)下の地図は熊本県と長崎県に跨る有明湾周辺地図である。
 その次の地図は行程を赤で書き込んだもの。

 有明海は広い内海で波静か、潮が引くときは2kmもの干潟が現れるところがあると聞かされた。先々の食事では大層美味しい刺身が食膳に上った。

(2)以下は行程表。場所を見易くするために色をつけ地図上で発見しやすくしました。



目の良い方は次の図でご覧下さい。


(3)三越の旅、羽田空港 8月16日午前12時離陸。昼食は機内で。熊本空港着1時半。
 羽田は行く度に規模が大きくなっているのを感じました。


(3)八千代座 国重要文化財
 熊本市の北に山鹿市があり、バスはそこの八千代座に着きました。
 明治43年(1910)新たに完成、江戸時代の建築様式を受け継ぐ。これ等と同じ芝居小屋(当時はそう云った)は日本中に戦前多く存在したが、その殆どが今は無い。八千代座は貴重な存在となった。
 二階建、舞台に向かって傾斜の升席、回り舞台のレールと車輪はドイツ・クルップ社製。映画上映も出来た。著名な俳優の殆どがここで演じた記録がある。外にバイオリン奏者、オーケストラ演奏、バレー公演等、演劇が主だが広く招請が行われた。

 二階から撮影、舞台の人は解説者 聞いているのは旅行者。収容人数・建設時階下830人階上444人計1274人現在と建物の大きさが変わらないが、人が大きくなったので減っている由。



 天井は広告で埋め尽くされていた。昔私も似た広告を田舎の舞台で見た記憶がある。シャンデリアは戦中金属供出が義務化されたが,どうも隠しておいたらしい。それ程物が無ければ戦も負ける訳だ。シャンデリア左の黒いものは照明設備で後年のものであろう。




(4)山鹿灯籠民芸館
 この山鹿市には昔から発展した山鹿灯籠祭りが有ります。その灯籠は和紙と糊(のり)で出来ています。どのような経緯でその作成技術が発展したか不明ですが、糊と紙で精巧な作品を展示した民芸館が有りました。
 糊と紙で出来た法隆寺の模型が展示されていました。



 元銀行の建物が民芸館になりました。二階からの撮影で、明かりの灯っている灯籠も下の作品も全て紙と糊の芸術品です。



 (5)山鹿灯籠千人祭
 山鹿灯籠祭りは8月15~16日に毎年開催され、雨天は行われません。我々一行は幸運にも快晴の中で見物が出来ました。この祭りで7万人の山鹿市に2日で30万人の人が集まるそうです。場所は広い小学校の校庭に、金属製の頑丈な観覧席が組まれており、我々はその一番高い所で拝見出来ました。夕方から深夜まで3回に亘る公演で、我々は1回目を観覧できました。

 開演前 既に満席でした。



夕陽が落ちる頃、少女達の入場が始まりました。薄暗いところを歩いているのでシャッタースピードが遅くなり、どうしてもボケが加わりました。



 正面の女性歌手が歌って、幼い少女達が踊り始めました。千人には未だとてもなりませんが、踊りは全て女性でした。男性は太鼓を叩く
人達10人程だけで、正面奥右の白い背景の前に居並んでいました。見物人が一斉にカメラを向けたので、液晶が白く写りました。


 金色の灯籠を被った少女が思い思いの浴衣姿で可憐に踊りました。紅浴衣の大人指導員の浴衣の文字は野口雨情作詞の民謡歌詞の部分を模様にしたもの。頭上の灯籠には全て灯が灯されています。光源は電池の由。
 この灯籠には歴史があり、昔、景行天皇がこの地を訪れんとしたとき、深い霧で道が判らず、村民が上げて松明(たいまつ)を灯し先導した故事によるとありました。(この件後に書きます)


 
 中央の壇上には歌手、三味線、太鼓で7人でした。後に更に増えましたが。



 次第に暗くなり、踊り手が浮かび上がりました。



 同


 勇壮な太鼓が鳴り始めました。



 踊る人数が刻々と増えて、暗い中、灯篭の明かりだけが目立つようになりました。少女達は退場しました。



 カメラの方角を変えたら画像が変わりました。



 会場の明かりが一斉に付き、ウオーと云う見物人の歓声が沸きました。



 同



 歌手が男性となりました。壇上の女性が増え、あでやかな風情が満ちました。



 この撮影がベスト。どの踊りの写真も撮影位置も、カメラも同じ一つのカメラです。



 景行天皇の件です。12代天皇でヤマトタケルの父とされているが、12代、13代、14代の天皇は架空のもので実在しなかったとの説があります。
 実態は私には判りません。

    次号201号にこの旅行記を継続してまいります。一日目の半分を書いただけです。

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2009年8月19日 (水)

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NO.199 号 井上萬二・白磁展、杜の鍛冶屋陶芸品、肉筆浮世絵、障害者の絵、近隣の花

人間国宝・井上萬二 白磁展
  この作品は2009年6月9日~29日まで、井上先生傘寿記念(80歳記念)として銀座和光で開催された作品展のものです。
  ご了解を頂き掲載を続けています。

(1) 白磁瓜形壷   25x17cm


(2)白磁百合口花瓶  22.5x27.5cm


(3)白磁黄緑釉公孫樹文耳付花瓶   14x35cm


(4)陶友 須藤雄一郎氏の皿  15.5x4.5cm


(5)杜の鍛冶屋作品
  黄瀬戸釉織部渦巻文皿  13x6cm


(6)伊羅保、織部、黒釉茶碗  12.5x6.5cm


(7) 肉筆浮世絵
 掲載の資料は昭和49年羽黒洞刊、三越本店での展示カタログより。
説明文は羽黒洞創立者、肉筆浮世絵収集の故・木村東介





(8)




 (9)あいアイ美術館提供 障害者の絵


(10)同


 近隣の花  旅をして見ますと、地方に較べて東京に抜群に花が多いのに気付きます。私の近隣の花は自宅から半径500m以内の撮影なのです。それでも、少し歩いただけで、相当な量の花が写せますが、地方ではそうはなりません。何故なのでしょう。
(11)トレニア


(12)オシロイバナ


(13)スイフヨウ(酔芙蓉)---一日花。午前中は白色をしていますが、午後になると酔ったようにピンク色になります。


(14)不思議な花


(15)ブッドレア


(16)


(17)今はサルスベリが全盛。


(18)


(19)ルリマツリ


(20)ノボタン


(21)ヤブミョウガ


(22)ポーチュラカ


(23)


(24)カメラを向けたら蝶が来て花にとまりました。直ぐ去り残念。ランタナ


(25)ペンタス


                                                   以上

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2009年8月10日 (月)

NO.198号 井上萬二・白磁展、森の鍛冶屋作陶品、肉筆浮世絵、障害者の絵、妻恋村ユリの花

井上萬二・白磁展

(1)白磁線壷  
21x33cm


(2)白磁染葡萄彫文面取壷   
21x28cm


(3)黄緑釉牡丹彫文目面取壷   
22x27cm


(4)杜の鍛冶屋作品  銘 信濃の国 織部白釉花瓶  
18x21cm

長野県は幾つもの山脈により区分された平野や盆地で成り立ち、言語、習慣、嗜好などが山に遮られ
ての変化が見られます。南北に長いために南北端では相当な違いとなります。それを花瓶にして見ました
平地は殆どが段々畑です。川は日本海と太平洋の何れかに注いでいます。


別面


肉筆浮世絵


掲載の資料は昭和49年羽黒洞刊、三越本店での展示カタログより。
説明文は羽黒洞創立者、肉筆浮世絵収集の故・木村東介
(5)



(6)





あいアイ美術館提供障害者の絵  私にはこんな素晴らしい絵はとても描けません。太陽が小さくて極めて現実的です。
(7)


(8)
同 花火を飾るように額を工夫して見ました。



群馬県吾妻郡妻恋村で
 有名なキャベツの産地です。そこを撮影して途中の花を撮りながら鹿沢ユリ園に行きました。
 このユリ園はスキー場にユリを多種植えて、夏の観光地としたのです。冬は勿論スキー場です。3年前から開園し球根が育ち、沢山の
花が咲くようになりました。

(9)妻恋のキャベツ畑。


(10)同拡大


(11)道沿いにこんな花によく遭遇しました。


(12)道沿いの畑の畦でこんな花に会いました。


(13)桔梗の花、もうそろそろ終わりかと思いました。


(14)あらゆるユリの乱舞というところ。


(15)


(16)


(17)


(18)


(19)


(20)


(21)


(22)


(23)


(24)入園料は千円、登りはリフトで400円。歩いても登れます。

                                     
                                                     以上

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2009年7月31日 (金)

197号 井上萬二・白磁展、杜の鍛冶屋陶芸作品、肉筆浮世絵、障害者の絵、近隣の花

 井上萬二・白磁展
 この作品は2009年6月9日~29日まで、井上先生傘寿記念(80歳記念)として銀座和光で開催された作品展のものです。 老いて尚旺盛な作陶意欲に敬服です。ご了解を得て紹介させて戴きます。尚先生は私と同年同月の生まれです。

(1)白磁染麦彫文壷   径31.5  高23.5cm
 純白の白磁にうっすらと絵が施されています。80歳で何の迷い無いこの線描に感嘆します。


(2)白磁緑牡丹彫文面取壷 径26.0 高31.5cm
 面取りの技法(表面を板で叩き、六面を作る)そこに絵が描かれています。


(3)白磁壷  径26.0 高23.5cm
 白磁無垢そのもので、これを好む方も多く居られます。


東京新宿の京王ホテルは、社長が大小の井上先生の作品を永年掛けて収集した事が広く知られています。

 杜の鍛冶屋 作品
(4)多彩花瓶  径13.0 高15.2cm


・他面


(5)柿釉赤十字皿  径18.0  高3.2cm


肉筆浮世絵
掲載の資料は昭和49年羽黒洞刊、三越本店での展示カタログより。
説明文は羽黒洞創立者、肉筆浮世絵収集の故・木村東介
(6)
 昭和49年三越本店で展示販売、380万円の値付けであった。


(7)


(8)


 (9)あいアイ美術館提供 障害者の絵


(10)


近隣の花
(11)ランタナ


(12)エケベリア・スブリギダ(別名:オボロヅキ(朧月))(ベンケイソウ科)  これが花なのか?不思議に思いました。


(13)7月27~28日と2日間、福島県白河の羽鳥湖高原にゴルフに行きました。海抜950mの高原です。
そのコースの池に蓮の花がいっぱい咲いていました。


(14)コースの途中で訳の判らないこんな木を見ました。どうして出来たか?不思議でした。木の生命力でしょうか。


(15)イヌタデ 近隣の花に戻ります。野原などでよく見ますが。


(16)ムクゲ


(17)ガーベラ


(18)アベリア


                                          以上

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2009年7月29日 (水)

NO.196号 続・井上萬二 白磁展、杜の鍛冶屋陶芸作品、障害者の絵、肉筆浮世絵、近隣の花

 続・井上萬二 白磁展 

(1) 白磁緑牡丹彫文花形花器
  径39.5cm 高10.5cm

 数字で見るごとく相当大きなものです。白磁の美しい曲面を写しだすことは極めて困難です。これはカタログからスキャナ処理再現したもので、展覧会等でお作品を直に拝見すれば、その素晴らしさに感動します。



 (2)白磁菊彫文壷
 表面を上下に走る微妙な線がささやかに写真に描かれています。 径31cm 高29.5cm 大きなものです。


 3)白磁緑釉牡丹彫文壷 径30.5cm  高25.5cm


(4) 杜の鍛冶屋作品
 油滴天目茶碗、(黒釉)径11.3cm  高7.0cm


(4)同作、黒釉白釉掛茶碗  径11.0cm  高7.8cm


(5)同作、伊羅保、織部、黒釉 蓋物  径10.7cm  高10.0cm


(6)川越 時の鐘
 川越は江戸城の北西に位置する重要な所として、江戸時代幕府重鎮が城主を務めていました。
 有名な時の鐘は時刻を知らせる鐘として有名です。
 下記はインターネットからの転載です。あいアイ美術館は川越城の側にあります。


7)あいアイ美術館提供 障害者の絵 2枚とも川越・時の鐘


(8)



(9)肉筆浮世絵 
掲載の資料は昭和49年羽黒洞刊、三越本店での展示カタログより。
説明文は羽黒洞創立者、肉筆浮世絵収集の故・木村東介





(11)


(12)





近隣の花

(13)ハイビスカス


(14)同


(15)同


(16)ホウセンカ


(17)ホウセンカ      蟻が多数


(18)ゼラニューム


(19)カライトソウ(園芸種かも知れません)


(20)ベゴニア


(21)ポーチュラカ


                                          以上

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2009年7月24日 (金)

NO.195号 続・井上萬二 白磁展、杜の鍛冶屋陶芸品、肉筆浮世絵、障害者の絵

続・井上萬二 白磁展
(1)黄緑釉薔薇彫文壷 径35.5cm 高35.5cm


2)白磁黄緑釉夕顔彫文花瓶 径28.0cm  高45.5cm
  高45.5cmで相当な高さで、堂々たるものです。


(3)黄緑彩釉花紋大皿 径45.5cm 高7.5cm


 杜の鍛冶屋陶芸品
4)伊羅保、織部釉茶碗 径9.0cm高6.0cm


(5)同


(6)伊羅保、織部、黒釉 茶碗  径8.5cm 高7.4cm



肉筆浮世絵
(7)掲載の資料は昭和49年羽黒洞刊、三越本店での展示カタログより。
説明文は羽黒洞創立者、肉筆浮世絵収集の故・木村東介




(8)



                                                          
あいアイ美術館提供 障害者の絵 
岩崎喜裕 画伯 


 
 川越・蔵造り 岩崎喜裕 画伯


                          以上





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2009年7月20日 (月)

NO.194号 井上萬二白磁展、杜の鍛冶屋作品、、障害者の絵、近隣の花。

井上萬二作陶展





 井上萬二先生は1929年(昭和4年)3月生まれ、私と同じ年、同じ月に生まれで80歳になりました。今は既に人間国宝としてあまりにも著名な存在です。
 今年3月文化庁が作陶の様子を描いたビデオを作製し、頒布しました。銀座和光で今年6月33回目の個展が開催され、会場でそのビデオが上映されました。
 彼の作品は、写真を見ただけではとても伺い知ることは困難で、白磁の作品では先ず日本一と言って良いでしょう。どうしても実物を真近で拝見しないことには、その素晴らしい高い品格を知ることは不可能と思います。
 私が初めてその作品を購入してから既に40余年が経過し、幾つかの作品を買い、年賀状の交換がずっと続いています。
 今回も彼の了解を得たのでカタログの作品を連載したいと思います。  杜の鍛冶屋 敬白

 (1)     白磁丸形壷 径37.5cm  高39.0cm


(2)        白磁緑釉桐彫文壷  径34.0cm  高37.5cm


(3)        白磁瓜形壷   径33.6cm  高40.5cm




(4)        杜の鍛冶屋陶芸品 伊羅保鉄釉皿 径13.0cm  高5.0cm


(5)        作同 織部透明釉皿 径14.2cm  高4.7cm


(6)        作同 白釉茶碗 径10.0cm  高8.5cm


(7)  あいアイ美術館提供 障害者の絵 「かぶ」 吉元耕平 画伯

 近隣の花
(8)バーバスカム(ゴマノハグサ科)か、あるいはデルフィニューム(キンポウゲ科)か?


(9)ゴーヤか?


(10)センニチコウ


(11)ヒルガオ


(12)マンデビラ(キョウチクトウ科)


(13)この小さな花が天沼公園に沢山咲いていました。


(14)サルスベリ


(15)これ、山に実る「あけび」の実です。信州の山で少年時代よく採りました。


(16)ペチュニア


(17)


(18)カサブランカ(日本のヤマユリを使って欧州で育種改良されたものです)



                                                       以上

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2009年3月27日 (金)

NO.141号 兼田昌尚先生 作品、杜の鍛冶屋 作品、近隣の花。

 兼田先生 作品
 ①白釉窯変花器  24.2x23.0x32.0 cm



 ②灰被花器 19.3x18.3x27.0


 ③白釉窯変花器 24.0x19.0x26.5


 ④灰被花器 21.8x15.0x24.7


 杜の鍛冶屋 花瓶  油滴天目及び緑釉 径12.2x高16.2 cm
090327_kabin_2

 ①近隣の花 桜巨木の影の花大根 

 ②花と黒猫 右の車庫の上に黒猫


 ③白樺の新芽爽やかに


 ④れんぎょう真っ盛り


 ⑤立て札で古文書を収めた長屋門。しかし屋敷は既に無く幼稚園になっています。


 ⑥実に見事な木瓜の花 樹齢は如何ほどでしょう。木瓜は成長が遅いのです。
090327_boke_2

 ⑦満開近し海棠。これ開いたら壮観。海棠の花は永く咲いて好きです。
090327_kaidou_2

 ⑧駐車場に地に這うように咲いていました。ローズマリーというそうです。



 ⑨これも同じ所に、ベンケイ草科の由。




                                              以上

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2009年3月21日 (土)

 NO.140号 兼田昌尚先生作品4題、杜の鍛冶屋花瓶、井の頭公園の桜、自宅の花、近隣の花。

 兼田昌尚先生 作品 
 ①白釉窯変花器
 36.0x33.5x40cm



 ②灰被花器
  21.5x23.0x30.3


 
 白釉窯変花器
 26.5x26.5x31.0


 
 灰被花器
 26.5x21.5x26.8




 杜の鍛冶屋 花瓶
 径9.5x高16.8 cm



 ①井の頭公園の桜 
 桜の蕾も大分膨らんで来ました。以下の写真は昨年の井の頭公園の桜を撮影したものです。今年は昨年よりも
 早い開花となるでしょう。




 同 ②



 同 ③



 杜の鍛冶屋宅で咲いた花追加。
 白水仙


 ①木瓜(ぼけ)の花 小さな木によく咲いて呉れました

 ②同 木瓜の花 上と同じ枝です。


 ここから近隣の花に移ります。カメラを持って歩くと、永年住みながら全く気付かないでいた花が意外に多く、新たな発見に驚きました。それもそんなに遠くない近いところに、花開いている大木に巡り会う事がありました。いかに漫然と歩いていたかが判りました。
 これらの近隣撮影には300m四方位の狭い範囲でこれだけ撮影出来たのに感謝しました。

 木瓜の花 木瓜と言うと低い藪のようなものを連想しますが、これは随分背が高くて感心しました。これは木瓜ではないのでしょうか?




花大根 ①ごく近い所に群生していました。初めての発見でした。



同 ②


辛夷(こぶし)の花 ①先回撮影の時蕾だった花です。


 同 ②


辛夷の大木 ③ 極く近い所のこの大木も今まで全く気が付きませんでした。



 木蓮(もくれん)①


 木蓮② これも極く近い所で大きく咲いていて驚きました。

 木蓮③


 雪柳


 白樺の白い木肌が目に入り、見上げると緑の新芽が吹き初めておりました。これも新しい遭遇でした。


 杏(あんず)の大木、3階建て位の見上げるような大木に驚きました。これに実がなったら壮観と思います。奥深い広い家で注意していないと、見落とすところでした。杏は大木になります。



 何の花か判らない。知って居る方教えてください。梨の花?


 同


 ミモザの大木、これも注意しないと見落とすところ、今まで見たミモザの中では最大です。


 椿よく見る花ですが、通っていてわかりませんでした。



 見事な椿の大輪に見とれました


 紅カナメが新芽を一斉に吹き出し、町を美しくしてくれます。一番目立つ木と思います。

                      

以上
                            

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2009年3月20日 (金)

NO.139 兼田昌尚先生の作品四題、杜の鍛冶屋の作品、早めの春、石神井公園。

兼田昌尚先生作品
①陶 66.3x29.5x51.5cm
  66.3cmが幅ですから大層大きなものです。陶器のジャンルに捕らわれない更に飛躍した芸術のように思
えます。
 今回の4品はいずれも大きなものです。



同 ②陶 50.5x34.5x54.5


同 ③白釉窯変花器 41.5x29.0x42.0


同 ④白釉窯変花器 33.7x32.0x42.5



杜の鍛冶屋作品 茶碗



同 別面



 杜の鍛冶屋宅の早めの春
 自宅だけの早めではありませんが、春があっという感じでやって来ました。
 9年前に植えた杏が4日前に赤い蕾が見えたと思ったら、もう8分咲きです。今年は沢山の実をつけるのを期待しているのですが。



同 カリンが花芽を出しました。



同 花達










 石神井公園  (東京都練馬区石神井台1-2丁目)

 この公園を訪れたのは2度目です。一度目は白鳥が来たとのニュースで行き、大勢が行ったので白鳥が飛び去った後でした。公園の鯉の写真だけをブログ掲載しました。
 公園は石神井池と三宝寺池を囲んだ細長い公園です。1週するのに結構な距離があり、散歩する人が多いです。
 以下はネットの記事転載です。

 公園の池に沿い北に車道があり、実に立派な住宅が南傾斜の土地に並んでいました。前を歩いていた数人の年輩の女性たちが 「こんな家に一体どなたが住んでいるんでしょう?」 とささやきながら歩いているのが聞こえてきました。
 差し障りがあるといけないので、ここで写真は載せませんが、表札の無い家が多かったようでした。
 風景に相応しいイタリヤ風レストランがありました。
 





池畔の花 この時期に咲く花がまだ少ないのが残念でした。


 豊島区の名が付いたのは昔の豪族豊島(としま)氏からで、はじめは豊島区あたりに住み、南下して石神井に居城をこの池の南に建てたようだ。跡地が住宅の押し寄せで狭く、300坪程度の林に空き堀が僅かに残されているだけで、我々の概念の石垣のある城跡ではなく、居館の跡地の感じで池畔からだと4~5m高いだけの平凡な林で、撮影をするまでも無いものであった。
 史書によると3,000坪もの面積があり、発掘調査で土塁、空堀、郭の遺構などの配置が判明し、15世紀初頭の関東動乱期の構築と推定され、それ以前から城として進出居住していたことが 「新編武蔵風土記稿」 に記載されているそうで、近辺からの出土品のいくつもの板碑には1,200年代の優れた立派なものがあるそうだ。板碑とは平石に佛語やそれに関わる仏絵を刻んだものもあり、材料は秩父青石が多く、年月日、供養者、作成の趣旨などが刻まれた卒塔婆であり、池の周辺や石神井川沿いに豊富に出土した。

 豊島氏の出は平家で、平安時代半ば頃に京都の大火や疱瘡の伝染や、争乱を嫌ってか?一族が関東へ移住したのが始まりで、いくつもの拠点を確保し、関東各地を制覇した歴史が有った。豊島氏自身がいくつもの拠点を有し、一族の宗家であったようだが、平将門との縁については不明。
 その後八幡太郎義家が登場し、前九年と後三年の役では豊島氏はそれに従軍し、関東は源氏の台頭著しく、その中で重く用いられたようだから時代の流れに乗る情勢判断に優れて、永く豊島家の安泰が続いた。
 その間いくつもの戦乱を巧みに泳ぎ、存続が続くが、関東の争乱の中で太田道灌に攻められて惨敗し、史上から姿を消し、この時は情勢判断を誤ったが、希代な戦略家であった道潅の働きの前で空しい最後となった。
 記録では10代目の豊島影村の時領地が豊島、足立、多摩、児玉、新座の5郡に及んだとあり、影村は豊島家再興の英主とされている。
 豊島家が滅亡したのは17代豊島泰経(としまやすつね)のときで、当人が亡くなったのは1477年であったとされる。この年京都では永年続いた応仁の乱が収束している。
 豊島城跡の歴史解説の建て札。










 この城跡の南に接して豊島氏の建てた氷川神社がある。その石像の狛犬を見て私は大層驚いた。実に見事な彫りなのだ。この狛犬は大2頭の対と、小2頭の対で計4頭である。しかし何の説明も無く、公園に人は多いがこの神社には人が居なかった。
 光の加減でうまく撮影出来ず、残念だが下に掲載する。
 
 神社正面 

















 この神社に並び城跡を背にして豊島氏の建てた立派な寺が二つ並んでいた。三宝寺と道場寺である。この二つの寺については後日掲載の予定。
     以上

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2009年3月13日 (金)

NO.136号 兼田昌尚先生の作品四題

兼田先生作品
①白釉窯変茶入、8.2x8.2x11.0cm
 スキャナで写しとり掲載しました。カタログの写りに較べて荒れがあり残念です。



②灰被茶入7.8x7.8x11.3




③ 陶 77.0x31.0x55.5
幅が77cmですから相当に大きなものです。2ページにわたる掲載のものをカメラで撮影しました。
見開きのページの撮影で真ん中の縦線が折り目です。




④陶84.0x29.0x46.0
幅が上のものよりも7㎝大きいです。




 兼田先生の作品四題で136号は閉じ、先生の作品は次号の後138号で続けて編集します。137号は陶芸外の編集になります。   以上

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2009年3月12日 (木)

NO.135 兼田昌尚先生の作品四題、鍛冶屋の作品二題、ミモザの花。


兼田先生の作品
①白釉窯変水指 (はくゆう  ようへん みずさし)
22.4x22.4x20.5cm 
幅が22.4cmも有りますので、写真よりも実物は遙かに大きなものです。



同 ②灰被水指 (はいかむり みずさし)
21.8x21.8x19.0





同 ③白釉窯変茶入 8.0x8.0x11.0




同 ④白釉窯変茶入 8.6x8.6x10.5




杜の鍛冶屋 ①多彩皿 径27.0 高2.0cm
この皿の色はもう少し柔らかにしたいところでした。




同 ②茶碗 径12.4 高10.6c




ミモザの花
今を盛りと咲いています。この美しい花が近隣で見られるようになりました。








                                            以上

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2009年3月 4日 (水)

NO.134 兼田昌尚先生の作品4題、杜の鍛冶屋2題、ラベンダー氏のスミレ、稲取の吊るし雛、江戸城築城石。

  兼田昌尚先生・作品四題
 白釉窯変茶碗
 13.6x13.6x120cm
  ①

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 白釉水指
 23.2x23.0x18.8 cm
 ②

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 灰被水指(はいかむりみずさし)
 18.6x18.5x20.8 cm

 
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 灰被水指
 18.0x18.0x18.8 cm
 ④
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 杜の鍛冶屋 作品
 旧作 小鉢
 径12.0 高6.5cm

 
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 同、多彩花瓶
 径13.5 高24.8cm
 ②
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 同③
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 ラベンダー氏のスミレ
 05年4月18日高尾山にて撮影
 本人の説明文
 高尾山をケーブルで上がりますと、あまり花は見られないのですが、高尾山の北側の日影林道に入りますと、いろんな種類のスミレを見ることが出来ます。
まさかこんなに東京に近いところに珍しいスミレが見られるなど信じられなかったのですが、行ってみて種類が多いことに驚きました。
 エイザンスミレ
Eizan_sumire_2

 稲取の吊し雛

 「母から子 子から孫へと 吊し雛」

 昨年、08年3月5日、私は妻と二人で河津桜を見に行きましたことは先に述べました。
 一つ手前の駅の稲取町で吊し雛の展示中と知り、帰途立ち寄りました。その時に撮影したものです。
下記は展示場の説明です。
 ①

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 会場の雛の素晴らしさは実に見事でした。只残念にも通路が狭いところでは雛壇の真ん前からの撮影が困難だったことです。 以下雛壇をお楽しみください。
 雛壇 ②
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 同 ③
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 同 ④
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 同 ⑤

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 同  ⑥
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 同  ⑦
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 同  ⑧

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同  ⑨
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同  ⑩
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 稲取の築城石
 稲取の町中に大きな石が散在しており、あれは家康の命令で江戸城大修築のために伊豆半島の山から切り出したもので、稲取に港があったためにあそこから積み出したものだそうです。
 10万石につき100人持ちの石120個を大名に賦課したとされ、あの石は土佐藩が切り出したものだそうです。
 当時土佐藩は山内一豊の養子の松平土佐守が二代目藩主であった由。大石を山からの運搬は修羅という木橇を使用したそうです。
 人力だけで運ぶのも船積みも大層なことであったことでしょう。
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以上

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2009年2月28日 (土)

NO.133号 兼田昌尚先生の茶碗4題、父の遺品、近作花瓶。

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  兼田昌尚先生の茶碗4題
 灰被茶碗 
 13.0×13.0×9.5 cm

 
Kono_syasin_kakudai

20090226_01  

 白釉窯変茶碗
 12.2×12.2×9.6 cm
 ②

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20090228_02

 白釉窯変茶碗
 13.0×13.0×9.2 cm
 ③

Kono_syasin_kakudai
20090226_03

 灰被茶碗
 12.7×12.2×9.5 cm
 ④
Kono_syasin_kakudai
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 父の遺品 九谷焼丼
 九谷焼錦手丼大小三段揃二組とあり、初代と箱書きにあるが作者の名前は判らない。推定だが作者は多分窯元で修行して腕を磨き独立された方であろう。
 父がこれを入手したのは大正から昭和初期のことで、骨董屋からのものであることは間違いない。何人かの人を経て来たものかも知れない。
 大小三段揃い二組だが器六個の図柄は同じである。随分手の込んだ時間を掛けたものと思う。初代で信用を築くためにも懸命に製作したのではないだろうか。
 美しい九谷焼で父から兄へ、兄から私へと譲られたもの。懇意な骨董屋さんに聞いたら150年くらい昔のものでしょうとの事であった。とすると維新前後のものになる。あの動乱の中でも工人達の生業には変わりが無かったのだ。
 私のところへ来たのは1977年のことで、32年昔のことになる。父から兄へ、兄から私に譲られた経緯がある。
 
  二組の大小丼
 ⑤
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20090228_05

  大丼
  径21.6 高7.0 cm 
 ⑥
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20090228_06


 絵部分
 ⑦
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20090228_07


 同他部分
 ⑧
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20090228_08


 近作花瓶
 ⑨
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 同他面
 ⑩
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20090228_10_2

以上

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2009年2月22日 (日)

NO.132号 兼田昌尚先生の作品続き4題、サントリー美術館のカレンダー、陶芸新作。

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  兼田昌尚先生作
 白釉茶碗
 12.7×12.5×9.5 cm
 ①
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 灰被(はいかむり)茶碗
 12.9×12.6×9.3 cm
  ②

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 白釉茶碗
 13.5×13.6×12.5cm
 ③
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 白釉茶碗
 12.2×12.0×9.9 cm
 ④
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20090221_04

 サントリー美術館のカレンダー
 2月10日サントリー美術館へ行きました。三井寺(みいでら)の重文、国宝展を見るためでした。場所は東京六本木。巨大ビルの中でした。
 入り口正面の大ポスター写真
 ⑤
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20090221_052_2

 カレンダー
 出口の売店で普通と違うカレンダーが有りましたので買いました。
 それは今年4月から来年3月までのもので、このようなものに始めて巡り合い、面白いアイデアと思いました。過ぎた月のカレンダーは不要で新学期からというのが斬新に思えました。
 それに付属の屏風(びょうぶ)絵に興味が沸きました。勿論今回展示の屏風なのですが、展示の屏風はみな狩野光信の作品と私は思っていました。
 それは光信没後400年記念の三井寺国宝展とされていたからです。
 光信は安土桃山時代の狩野派総帥と聞いていました。ところがカレンダーの右下に四季花鳥図屏風(六曲一双) 州信 印 桃山時代と極々小さく書かれていたのです。
 六曲一双(六きょくいっそう)とは六に曲がる屏風で、それが2枚で一セットという意味です。大きな寺か屋敷でないと置ける代物(しろもの)ではありません。
 州信とは誰か?の疑問が沸き調べました。これは「くにのぶ」と読む事と、それは狩野永徳のことであることが判りました。
 名声の上では光信の父に当たる永徳が有名です。しかし狩野永徳の作品は極めて少ないのです。それは安土城や大阪城、伏見城など戦いで大部分が焼失したしたとされているからです。永徳の屏風なら何故それを大きく言わないのか?果たして三井寺に永徳の屏風が有ったのか?疑問が次々に沸きました。
 調べた結果一双(2枚)のうち1枚が個人蔵で、もう一枚が滋賀県の美術館にあるとの事でした。
 狩野派はあの時代の絵画界の大勢力で沢山の優秀な絵師を輩出しました。悪意ではない公認の勉強のための模写も多分あったと推定され、それは現代でも同じことです。
 絶対永徳と確信される何かがないので大事をとり、永徳とは説明しない深い思慮が働いたと推測するのですが、どうなのでしょう。
 俵屋宗達の書いた国宝風神雷神図が尾形光琳や酒井抱一、その他により模写されているのを見ても有得る事だと思います。
 私は模写なら狩野派一族が州信と署名を許さない筈だと思いましたが、果たしてそうなのか専門家ではないので判りません。
 幕府か大大名か豪商が伝えてきたものでしょうし、あの絵は立派な素晴らしい貴重なものだと思います。
 永徳の絵で信長が上杉謙信に贈った洛中洛外図屏風があまりにも有名で、米沢の上杉博物館に保存されています。
 州信と署名の六曲屏風一双
  4月からのカレンダー
  ⑥
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 10月からのカレンダー
 ⑦
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20090222_07_5

 近作 小鉢①
 径11.0 高5.1 cm


  同②


 近作 落葉壷①
 径13.5 高13.8cm
  ⑧
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20090222_08_2


 同②
  径13.5 高13.8cm
 ⑨
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20090222_10_2



以上

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2009年2月18日 (水)

NO.131号 著名な萩焼作家・兼田昌尚先生の個展が2月23日まで三越本店で開催中。ご了解を得て素晴らしいお作品を紹介掲載させて戴きます。

 萩焼は毛利藩の御用窯として発展し、多数の著名な作家を輩出しました。
 茶の湯によく用いられているのは皆様ご存知と思います。有田焼の華麗さに対して萩焼は静寂さを思わせる作風に相応しく真に茶の湯に向いていると思います。
 先生は1953年生まれで、萩焼8代目を継いでおられます。年齢から拝見して尚大きくなられる方と拝察致します。
 東京教育大の大学院芸術研究科彫塑コースを卒えて後母校の教授やいくつもの大学で教授として活躍され、数多(あまた)の賞を取られ、NHKテレビでも放映された著名な方です。作風は真に自由奔放さを感じさせます。
 個展の展示品は多数ですが、掲載は何度にも分けて行います。


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  ①灰被(はいかむり)茶碗
幅13.8 奥行13.6 高10.2 cm

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  ②白釉茶碗
14.0×13.5×12.4 cm

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  ③灰被茶碗
13.0×12.8×9.5 cm

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20090218_03

  ④白釉窯変茶碗
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20090218_04_2

後は次回以降に連載します。

以上

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2009年2月16日 (月)

NO.130号 陶友・須藤雄一郎氏の伊羅保皿、彦左衛門氏の茶碗、忠兵衛氏の7品、半端物、デンドロビウム、紅梅

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   陶友・須藤雄一郎氏の伊羅保皿。
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20090215_01


 陶友・彦左衛門氏の茶碗。
 簡素な清潔感のある茶碗と思います。私の感心するのは薄く軽く持ち易く作成された点です。私のものは厚く重く正反対です。薄く作るのは初心者がもっとも苦心する点です。
 径12cm 高11cm



 陶友・忠兵衛氏の小丼。径14cm 高11cm 
 

 同上 


 同 小皿4枚
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20090216_02

  同 小鉢


 同 小鉢


 杜の鍛冶屋収集品・ぐい飲み半端物。
 半端になった焼き物(普通は5客揃い)は一流の骨董屋では店頭には並べません。
 しかし、半端でも良品が並みの骨董屋で出会うことがあります。それは半端な数ですから格安で買えます。捨値?と思う程です。
 日常に使用するなら道楽として楽しむことが出来ますから、ぐい飲みなどそれで充分でしょう。そんなので一杯やれば骨董好きの醍醐味と言えるでしょう。
 次は九谷焼き金杯、恵比寿と大黒と思いますが大黒様がこれでよいのか?です。

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20090208_03

 小さな杯に糸瓜(へちま?)のような植物と大きな器が描かれています。こんな小さな物でも手間が掛かっています。


 4個しかなくて半端物です。


 デンドロビウム。
 自宅で12月末から咲き始めました。昨年は2月に咲いたのに,随分な早咲きで驚きです。



 紅梅開花。我が家では紅梅も白梅も周辺に比べて何故か遅咲きです。種別ということでしょうか?


 陶芸の近作は次回になります。

                        
以上

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2009年2月 8日 (日)

No128号 ラベンダー氏の雪割草、白梅開花、金柑、近作織部茶碗2題、柿釉 藁灰釉掛鉢、陶友彦左衛門氏のコーヒー茶碗、 陶友須藤雄一郎氏の伊羅保釉皿

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 立春も過ぎて信濃の安曇野では、白鳥の群れが早めにシベリヤへ飛び立ったとテレビが報じ、花の開花も早いようです。
  次の写真はラベンダー氏提供の雪割り草です。雪国新潟の日本海沿いの地域に分布の由。彼はこれを撮るために態々柏崎近辺の角田山まで出掛けたそうです。
 美しく可憐なこの花の本名は三隅草とのこと。3月半ばから四月始めに咲くそうです。

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20090207_1

 杜の鍛冶屋宅でも周辺よりも遅まきの白梅が咲きました。


 同じく金柑が去年よりも沢山実をつけ、小鳥が食べ始めたので、今日全部摘み取りました。写真は収穫直前のものです。


 近作 茶碗
 赤土織部釉 径11.0cm 高5.4cm 


 同側面
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20090207_2 

 織部流し皿
 これは流し方に稚拙さがあります。次はもっとましなものを作ります。 径21.0cm 高4.0cm

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20090207_3

 柿釉 藁灰釉掛鉢
 径12.1cm 高5.1cm 



 陶友 彦左衛門氏のコーヒー茶碗
 肌のデザインも奇抜ですが、取っ手が斬新独創的ではありませんか、持って見たらとても持ち易いですし、壊れ難いと思いました。今後真似させて貰いたいです。
 穴の上下の窪みは滑り止めでしょうか。
 幅13.5cm 高9.5cm



 


 陶友 須藤雄一郎氏の伊羅保釉皿
 径27.0cm 高5.5cm

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20090207_4    

以上

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2009年1月16日 (金)

NO.124号 西端 正(にしはた ただし)先生作陶40周年記念の個展出品作。 於・日本橋三越本店、08年10月21~27日(掲載はご本人ご了解済み)

  上記個展の一部作品はNO.107号で紹介済み。今回は8作品を掲載しました。逸品揃いですからゆっくりご鑑賞下さい。
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①窯変茶碗 径14.0 高11.3cm
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②丹波赤土部茶入 径7.6 高8.5cm
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③丹波赤土部茶入 径6.7 高9.3cm
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20090113_32

④丹波窯変茶入 径6.8 高8.2cm
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⑤灰釉掛分角皿 幅40.5 奥行41.4 高9.6cm
約40cm四方もある随分大きな迫力ある皿で、高さも随分あります。
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20090113_52

⑥赤土部香炉 左・幅9.0 奥行同 高18.9cm
右.12.4 奥行同 高16.1cm
両方とも比較的大きな香炉です。
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20090113_62

⑦窯変花入 径13.2 高22.5cm
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以上

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2009年1月12日 (月)

NO.123号 全て井上萬二先生作品。私の所蔵品と、個展のパンフより。2点ずつ。

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①所蔵品・井上萬二先生 作 錦花絵花瓶
 記録が無いので購入日時がはっきりしないが、昭和30年代末頃(1964頃)と思うから、今から45年前くらい前、日本橋高島屋で有田焼祭が開催され、その折購入のもの。
 それまで私は先生のお名前を知らなかった。只この作品に妙に引かれた事を覚えている。後で知ったが彼とは同じ年の同じ3月の生まれであり、当時は他にもこのような作品を作られていたようだ。
 今は人間国宝になられ今年09年3月には二人同じ満80歳になる。作品は白磁の分野では正に独壇場であり、尚精力的な作陶を続けて居られる。
 作品の特徴は品格の高邁さではないかと思う。
径30.0cm 高29.0cm

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 ①-2 斜め上から
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 ①-3 裏面
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 ②-1同・白磁緑彩釉椿染彫文皿
 
2005年6月銀座和光の個展で購入
 径34.0 高4.0cm
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②-2上の作品を斜めからみたもの
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 ③東武池袋店での個展パンフから掲載(店の了解済)
 白磁丸形壷・ 個展は2008年9月開催 
 柔らかい粘土で丸く壷を作るのは、半分上の荷重で下に押され潰れそうになる。大層難しいのです。次の花瓶でも真ん中の平らのところが,上の荷重で下に押されて、これも難しいのです。
径34.0cm 高36.5cm

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 ④同上の個展パンフより。
 白磁彫文耳付花瓶
 径28.0cm 高46cm
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以上

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2008年12月25日 (木)

NO.115号 陶友 越 美奈子さんの花瓶、染付3段大小鉢、ぐい呑み3題、窓ガラスの芸術

 陶友 越 美奈子さんの花瓶
 思い切った大きな花瓶でした。
 径13.0cm 高29.0cm
 

 山水画染付3段大小重ね鉢
 1970年岩手県の盛岡市に仕事でゆきました。買っても買わなくても、汽車の待ち時間には必ず骨董屋に入りこむのが又とない楽しみでした。下の器はその時買いました。
 殊に城下町では古い良いものに遭遇します。徳川268年の間に武家の家庭に蓄積された良いものが、多々あったのも不思議ではありません、冠婚葬祭が家庭で行われたのが当たり前で、武家は碌高格式にふさわしい道具類が必要でしたし、豊かな町家でも同じでした。道具は地位や豊かさの象徴でもあったのでした。
 


 大鉢 3段図柄同じ、手書きのため若干の相違あり 陶工の絵だろうか?画家の描いたもののように思えるが。自宅では日常用いている。
 径21.2cm 高8.2cm


 杜の鍛冶屋 ぐい呑み3題
 径5.5cm 高4.2cm


 径5.2cm 高6.1cm


 同


 ガラス窓の芸術
 あるゴルフ場で、美しいデザインの小さな窓を見て思わずシャッターを切った。どなたのデザインなんだろう?



                    以上

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NO.114 茶碗6題、陶友 忠兵衛氏の皿3題

 茶碗 濡れ落葉
 径10.2cm 高7.7cm


 赤土織部釉茶碗
 径11.7cm 高6.5cm


 同
 径9.7cm 高6.8cm


 同
 径11.7cm 高6.4cm


 茶碗 泥中落葉
 径10.4cm 高8.1cm


 茶碗 雪模様
 径10.3cm 高8.9cm
++
 陶友 忠兵衛氏の皿3題
 径10.0cm


 同 皿
 長径18.5cm 短径15.0cm 

 同 小皿 
 径6.8cm


                       以上

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2008年12月16日 (火)

NO.113 茶碗4題、楊枝立て、赤鉛筆さんの俳句の陶板、須藤雄一郎氏の壷とぐい飲み。

 近作・茶碗4題
 造形としては面白いでしょうが、色が鮮やかに出ないのが悩みです。
 径9.0cm 高7.8cm




 


 


 落葉茶碗
 径8.7cm 高8.1cm



楊枝立て、転ばないように重く作りました。


 陶板・ 陶友 赤鉛筆さんの俳句。何時の間にか番(つがい)となった2羽の雀を鋭く捕らえておられます。優れた句と思います。白泥を下塗り。
 作者がとても92歳とは思えません。
 26×26cm


 陶友 須藤雄一郎氏の壷
 美しい釉で壷がいきいきした感じがします

 径13.0cm 高19.0cm


 同  ぐいのみ
 須藤さんがお友達に贈られるそうです。喜ばれるでしょう。


                      以上

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2008年12月14日 (日)

No.112号 近作皿焼き直し、陶友彦左衛門氏のコーヒー茶碗、千鳥が淵公園、戦没者墓苑、ラベンダー氏の蘭の花

 NO.104号掲載の皿を焼き直しました。
 径26.0cm 高3.0cm


元の皿 104号所載


 陶友 彦左衛門氏の作品
 コーヒー茶碗
 ご家族の団欒が心に浮かびあがるようです。


 同

 
 同

 
 同


 千鳥ヶ淵公園
 公園と言っても皇居堀傍に沿った散策に適した道のような公園で、所謂一般の公園とは随分趣が異なります。
 桜の巨木の葉はすでに散り、幹や枝が深い堀にのめり込んでいました。

 春は花 夏は木陰に 秋もみじ つとめ果せし古木しずかに



 千鳥ヶ淵戦没者墓園
 5千坪程の面積。私が訪ねたのは08年12月10日(水)訪問者が2人しか見えなかった。靖国神社には数十人の人がいたのに
 正面入り口はここを左を下った所にありました。
 
 園内風景。
 左の建物は休憩所。カメラ位置から右に慰霊堂がある。写真真ん中に白い石碑が小さく見えるが、昭和天皇の御製が刻まれている石碑。


 慰霊堂
 奉納の菊の花が一本百円で無人販売されている。花の奉献台には20本程の花が既に供えられていた。午後3時近かった頃。


 昭和天皇御製碑


 昭和天皇の御製

 国のためいのち捧げし人々の ことを思えば むね迫りくる

 近上天皇御製

 いくさなき 世を歩みきて思いいず かの難き日を生きしひとびと
 (難きは かたきと読む)

 宮城外観・半蔵門より東の桜田門方面を望む。
 向こうの電波塔のあるのが警視庁。その左に桜田門。山茶花が咲く長い下りの道を歩く。整備された公園の最高の遊歩道。ベンチも多く、読書する人多し。
 右側の道に沢山の車が走るが、気にならないのは優れた広大な景色の為か。ジョギングの人々によく遭遇した。最高の散歩道で、江戸城最高の景観だと思う。


 対岸の城肌に紅葉や山茶花の群落を見る。水面には無数の水鳥の泳ぐを見る。彼らにとり是ほど安全な所はないだろう。
 

 ニコン望遠で特に赤い所を撮影。左が楓、右が山茶花と思う。


ラベンダー氏の蘭の花
花の説明文
 
 この花は胡蝶蘭(ファレノプシス)の仲間(Phal.mariae)です。花屋さんで売られている普通の胡蝶蘭とはだいぶ趣が違います。これは花はそんなに大きくありません。
 小さくても沢山花が付けばよいのですが、我が家のは、花数も少ないです。それでも、1996年5月2日に購入してより、12年経過しましたが、枯れもせず元気にしています
 

                  
                    以上

 

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2008年12月13日 (土)

NO.111号、螺旋文多彩皿、ぐい飲み2個、枝絵皿、宮浦画伯の版画二点、靖国神社の銀杏。

 螺旋文多彩皿
 漸く近作が窯から出ました。これは螺旋を皿面に描き、別の曲線で区切りをつけたものです。
 高さが4cmあったものが、二度の焼成を経て1cmに低下しました。高温と皿が薄かった為です。撮影で反射光を防ぐのに旨くゆきました。

 径26.5cm 高1.0cm


 ぐい飲み二個
 径7.2cm 高6.4cm




 枝絵皿
 径20.5cm 高5.0cm


 春の松本城
 宮浦真之介画伯作、多色手刷り木版画、
 履歴・日展特選、無鑑査、松本市芸術文化協会美術特別賞、松本城太鼓門郵便切手デザイン担当。



 旧制松本高校本館・講堂(五号大)


 08年12月10日(水)大戦を偲ぶ番組がNHKで放映された機会に、皇居の周囲を散策しようと出かけました。快晴に恵まれ、地下鉄九段坂下で降りて先ず靖国神社へ向かいました。銀杏が美しく散っていました。
 神社入り口


 以下境内


 横の入り口


 中から入り口の方向を望む。理科大の看板が見えた。


 銀杏並木で


 同


 ここから千鳥ヶ縁公園から戦没者墓苑に向かいました。それは次号にいたします。                       以上

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2008年12月 9日 (火)

NO.110号。美濃焼、備前焼、神宮外苑銀杏並木全景、ラベンダー氏の蘭の花

 教室の大きな窯が痛み新品と替えるそうです。私は製作を続けていますが、まだ暫く作品をお見せ出来ません。

 美濃焼・故 林 孝太郎 作・鉄釉鉢
 昭和38年頃(1963)のことです。上野・松坂屋で「美濃焼き祭り」が開かれ、そこで下記写真の作品に巡り合いました。
 魅力のある作品を見るとブレーキが効かなくなる私の悪い癖が出て、直ぐこれを買いました。
 当時は作者を全く知リませんでした。しかし作品が美濃焼きの永年保存作品とされていることを最近知り、また彼に師事して著名になった人達がいる事も知りました。弟に著名な陶芸家の正太郎さんが居られます。
 惜しい事に幸太郎は昭和55年に早世されています。
 生きておられたら美濃焼きの重鎮になられたのではないかと思うのですが。
 何か気宇広大、どっしりとした風格が作品から感じられました。最も好きな作品の一つです。値段ですか?随分安い値が付いていました。
 前号で黒釉一つで三っつの色が表現できるとしましたが、これは黒釉で二つの色を巧に表しています。
 径33.0cm 高11.0cm


 箱書き
 この方にはお会いした事は無いのですが、字を見ても作品と同じ感じを受けるのです。


 備前焼・壷 堀江祥山先生 作
 茶の湯と随分関係の深い備前焼です。千年の歴史があり、日本最古の窯場の一つです。先生は陶暦既に50余年を数えるベテランの由。
 たまたま私の陶器好きなのを知っている親しい友人が呉れました。昭和45年頃(1970)のことです。
 備前焼きはご覧の様に釉薬を使いません。炎だけによる色むらの変化が特徴で、その素朴なのを好む茶人によりひろがりを得ました。
 戦国武将は安土桃山の華麗さを好む半面に、備前優品を好み、また茶人達も惜しむことなく大金を投じたようです。 つまり素朴の美を尊んだのだそうです。
 径20.02cm 高20.08cm


 神宮外苑・銀杏並木 全景
 外苑の銀杏並木は既に掲載済みですが、これは外苑入り口から入り、銀杏並木の終点がT字交差点で、其処から東方に向かい全景を撮りました。逆光で黄色の銀杏がご覧のように茶色になりました。凡その全景をお見せしたかったのです。



ラベンダー氏の蘭の花
本人の説明書

 このランはシュンラン(Cymbidium goeringii)という日本のランです。
 シュンランも暮れから大量に花屋さんに出回るあの大きなシンビジュームと同じ仲間です。
 このランは普通は緑色をしています。この色のものでしたらまだまだ沢山日本の野山で見られますので、私も春3月下旬に探しに出かけます(写真に撮るだけですが)。
 しかし、今回の画像のような、赤とか、朱色とか、緑以外の色のものは、取り尽くされてやはりもう野生のものは見られません。しかしこの種はメリクロンという大量生産が出来ますので、安心して購入出来るようになりました。
 この写真の花は蕾付きを買って、それが開花したものを写しました。1年栽培して、現在は本来蕾が見える筈なのですが、一向に蕾が出て来ないです。


                  
以上

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2008年12月 5日 (金)

NO 109 私の旧作・茶碗、西端先生の作品、私の好きな絵、ラベンダー氏の蘭の花

 私の旧作 茶碗
 これは黒釉を使い、黒、茶、薄茶という、一つの釉を3段に使い分けて見ました。釉薬テストとして使用したものです。黒は黒釉を厚く塗り、茶は黒釉を薄く塗り、薄茶は更に薄く塗ったものです。
 径12.2cm 高6.8cm


 別面


 西端 正 先生の作品
。個展カタログより
 随分大きな器です。
 窯変器 幅20.2×奥行20,4×高47.8cm



 赤土部茶碗
 
径13.0×高10.8cm

 西端先生の作品の展示はあとも続きます。

 私の好きな絵・ 江口 良の作品
 昭和30年代。私が品川区に住んでいた頃、江口は近くに住み夫婦が同じ年代で、同じ歳頃の子がいたから、すぐ親しくなった。彼は新進気鋭の画家で近くにフアンが出来ていたようだった。ある日個展の知らせが来た。駅の近くの画廊だった。
 行って見ると絵は海と波が主体であったが、一枚だけ岩の絵があり、小さな絵だったが私はひどく魅力を感じて、直ぐその絵を譲って貰った。それが下の絵。
 絵は場所をとるし、金額も張る。だから絵の枚数は少ないが、今でもこの絵に一番の愛着を感じ一番好きである。
 その後私は新しい家に引越しをし、彼も故郷に転居したが、若くしての訃報が来て驚いた。生きていたら著名な画家になったと思うのだが。
 大きさ4号(葉書で4枚くらい)


 ラベンダー氏の蘭の花
 このランはフウラン(Neofinetia falcata)と呼ばれています。日本のランです。洋蘭のバンダと呼ばれる大きなランとは近縁関係にあります。
 真夏に咲きます。夕方とても甘い香りがします。
 自然界では取り尽くされていて、もう野生のものはどこにもないかも知れません。
 エビネ、クマガイソウ、アツモリソウなどの日本のランはどれも絶滅危惧種になっています。ラン好きとしては本当に複雑な思いです。
 私の栽培しているこのフウランも、元は誰かが山で取ってきたものかも知れません。
 園芸というものは元々、誰かが採取してきたものを改良して、現在に至っているのですが、ランの場合もラン・ハンターと呼ばれる人々が奥深いジャングルの中に分け入り、採集して、それを本国に送りそのまま育てるか、改良するなどしてきました。
 しかしその多くが絶滅危惧種になっているのが現状で、ワシントン条約というものが出来て、取引が禁止されるようにようやく最近なりました。
 幸い、メリクロンという大量生産技術が確立されましたので、山から取ってこなくても、園芸が楽しめる時代にはなっています。
 
                   以上

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2008年11月30日 (日)

NO 107 同級生の版画4枚、西端先生2品、私の旧作2品、ラベンダー氏の蘭

 宮浦真之助君の版画
 版画作家に松本中学時代の同級生の宮浦真之助君がいます。彼は版画で入選を続け大きな作品で1990年、日展の特選を得た程の作家です。その後は無鑑査の待遇を受けています。我々が誇り得る同級生です。
 私が持っている彼の作品をここで紹介します
 安曇野の明科(あかしな)付近で松本平の全ての河の合流が見られます。
 その河畔から見た北アルプス風景です。白雪の鹿島槍岳、爺ヶ岳を正面に据えて水面の色の変化が巧みに描写されれており、クラス会で絶賛されたものです。
 河の合流する水面の高さや水温の違いで色がこうなるのでしょうか?
 彼は絵を描き、それを版画にします。版画はご承知の通り色の数の木版を作る大層根気のいるものです。
 彼の代表作は常念岳を描いた版画で大糸線穂高駅に飾られている由ですが、残念にも私はまだ拝見していません。

 餓鬼岳、蓮華岳遠望
 44.5×23.0cm 額装61.6×34.8cm


  秋晴れ  爺ヶ岳、鹿島槍岳
 典型的な安曇野風景。信州人には何とも懐かしいものです。雪の無い山肌も実に見事に描き分けられています。ブログで何れも小さな絵になり、大きな実物の迫力をお見せできないのが残念です。
 私宅に来てくれるクリーニング屋さんが、この上下2枚の版画に感動して、是非買いたいから紹介してくれと言われて、購入された出来事がありました。
 45.6×22.5cm  額装62.0×34.7cm

  重文・旧制松本高校々舎
 旧制高校は戦前その卒業生は、学校や科目を選ばなければ、全員が帝国大学に進学できる制度であったと聞いています。白線2本帽の高校生は中学生のの憧れでした。
 28.2×17.8cm


 国宝・松本城
 石垣の微妙な色の変化、掘の水面描写、烏城とも言われる板壁の色、細かい鯱の彫りなどをご覧下さい。
 28.2×24.7cm 額装41.2×53.0cm

  西端 正 先生の作品
 作者のお名前については、亡くなられた方には敬称をつけません。生存の方にはつけますのでご了解下さい

 赤土部香炉 径16.6cm 高17.6cm


 赤土部壷 径36.0 高30.3cm
 随分大きな壷です


 私のごく初期の作品。005年5月頃の製作。あまり幼稚なので、掲載を躊躇い(ためらい)今まで掲載しませんでした。私の飯茶碗として愛用しています。近作の焼成が長引いていますので、その埋め合わせです。
 径10。0 高6.7cm


 小型花瓶
 08年4月の製作。
 これも前記同様に躊躇った口です。頭に描いていた模様と似ても似つかない出来でがっかり。捨てるのは一年後にと言われる先生の口癖の教えに従いました。
 一辺11.0 高17.5cm


 
ラベンダー氏の蘭の花
 本人の説明文 
 この花はラン科オーニソフォラ属(Ornithophora radicans)の花です。
 一般的な花ではありませんが、ラン屋さんでは普通に安く売られています。
 超強健で、あまりに増えるので、大きな鉢に植えましたら、突然枯れてしまいました。
 そこで、安いので、今年5月にまた買いました。やはり今は、買ったときの倍の大きさになっています。相変わらず繁殖力旺盛ですが、今度は失敗しないように、植え替えは慎重にやります。
 04/09/05 撮影




                   
以上

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2008年11月26日 (水)

NO 106 前掲大皿細部、父の遺品、西端先生の作品、ラベンダー氏の蘭の花

 連休と、陶芸教室の休から焼成が出来ず、私の作品が暫く出来ませんので、骨董、著名作家の作品の掲載になります。

 前掲大皿細部
 
大皿の絵が小さくてよく判らない、とのご批判がありましたので、再掲します。
 大皿中心部拡大


 縁部拡大


 父の遺品
 昭和38年(1963)家を建てた祝いとして貰いました。
  加藤清三作。鼠志野鉢
  美濃焼き、 陶祖より13代目の方です。大分前に亡くなられたと伺いました。ご兄弟に陶芸で高名の方が居られます。清三氏の別の作品が美濃陶芸作品永年保存事業として保存されています。鼠と着くのは鼠色の器の色からでしょう。
 1辺22cm


 灰釉茶碗 西端 正 先生作
 三越本店での個展カタログより転載、二品。
 08年10月31日掲載のNO.97に同先生の別作品を掲載しています。これは赤土部(あかどべ)の美しさが白釉との対比で、よく生きていると思います。
 この土は市販されず、作者が山中で探して採取するそうです。
 径13.2cm 高11.0cm


 同、赤土部茶碗 
 カタログ掲載の写真は今後しばらく続きます。
  径13.0cm 高10.3cm


 ラベンダー氏の蘭の花
 
 本人説明文 
 ランのステノコリネ属(Stenocolyne aureofluva)の花です。あまり聞き慣れない名前の花ですが、蘭園では普通に安く売られています。
 ランにはバルブという水を貯めておく機能を持つものが多く、このランもバルブを持っていて、如何にもランの株であるという風情です。
 今年の春に国際園芸にて蕾付きを購入しました。カタログには、強健と書いてあります。Stenocoryne属は強健なものが多いのでしょう。08/06/06撮影



                    以上

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2008年11月21日 (金)

NO 105  大皿、人間国宝の皿、昭和記念公園の銀杏並木,

 大皿
 昭和46年(1971)新潟県高田市へ所用で行きました。そこの骨董屋で買ったのがこの皿です。私の持つ皿の中では一番大きなものです。
  径42cm


光の反射で判らないところがあり斜めの写真を撮りました。


 人間国宝井上万二先生の皿
 04年1月23日、於・三越本店の個展で入手
 この方の作品を初めて買ったのは40年以上前になります。彼は私の生まれた13日後に生まれたという縁があり、この方の作品を少し所持して居ます。彼の個展でよくお会いします。
 極めてエネルギッシュな方で、つい最近も大規模な個展を開かれました。間もなく私と同じ80歳になる方がです。
 この方は白磁を得意とし、白だけの作品が多く気品のあるものです。新宿の京王プラザホテルが様々な彼の作品を多数所持しています。アメリカの大学で陶芸の教授、佐賀大学でも講義するという大層な活躍を続けています。
 私のこのブログのNO.78の.9月4日号でも作品と共に紹介しています。
 径22cm


 08年11月19日昭和記念公園にて
 公園は130ha(ヘクタール)と説明書にあるもののピンと判りません。1haは100m四方の面積を言いますから1万平方メートルになり略3,000坪です。従って130haは約40万坪になります、ゴルフ場が2箇所出来る面積になり、広大さが窺えると思います。
 銀杏並木だけを撮るために行きました。

 好天に真綿を引き伸ばしたような雲が


お花畑から銀杏並木を望む


並木の入り口


入り口の銀杏大樹


部分拡大


 中から入り口を望む


更に中から入り口に向かい

 
 絵を描く人


 落ち葉が黄色の絨毯に


 人通りの過ぎ去るのを待って広い絨毯を


近くに楓の紅葉が


 課外授業か多くの学生が
 
紅葉はメタセコイヤの大樹

                  以上

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2008年11月18日 (火)

NO 104 近作・皿2枚、旧作の鉢2個、井上康徳氏の作品、実篤の皿

 初めにNO.103の先号で、黒い布の背景がブルーになる不思議な現象を述べました。
 これをカメラメーカーに問い合わせたところ、蛍光灯での撮影で、時として起こる現象で、カメラの位置、角度により発生する事が判りました。これを防ぐにはカメラの中にその場合を防ぐシステムが組み込まれている事が判り、その措置をしましたので今後は無いと思います。

 近作・大皿
 大きな皿の製作は初心者である私にとって大層難しいものです。
 陶芸の先生によれば、半径を3センチ大きくすれば(直径では6センチ増)価格が倍になるそうです。
 私は別に販売が目的ではありませんが、大きい程迫力があり、作りたいものの一つです。
 大きくなるほど縁にヒビが入りやすくなります。縁が垂れ下がるからです。
 この為に高台の直径を皿の半径と等しく広くとり二重高台にし、乾くまで縁を下支えする必要があります。縁を等しい高さを保つのも難しいのです。
 話が変わりますが、下の作品の曲線の真ん中の緑釉(織部と言います)が明瞭に出なくて、これは失敗作です。焼きあがるまで判らないのが陶芸の難しさです。
 この皿私の意欲作だけにガッカリ。
 径26cm 


 近作・大皿 落葉
 径26cm

 今春5月22日掲載。作品NO.4の多彩自由文鉢の花を植え替えてみました。


 同じく多彩トンバイ塀風植木鉢も植え替えました。


  黄緑釉線刻文皿
 井上康徳(いのうえ やすのり)氏作
 この方は50歳になる高名な陶芸家です。人間国宝の井上万二氏が父親。既に沢山の入選を果たし将来を嘱望されています。
 この皿は05年9月、銀座和光の個展で新しい感覚の作品と見て買いました。
 ご覧の通り白磁、品格のある、変わったデザインの美しい作品です。
 径21.5cm


 実篤の皿
 この道より我を生かす道なし この道を歩く

 昭和37年(1962)9月、残暑厳しい秋、私は40度を越える高熱と激しい頭痛に苦しみ、急遽入院しました。極めて難しい重病の診断で、兄弟親戚が枕頭に集まる騒ぎになりました。
 幼い子が既に2人いました。病床で思わず涙が流れ泣きました。
 それが極めて幸運にも、奇跡的な新しい輸入注射で全快しました。
 健康のために、新しい家を建て翌年引越しました。飾るものが無いので、新宿伊勢丹へ行きこの皿に遭遇しました、武者小路実篤の署名でした。
 この皿は時々方々で見ましたから、沢山作られ販売されたと思います。
 当時私は激務に次ぐ激務で、夜昼構わず仕事が怒涛の様に押し寄せていました。
 こんな事が続いたらとてもと、生きられないから仕事を変えようと考えていました。34歳の苦渋に迷っていました。
 その時にこの皿に出会いました。以来同じ道を歩いて74才で仕事から解放されました。友人の訃報が相次ぐ中で、奇跡的に救われて生きられた人生に感謝しています。思い出の皿です。
 径26.7cm


                  以上

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2008年11月16日 (日)

NO 103 近作 落葉3、須藤氏の作品2、郷衛門氏の作品3、T氏の作品3、桃太郎氏の作品2、ラベンダー氏の蘭の花

 近作・落葉
 はなみずき 、本物の素晴らしい色が作品にどうしても出せません。宿題です。



 
 本物の写真と較べると、あまりにも差が有りすぎです。
  径14cm 


 同 つた
 径14.5cm


 同 はなみずき
 径 16.5cm


  陶友 須藤雄一郎氏の作品
 皿



 同 茶碗
 径12・7cm この撮影には上の皿と同じ黒布を敷いたのですが、何故かそれがブルーとなり、蛍光灯の影響か、カメラのせいか判りません。茶碗はもっと濃い赤でした。黒布ですが、濃いコバルトでそれが茶碗の赤の影響でこうなったのかも知れません。画像処理を何度も行いましたがこれ以上原色に近づけませんでした。


 陶友 郷衛門氏の作品
 化けチャン


 


 陶友 T氏の作品
 
葡萄皿 左右幅17.4 上下幅15cm

 同
 来年の干支・丑皿
 この皿が何枚も有りますが、全部色違い。寸法も違いますが、長いのは30cm近くあり並べると素敵です。釉の下に白泥を予め塗り、よい効果を出されました。大きくお見せ出来ないのが残念です。正月が楽しみですね。





 陶友 桃太郎氏の丼 
 
径29,4


 同 鉢 
 
ここでも何故か黒の敷き布が原因不明で青くなりました。黒釉に白釉を掛けてよい効果が出ていますが、器の色も濃いブルーになりました。原因不明です。


 ラベンダー氏の蘭の花
 本人の説明文
 このランですが、またパフィオペディラム(Paph.Sweet Lemon)です。
 これは、固体名の付いていない、価格の安いランでした。
 デジカメがカシオによって初めて世に出たのが、QV-10という製品でした(1995年3月)。私は1996年にオリンパスのデジカメC-400L(35万画素)を買って、これで撮ったのが今回の画像です。
 今のデジカメと比べても画像はそれほど悪くありません。最近家電量販店に行って、久しぶりでコンパクトデジカメを見たのですが、随分機能面とかデザイン面で、進歩しているなと感じました。


                    
                     以上

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2008年11月11日 (火)

NO 102 近作・花瓶、石川さんの個展出品作、昭和記念公園の紅葉,ラベンダー氏の蘭の花

 花瓶
 径12.1cm 高15.8cm


 石川由起子さん個展出品作
 中の小さな茶碗は焚くお香の入れ物だそうです。これで香を焚いたら素敵ですね。
 この作品レベルはアマチュアのものではないでしょう。私のガサツなものとは全く異質なものを感じます。今回で個展作品の紹介は終わりです。


 昭和記念公園
 
08年11月10日、昭和記念公園へ行きました。
 東京西立川駅下車。このパークトレインで一周25分の由、大人が大勢乗っていました。イタリヤ製でタイヤ付きレールなしの列車です。
 130ヘクタールの広さで、東京ドーム40個分に相当するそうで、歩いて全部を見るのには大層時間が必要です。この列車なら短時間で全貌が判り、費用は安い由。


 昭和
58年(1983)一期工事完成。以後増築を重ね現在に到る。
 ヤマコウバシと書かれた木。 

1本の白山茶花が満開。


 以下5枚は日本庭園の紅葉









 公園には2箇所に大きな銀杏並木がありますが、今回は時間の都合で行けませんでした。紅葉は11月下旬まですから都合をつけ再訪問したいと思います。

 ラベンダー氏の蘭の花
 本人の説明文

 このランはパフィオペディラム(Paph.Claire De Lune ' Edgard Van Bell'×Paph.Maudiae)です。
 アルファベットに長い名前が付いていますが、これは交配した両親の品種名が書いてありますので、長くなっています。 ランの交配によって新しい品種が生まれますと、育種家は英国の王立園芸協会(RHS)に新品種の登録申請を出し、受理されて初めて新しい名前が付きます。
 今回のランの場合、両親の品種名が書いてある、ということは、RHSに登録しなかったか、登録申請中かどちらか
です。このランは恐らくRHSに登録しなかったものと思います。
 要は、両親を超える花ではなかったという評価を育種家がしたから登録申請しなかったのであろうと思います。パフィオの緑花が安く入手できればいいと思ってこういうものを買いました。08/01/19撮影




                       以上

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2008年11月10日 (月)

NO 101  近作・茶碗3個、石川さんの個展出品作品4

 茶碗①
 径9.3cm 高9cm


 ②
 径9.3cm 高8.7cm


 ③
 径9.1cm 高8.7cm


 石川由起子さんの個展出品作
 絵画1、陶芸3
 この絵は上部に大きなガラスの反射があり、残念ながら切り取りを大きくしなければなりませんでした。
 素晴らしい作品なので惜しいのですが、この反射のため他の多くの絵画の撮影を断念しました。


 陶芸作品①
 次の2作は独創的な素晴らしいさがあり、ドキッとしました。

 


 
 陶芸でこんなに美しいものが出来るのですね。


石川さんの展示作品は後の号に継続となります。

                      以上

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2008年11月 8日 (土)

NO 100 100号ご挨拶、近作茶碗2個、石川さんの絵画と陶芸作品、ラベンダー氏の蘭の花

 
 ご挨拶 100号を迎えて

 毎号ご愛読有難うございます
 08年五月下旬からこのブログを開設し、ここで掲載100号を迎えることになりました。
 アクセス数は今現在で5,680と記録されています。始めた当初から無我夢中で時が過ぎ去り、ご来訪の方々がこんなにも多数に及ぶなぞ予想も出来ませんでした。
 多くの方々にご覧戴いたことに深く感謝し、篤く御礼を申しあげます。

 近作 茶碗 その1
 作品の画面が幾つもありますので、続けてご覧頂きます。
 ①径8.5cm 高9.2cm


②同他面


③同多面

近作 茶碗 その2
① 径11.6cm 高9.3cm


②他面



③他面


陶友 石川由起子さんの個展出品作
額装のガラスの反射が残念です。私の好きな作品です

同 個展出品 陶芸作品


 ラベンダー氏の蘭の花
 初々しい乙女の楚々たる風情を感じます。
 本人の説明文
 このカトレア(Lc.Irene Finney'Z-905')は春咲きの有名交配種です。
 このカトレアは1997年8月9日に購入してから、11年経過して、枯れもせず丈夫な品種です。
 ランは交配をして、そこから出来た種を育てて、花が咲くと、全部同じ花が咲くと思われるでしょうが、ところが実際は全部違った花が咲きます。
 それで、品種名はアイレン・フィニーですが、その名前の後に続く’*******’の部分には固体名といいまして、いろんな名前が付けられて、区別しています。
 今回のは'Z-905'という名前が付いていますが、ork'とか'Dark Beauty'とか沢山の固体があります。
 01/05/06撮影


  ブログ100号の掲載が終わりました。石川さんの陶芸作品は引き続いて次号にも掲載します。個展は盛況で作品の大半が売り切れの由。おめでとうございます。

           以上  杜の鍛冶屋 敬白

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2008年11月 5日 (水)

NO 99 多彩皿、茶碗、石川さんの絵と陶芸作 品、ラベンダー氏の蘭の花

 近作・多彩皿
 径20.4cm、高4.5cm


 近作・茶碗
 径11.8cm、高9.8cm


 紫陽花(あじさい)
 石川由起子さんの個展出品作。
 先号で陶友の石川さんの個展絵画に触れ、額のガラスの反射で撮影が難しいのと、それを避けると画面がゆがむので残念ですが割愛と述べました。
 然し、画像処理で原画とは幾分か異なりますが、鑑賞に堪えられると思いましたので、改めて掲載させて戴きます。
 ご本人と連絡がつきませんので、号数がわかりません。後の号で絵画、陶芸作を連載します。


 同、個展出品作
 これと同類の作品が幾つもあり、順次掲載の予定です。幼きころ童話に親しまれる機会が多かったのでは、と拝察します。
 童話にこれを取り入れたら面白いでしょう。 非常に細かい作業を丁寧にされた作品と思います。


 ラベンダー氏の蘭の花
 

 パフィオペディラム(Paph.tonsum)の原種です。これは今年の10月に蘭園から通販で購入しました。
購入したとき、花が咲いていて、それを写したものですから、ちょっと恥ずかしいです。
 蘭園の販売方法ですが、かつてはカタログを発行して、得意先に郵送していました。
 全国に沢山の蘭園がありますが、その全部からカタログを送って貰うということは不可能でした。
 ところが最近は、沢山ある蘭園の名前をインターネットで検索しますと、大体どこもホームページを持っていて、写真入りの蘭が眺められて、すぐ購入が出来るようになっています。
 当日に銀行振り込みをネットで済ませますと、翌日には蘭が届きます。便利な世の中になりました。



                       以上

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2008年11月 2日 (日)

NO 98 ラジオ体操、茶碗、陶友3人の作品、ラベンダー氏の蘭の花。

 ラジオは叫ぶ一二三
 自宅から歩10分の所に公園があり、毎朝6時頃から人が集まり始め、白服の指導者により体操が始まり、続いて6時半からラジオ体操になります。
 今の時期その頃から朝日が一斉に射し込んできます 公園の紅葉が輝き、誠によい気分です。
 体操を何時から始めたか?ですか。実は3日前からはじめたんです。運動不足で妻の意見に従いました。3日坊主にならないように頑張ります。
 公園は広く人が散らばっているので、写真の人数よりも遥かに多いのです。
 

 近作・茶碗
 径11.3cm 高9.4cm


陶友 3人の作品
 陶友 石川由起子さん個展作品より
 この方は過日ご案内した個展で陶芸と絵画両方を沢山出展されました。一部をご紹介し、あとは順次掲載いたします。
 ご覧のように、時間を掛けて丹念に製作され、立派な作品に仕上げられています。寸法は計測しませんでしたので記憶の凡その大きさとご理解下さい。中に電球を入れます。
 ご立派な絵画もあり、撮影したのですが、ガラス面の反射があり、またそれを避けると上下の幅が異なり、掲載に至りませんでした。ご了解下さい。。
 径12cm、高30cm


 続き。堂々たる作品ですね。駆け出し3年の私などとは年期も作品も桁が違います。
 推定 幅15cm、高13cm


 裏面


 陶友 赤鉛筆さんの皿
 この方は既に92歳です。眼鏡無しで新聞を読まれます。背も真っ直ぐで、早く歩きます。若いときは国体に出場、体は小さいですが私の感覚では巨人に見えます。新聞で記事にされた事もありました。優しいご性格が陶面に現れています。
 ご立派な俳句をよく作られ、達筆で俳句の陶板を度々製作されます。若人よ頑張ってください。こちらも頑張らなくちゃ。
 推定 幅11cm、長16cm


陶友 越 美奈子さんの3段重ね鉢
 考えただけでも難しいと思われる重ね陶鉢です。不精者の私などには挑戦する気にもなれません。
 難しさは工芸手法だけでなく、焼くときの陶器の歪みや釉薬の厚みなどで、蓋の開閉が問題になります。よく克服されたと思います。お正月が楽しくなりますね。
 推定 径18cm、高16cm


 ラベンダー氏の蘭の花
 この世にこんな花が有ったのかの思いがありました。
 
 本人の説明文 
 この花は、エピデンドラムの一種(Epi.chacaoensis 'Suzuki')です。よく花を付けてくれましたが、突然枯れてしまいました。いまは家にはありません。
 蘭は何か元気がなくなって突然枯れてしまうことがあります。原因を考えてみますと、蘭の株の大きさに対して、鉢の大きさが、その蘭の株の大きさに対し、合っていないと、枯死が起こるのではないか、と考えるようになりました。
 私は蘭歴25年になりますが、株と鉢の大きさのバランスが程よくないと蘭は変調を来すのではないだろうかということが、ようやく分かってきました。
05/06/04撮影



                       以上
        08.11.2日 杜の鍛冶
屋  敬白

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2008年10月31日 (金)

NO 97 西端 正先生の個展々示品の一部掲載

 今回は表題の西端 正(にしはた ただし)先生の個展が日本橋三越本店で開催されましたので、素晴らしい沢山のお作品の一部をご紹介致します。
 作品の主題は窯変丹波焼、粘土は兵庫県丹波の赤土部(あかどべ)、灰釉を使用
 個展は10月21日~27日で、会場を埋めた80余の沢山の作品は唸らせるもの多々でした 3年前の今頃、今回同様の三越本店の個展で茶碗を買わせて戴きました。その時の茶碗は本ブログNO.77、9月2日号に掲載済みです
 そのときご本人にも初めてお会い出来ましたそれまで私はお名前も存知上げませんでした。履歴を拝見すると三越での個展は既に6回。アメリカ、フランスで4回。日本伝統工藝展入選15回。各種表彰多数で、既に大作家だったのでした。
 今回はまた一段と精進された作品に接して、ご本人のご了解を得て掲載させて戴きます。
 ご本人は1948年生まれですから今年60歳。芸術家として既に地歩を固め、これから大きく躍進なさるでしょう。健康に留意され益々のご繁栄を祈ります。

 灰釉掛分茶碗 径12.8cm、高11.2cm

 これはパンフの表紙を飾った作品で、これを見たとき思わずハッとしました。
 全く今まで見たこともないデザインと思いました。

 灰釉茶碗 径12.5cm 高9.3cm

 この赤いところが赤どべです。灰釉が美しく流れて、何とも言えない味わいがあります。

 灰釉茶碗 径14.6cm 高8.9cm


 赤土部水指 赤土部の感じがよく出ています。
 幅22cm 奥行18cm 高18.3cm


 灰釉掛分角皿 これは大きな皿で、大層な迫力があります。この肌模様が素敵です。ブログは幅に狭い制限があり残念です。実物の迫力をお見せしたいのですが出来ません。幅40.5cm 奥行41.4cm 高9.6cm


 画像処理をして一部を拡大して見ましたた。


 灰釉茶碗 灰釉がとても生かされてわくわくします。
 径14.2cm 高10.1cm


 赤土部器 これぞ赤土部、幽玄の感あり。大きな器です。 径36.3cm 高27.8cm


 酒器いろいろ。以下4点はパンフレット見開きに並べられたものです。それを画像処理で分割して掲載しました。



 同


 


 


 窯に向かう西端先生


 今回は西端先生のお作品のみとしました。
 次回に窯出しが出来れば私の近作を掲載します。
             杜の鍛冶屋  敬白

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2008年10月27日 (月)

NO 96 蓋もの、浅間山、Mさん撮影の京都紅葉、嬬恋村北軽の秋、越後湯沢高原で。

 蓋もの
 こういうものを骨董界でなんと言うか?ご存知の方教えてください。
 よく行った東京港区神谷町の骨董屋で、昭和45年(1970)ころ、10客揃いを買いました。茶碗蒸しなどに使用されたと思います。
 今は見られない冠婚葬祭用の料亭で用いたものでしょう。似たように見えますが、10個全部が手描きで変わっています。
 自作の焼き物が出来るまで未だ日数がありますので、ご容赦下さい。
 径9cm、高さ8cm





 浅間山
 
雨が沢山降ると、噴火口に水が溜まり、猛然と水蒸気を吐き出し、雲を作っているのか?と思うほどです。


 紅葉
 Mさんのアルバムから、07年11月下旬京都で。これ拡大すると大迫力になります。






 前々回の湯の丸高原で。画面真ん中にポツンと霞んでいるのが富士山


 群馬県吾妻郡嬬恋村で
 ツタウルシが木に絡むだけでなく地上の草の上まで覆います。生命力が旺盛です。春先これに触るとカブレにやられます。


 同、嬬恋村



 同。


 越後湯沢高原で
 10月21日から2日間、4人でゴルフして45ホールを回りました。 翌日湯沢高原アルプの里に登りました。
 海抜800米、ケーブルカーに乗り、頂で散策しました。


 同


 同 女性が大勢。


 同 山葡萄

 同


 同 ススキが又おいでと言うごとく。



 同、ケーブルカーの終点で


 同、終点駅前で。

                  以上

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2008年10月26日 (日)

NO 95 大江戸活粋(かっき)パレード、3000人の大行進

 臨時速報
 2008年10月26日正午頃、、私は偶然東京日本橋の中央通りを通りかかりました。丁度表題のパレードが行進を開始するところでした。
 これはパンフによれば、日本橋・京橋祭りとも言われ、36回目の由。各種学校、団体が参加、プラスバンドや踊りの正に初めて見た大行進でした。正午から2時間半を掛けた3千人もの大行進で、新日本橋駅から中央通りを京橋駅までの行進でした。
 説明よりも写真をご覧下さい。音楽を伝えられないのが残念です。パレードだけのブログで、陶芸や紅葉は後回しです。













 














                      以上

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2008年10月23日 (木)

NO 95 石皿2枚、T氏の作品、石川さんの個展案内、ラベンダー氏の蘭の花

 絵入り石皿
 NO.94でお知らせした絵のある石皿を紹介します。これは桶川の古道具屋で1969年に買いました.。
 これは昔陶工が手慰みに仕事の傍ら絵を描いたものであろうと推定され、同じ製品として沢山つくられたものでは無いようです。従って稀小品で、現在優品は大層高価なものです。
 幸いなことに、買った店の片隅に、半端物のように置かれており、値も随分安いものでした。この絵で感心するのは海老のヒゲです。4本のヒゲが何等迷うことなくサッと同じ太さで描かれているのに作者の巧みな筆さばきに感心します。 
 径26cm


 絵入り石皿・その2
 これは上と同じ頃千葉県木更津で買いました。
 左にヒビが2箇所あり、右肩に割れを修復した跡があります。然し眺めて鑑賞するには何等支障がありませんから、安いのを幸いに買いました。
 径27cm



 次ぎは
 陶友Tさんの作品です
 変わったアイデアの作風に興味を抱き、掲載をお願いしました。お酒の肴の器でしょうか。お酒が美味しくなりそうです。


 一つを拡大しました。貫入(かんにゅう)が見られます。これは窯の火を止めて冷えるとき、表面の透明ガラス質にヒビが入る現象で、キズではありません。


陶友、石川由起子さんの作品と絵画個展のご案内
 下の作品は小さな作品で、本体は赤粘土、動物は並粘土と拝察します。根気のいる作品ではないでしょうか。これ等作品と、絵画個展を下記の画廊で開催なさいます。荻窪駅の南口真近ですから是非ご覧下さい。



画廊 ギヤラリーれがろ。二階です


ラベンダー氏の蘭の花



 本人の説明文
 このランは、またデンドロビューム(Den.nobile var Dominianum×self)です。
 アルファベットの意味をご紹介しますと、Den.はラン科Dendrobium属
(属というのは分類で、***科のすぐ下位に来る分類用語です)の略号です。
 nobileは、品種の名前です。var というのはvariationの略で、nobileという品種の中にも花の色が違ったり、花の形が少し違う時、varを付けて、その後に区別するための名前が付きます(この花の場合はDominianumという名前が付いています)。
 ですから、この花は、ラン科デンドロビューム属のノビレという品種で、その中でも花の形とか色の違いから、特別にドミニアヌムという名前を貰っていて区別されている、ということです。 ×selfというのは、同じ花の雄蕊と雌蕊を掛け合わせて出来た種から人工的に育てられたものである、という意味です。
 こういう手法で種から大量に生産できますので、価格もお安く、これは花が咲くような親株ですが、1,500円で買えました。

 ちなみにノビレという品種は、現在広く流通しているデンドロビューム交配種の一番最初の親になっている大変重要な原種です。現在の豪華な品種改良されたデンドロと違い、これは花数も少なく地味ではありますが、清楚なところが特長です。


 今回は掲載材料が多く、一方で私の作品の出来上がりが窯の関係でまだありませんので、ご無沙汰ですみません。又お約束の紅葉の写真ですが、其の後作品が増えましたので纏めて後日に掲載いたします。         
        
            杜の鍛冶屋 敬白

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2008年10月20日 (月)

NO 94 馬の目皿、石皿、笠間焼き石皿、ラベンダー氏の蘭の花

 馬の目皿 


 
NO 93で馬の目皿の事を書きました。どんな皿か?興味を持たれた方に報告します。
 この皿は江戸時代後半から瀬戸で多く作られたようです。何故か維新で終焉を向かえています。
 ご覧のように極めて単純なデザインで、大量生産向きのものと思います。江戸も中期になると、平和が貢献し開墾、開田が進み、人口も増えて、日本独自の文化が浮世絵や演劇、住宅、衣類衣装で開花してゆきました。
 この中で庶民の用いる雑器も無垢から模様付きに変わって行ったと思います。
 街道の整備も進み、物流が促進され、産業の発展等経済成長が進んだ筈です。。
 街道の宿場が繁盛し、参勤交代が宿場の繁栄を促進したと推定します。その中で宿屋、飯屋の競争も盛んになり、先ず食器の向上が図られて登場したのが馬の目皿だったのではないでしょうか。
 流行のトップだった宿場から、次第に各地方に浸透していったと思います。
 注文が押し寄せた瀬戸では馬の目のデザインが誠に大量生産に向いており、江戸後期に膨大な量が生産されたと思います。
 それが何故明治維新で途絶えたか?です。
 それは既に述べた印判の普及があったからではないでしょうか。印判は手描きよりも何十倍もの効率をもたらした筈ですし、幕末に既に登場したと言います。
 初期明治の印判は誠に粗雑でしたが、素早く向上が進みました。皮肉なことにその粗雑な初期印判手のものが、印判の中では一番高価なのです。面白いですね。
 ところでこの馬の目は何か意味があるのでしょうか?
 或る方の意見では雲だとされています。雲が雨をもたらし水田を救うからだと言われるのです。米が今と違い経済の全てであった当時としては、その祈りを込めたとされていました。
 私はどうもそんな高邁なものではなく、模様を単純に描くのが目的で、誰かが筆でぐるぐる描いたのが始まりのように思えるのですが。
 TVの「何でも鑑定団」で紹介され話題となったそうです。この皿の値段は目の巻き数や目の個数で大分変わるそうです。
 この皿は昭和40年頃多治見で買いました。ヒビがあり、丸い半端な円がありますが、これは上に重ねて焼いた高台の痕跡です。
 縁の傷も上の皿と重ねてくっつき剥がした痕跡です。その骨董屋には10枚程の馬の目皿が有り、無傷のものも有りましたが、この品が気に入り買ったものです。
 大正以降、馬の目皿は人気が出て、今瀬戸で現代物が大分作られている由で1尺皿が23,000円と広告されています。古い本物の相場は知りません

 江戸期に馬の目皿は、それまで主流であった石皿を追い抜きました。
 石皿の事は続いて書いて参りますが、これなら見たとされる方が多いではないでしょうか。

 石皿 径31cm
 

 馬の目皿にもありますが、重ね焼きの為に小石状のものを皿の上に並べ、その痕跡が必ずあります。
 陶器の皿を何故石皿と言うのか?不思議ではありませんか。
 それは石の皿が古代に現実に使われていた事に関係しています。穀物やドングリの粉砕に石の皿が使用されていました。
 鉄の使用により石臼が出来るようになり、当の石皿は不要になり、同じ形の陶器皿が石皿の名称を引き継ぎしたと思います。
 今は石皿がうどん,そばを作るのに使用されているのはご承知でしょう。
 石皿にも絵や模様の書かれたものがあります。

 模様付き石皿
 益子焼き祭りに行き、そこに骨董屋があり買いました。昭和50年頃で、これは笠間焼きです。歴史の古さは笠間のほうが古いそうです。
 水戸へ行ったとき笠間石皿の織部釉の優品を骨董屋で沢山見せて貰いました。大層高価であった記憶があります。
 残念ながら笠間焼きはこれ1枚しかありません。
 益子も笠間も優れた陶芸家多数を輩出しているのはご承知の通りです。径33cm



 絵のある石皿は次回に掲載します。窯の都合でしばらく作品がお見せできません。ご了解下さい。

 ラベンダー氏の蘭の花
 本人の説明文
 このランは、デンドロビューム         (Den.heterocarpum)の原種です。
 2002年2月11日に購入しました。もう6年以上経過しました。
 一度親株は枯れましたが、高芽が生きていまして、それを育てていましたら、その後はどういう訳か、ピンピンして生きています。
 (高芽といいますのは、親株の茎のてっぺんあたりから、子株が生えてくるものを高芽といいます。高芽は親株から、簡単に取り外すことができ、それを単独で鉢に植えて育てますと親株と同じ高さに成長します。)
 2008年3月19日撮影です。



                     以上

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2008年10月17日 (金)

NO 93 花瓶、2年前の皿、浅草で買った皿、ラベンダー氏の蘭の花、北軽井澤の秋

 花瓶(近作)
 この字は世という字です。
 「世に信あらば栄ゆ」と書いてあります。
 径12cm、高さ13cm



他面、この字は信です


 二年前作った皿
 右下に傷があり、自分で金継ぎしました。絵は型紙を使いましたが、色付けに随分時間が掛かりました。真ん中のデザインを皿一杯に描きこんだほうが面白いと思いますので、何れ作り直したいと思います。
 径20cm。



 浅草で買った皿
 次ぎはNO 69に載せた皿と同じ時に浅草の骨董屋で買った皿です。NO 69の皿に較べて、こちらは随分高価でした。染付けは美しいと思います。五客分揃いです。
 店では江戸時代のものと言いましたが、はたしてどうでしょうか?
 高名な作家のものもたまには買う事もありますが、私の蒐集は、何れ使われて割れて失われてしまうだろうと思うものが多いのです。
 高名な作家のものは桐の箱に入り、何処の家でも大事に保管されますが、大衆の食器は殆どが消えてゆきます。
 殊に大正以前のものは今の印刷ものと違い、手間を掛けた絵が描かれており、次第に貴重品になります。その意味では今は大正期以前の未だ安く放置されているものが、拾いものだと思うのですがどうなのでしょう。それも好きでなくては始まらないことですが。

 何れお目に掛けますが、「馬の目皿」と言う農村で広く使われた皿があり、私の若い頃は骨董屋の店頭によく飾られていました。然し今それを見ることは殆ど有りません。

 柳宗悦(むねよし)の民芸運動は、民衆が作り使った作品の見直しを推進しました。先年韓国へ行きましたら、あちらでも彼の評価が随分高いのに感銘を受けしました。
 益子で生涯土瓶作りで過ごしたお婆さんの土瓶が今大層貴重品になり高価になりました
 私は30才代にお金がありませんので(今でも同じですが)、以来永く気にいったもののみを買ってきました。
 径13.5cm


 ラベンダー氏の蘭の花
 本人の説明文
 
 このランはセロジネ(Coel.Intermedia)というランです。とても育て易いランで、よく花が付きます。また繁殖力も旺盛で、よく増えます。08/02/10撮影です。


 北軽井澤の秋・窓を開ければ
 ベランダに自然に生えた葡萄が生長、日ごとに赤色を増してゆきます。



 濃い赤色はツタウルシ


カエデの色は優しさを


紅葉の場面は次回に継続。
                     以上

 

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2008年10月14日 (火)

NO 92 多色皿、茶碗、コーヒー茶碗,寂林落日、湯の丸の山、ラベンダー氏の蘭の花、大手鞠さんへ返信

多色皿
 これを作ったのは2年前になります。こんなものをお見せして何だか恥ずかしい思いです。前衛的と思ったものですが、自分では失敗物と思っています。
 径19cm


 茶碗
 これも2年前のものです。
 径10.3cm、高さ9cm


コーヒー茶碗
同旧作です。径8cm、高さ9cm




 寂林落日
 近作ですが、どうも落日らしい太陽が描く事が出来ませんでした。難しいものです。
 径18cm、高さ11.5cm




 次ぎは同時に作成した他の作品で、上の作品が白泥を塗り、下が白釉です。違いが殆ど判りません。
 径15cm、高さ10cm



  ラベンダー氏のカトレア
 本人の説明文

 この蘭は、カトレア交配種(Blc.Greenwich 'Elmhurst')で、ヒロタ園芸の特売コーナーで偶然に見つけて購入しました。2,000円でした。グリニッチの最高峰名花が2,000円とは格安でした。
 2008年5月にシース(蕾を保護する袋状のものが蕾と共に葉の間から昇ってきます)付きを買って、早くも7月11日に開花しました。グリーンの花びらの中心に真っ赤な色が映えます。 



 湯の丸の山

 10月12日(日)、長野県の湯の丸高原に行きました。スキー場があり、温泉もあります。「雪山賛歌」が作られた場所と聞いています。
 群馬側から登り、峰の標高2、050mの見晴し岳まで登りましたら、富士山から八ヶ岳、南アルプスから御岳、穂高連峰、双峰の鹿島槍、立山連峰と滅多に晴れない広大な山々が180度全部が見られる幸運に恵まれました。(地図には見晴らし岳としての記載はありません)
 登り道で、石が沢山で転びそうに何度もなりました。来年には歳でもう登れないと思いました。




 北アルプス。凸凹の見える所が穂高連峰です。秋の空が綺麗でした。



右端の山脈は北アルプスの南端。正面遠く 御岳山が霞んでいます。左端の山は八ヶ岳、その右に諏訪湖がある筈です。


 小諸から上田方面の善光寺平と思います。右上の平らな所が美しヶ原。その右が松本市になります



赤いのは蓮華つつじの紅葉です。黄色は唐松です。



 登り道は美しい風景が展開し、写真を沢山撮りました。大勢の人が登っていました。


麓の群馬県吾妻村は紅葉の真っ盛り。



この続きは次回に掲載の予定です。


 大手鞠 様  08年10月14日 杜の鍛冶屋です

 拝復
 コメント拝見させて戴きました。重ねて励ましのお言葉を頂戴し、有難うございました。
 山登りやその他でここ数日を留守いたしました。娘夫婦が「湯の丸高原」へ連れて行って呉れると言ってくれたので、出かけました。あんな高い山と知らずでした。
 好天で紅葉が美しく、疲れも忘れてよくまーあんなに高いところまで登れたものだと呆れました。子供たちは途中で引き返す積りで誘ったようでた。
 未だ体力がゴルフで鍛えて有るのかなと嬉しい思いをしました。しかし、来年はどうか?です。
 智力体力がひどく早く低下しているからです。ブログのお陰で元気で居られる様にも思って励んでおります。
 ご指導よろしくお願いいたします。 敬具

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2008年10月 8日 (水)

NO 91 花瓶 北風、古染付銘々菓子皿、ラベンダー氏のカトレア

花瓶。北風
 NO.88に掲載の製作中の「冬を越す樹々」が完成しました。出来たのを見ると「北風」の方が相応しい名前と思いますので、改めます。
 高さ16cm、径12cm

同別面


 銘々菓子皿
 昭和32(1957)年上野御徒町駅の傍に小さな骨董屋(今は有りません)があり、そこで買いました。箱書きには古染付とありました。縁が丁寧に作られ6箇所にクビレがあります。美しい五客揃いです。
 皿には何かの物語が描かれているようですが、判りません。
 去り行く船と見送りの夫婦、雲の上には旗を立てた迎えらしい籠らしいものがあります。中国の竹取物語らしい話でもあるのかな?と思いたくなります。2枚の絵の違いをご覧下さい。径 17cm


 上記の左皿を拡大


 ラベンダー氏のランの花カトレヤ
 本人の説明文
 このカトレア(Blc.Goldenzelle 'Egg Nog')は、平成9年(1997)5月24日に国際園芸にて、2号鉢(直径6cm)の極小苗を買いました。
 2005年冬に初めて蕾が1つ付きましたが、開花直前に蕾を折ってしまいました。
 2006年12月3日に初花を見ることが出来ました。9年かかってやっと開花です。 
 カトレアで、黄色は弱いと言われていますが、2号鉢からここまで成長するのですから、この品種は強健なのでしょう。このカトレアも気難しくて、その後一度も開花していません。今年も成長したのですが、蕾はまだ確認できません。


                       以上

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2008年10月 5日 (日)

NO 90 暗夜の樹々、多彩花瓶、菓子鉢、蘭の花その他、大手鞠さんへの手紙

08年5月21日に始めて、このブログのアクセス数(訪問回数)が5千回に次第に近づいてきました。右の数字がそれです。この数字に励まされて続けてきたようなものです。感謝しております。

 葉を落とし冬を越す林の樹々。少年時代信州の暗い夜に何か不気なものを感ずる事がありました。
 それを陶芸に持込むのもどうか?と思ったのですが、印象が今でも鮮烈でありましたので、とうとう作ってしまいました。
 しかしこの作品は少し暗すぎるように思います。この手の作品が次回から数個出てきます。ご感想をお待ちします。


多彩花瓶
 
もうそれは飽きたと言われそうな多彩花瓶です。自分では満足出来なくて、何回も作りましたが、未だ駄目と思います
 次回以降多分20日位後の事と思いますが、趣向を変えた多彩作品が出て来ます。懲りず見てください。


菓子鉢2
 新陶友、越 美奈子さんの作品です。取手も焼き物です。柔らかい粘土をどうして取り付けた?とお思いになりませんか。陶芸に慣れた手法と思います。
 濃い部分は美しい緑釉なのですが、フラッシュで撮影のせいか美しく出なくて申し訳なく思います。何時も斬新な作品を拝見し、教えて戴くことが多々あります。この作品も素晴らしく思い、お願いして掲載させて戴きました。

 尚この欄は幅に制限があります。上下は長くても上の花瓶のように収容が可能です。



上記左側を拡大


ラベンダー氏の蘭の花
 本人の説明
 このカトレア(C.loddigesii var coelurea 'Blue Sky')は、1996年10月6日にラン友から、6cmの小さな鉢に植えられた苗を頂きまして、2003年6月15日に初開花しました。
 開花まで7年かかりました。ランで、青い色のものをセルレア(coelurea)と呼んでいますが、これは青というより、ピンクに近いですが、セルレア好きの人が結構沢山います。



次ぎの二つは、杜の鍛冶屋の自宅に咲いた花です。

秋明菊




秋海棠




大手鞠 様

 拝啓。コメントを頂き誠に有難うございました。実は友人から連絡で、9月12日長文のコメントが有るが見たか?と聞いてきました、今日10月6日昼の事です。今まで気付かず誠に失礼をしました。
 長文誠にうれしく何度も読み直しました。昨夜NO.90のブログを掲載しましたご覧のブログはNO.80で大分前のもので、放って置いてまことに済みませんでした。以後気をつけます。
 コメントを下さる方は少なくて淋しい思いをしていました。続けてご覧下さいますよう、ご批評が戴ければ幸甚です。 私は小さな会社を74歳まで経営し、歳を取り会社を売却し、76歳から陶芸を始め楽しい日々を過ごしております。                  敬具                         杜の鍛冶屋

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2008年10月 1日 (水)

NO 89  刷毛目筆立、茶碗、夏盃、ラベンダー氏の蘭の花

 刷毛目筆立
 筆立てのような簡単なものでも、使って見ると案外適当な大きさが気になります。
 先ず高さが常時のペンの高さに合うか?口の広さは?、転ばない重量があるか?など、考えると色々有ります。今まで私は出来損ないの茶碗を使いましたが、不便なので、新しく作ったのが下記の作品です。転ばないように重くしました。
 このような作りを刷毛目(はけめ)と言い、李朝のものによく見られます。赤粘土の乾かぬうちに白泥を刷毛で器の表面にさっと塗り、素焼きの後に透明釉を掛けて本焼きします。
 平均して塗ったつもりが、焼き上げてみると斑(まだら)になり面白くなります。赤粘土でないとこうなりません。
 使いやすい気に入りのものです。
 高さ12.3cm、径12cm


 茶碗
 
この掘り込んだところは黒にするように、釉薬を使いましたが旨く出来ませんでした。また作りなおしたいと思います。



 夏盃
 これも金襴手の先回掲載の盃と同じ都内港区の骨董屋で買いました。買った時期も同じで1970年です。
絵が小さくて判りにくいので2個を拡大します。2個の絵の違いを見てください。






 ラベンダー氏の蘭の花
 本人の説明文

 このカトレア(C.Dolosa'Precious White')は、C.loddigesiiとC.walkerianaの自然交 配種と言われています。自然界で、原種どうしが交雑して、新しい品種が出来ることはよくあるようです。
 我が家では、3年に一回位の間隔で咲きます。毎年は咲いてくれません。気難しいですが、枯れもせず、我が家に居続けております。2006年4月12日撮影。


                   以上

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2008年9月28日 (日)

NO 88 茶碗3個、、金襴盃、ラベンダー氏の蘭の花

 期待した作品が出来悪で割りたい衝動に駆られるかと思うと、期待しないものが、意外に良く出来たということが屡あります。今回の展示作品も期待しなかったものです。

 茶碗①


茶碗②


茶碗③


 金襴盃。
 肉眼では金色なのですが、写真では銅色と金色に写ります。何度も撮り直しましたが私の技量では無理なようです。五客揃いで神谷町の骨董屋で買いました。   1970年と記憶しています。
 このような古い手描き品は、僅かながら画面が違うように作られています。
 小さな写真では判りませんので、拡大したので比較して見てください。






 相当に使われたらしい小さな傷跡がありますが,気になる程ではありません。正月以外には使いません。

 ラベンダー氏の蘭の花
 本人説明文

 このランはパフィオペディラム属のヘンリアナム(Paph.henryanum)という原種です。
今年の夏に購入したときには、既に蕾は付いていまして、その蕾が我が家で開花したものです。2008年9月24日撮影。
 1鉢の中に2つの株があり、その両方に花が付きまし新芽がまだ出ていないので一体来年は、うまく花が咲くのか、心配です。



                     以上                       

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2008年9月26日 (金)

NO 87 製作中の鉢、13代柿右衛門睦揃、萩焼坂高麗左衛門徳利、ラベンダー氏の蘭の花

 製作中の作品です。完成は10月になります。葉が落ちた黒い幹だけの立ち木が、虚空に何とも言えない模様を描きだしているのを見ますと、これ作品にならないか?と思うのです。焼きあがると色も変わりますが、15%ほど縮小されます。
 現在の径16cm、高さ13cm




 
13代・柿右衛門睦揃

 睦揃(むつそろい)とは別称夫婦(みょうと)茶碗の事です。1966年に三越本店で入手。今の当主は14代と思いましたが、よく知りません。
 13代は12代と共に高く評価されています。それは絶えていた濁手(にごしで)の技法を復元したことにあります。「濁し」とは米の研ぎ汁のことで、有田地方の言葉です。単純な白とは違い暖かい透明感がある素地を「濁手」と言います。この技法が何故か徳川時代に絶えていました。それを復元し現在の隆盛を招いたと聞いております。
 その素地のお陰で美しい花鳥が生き生きと描き出されています。あの美しい陶肌は単に白磁だけのものでは無かったのです。その濁手を意識して見て下さい。





 茶碗を伏せたのはこの肌がこうしないと良くご覧になれないからです。図柄の主体がご覧のように瓢箪から取られているのが判ります。

 萩焼宗家11世・坂高麗左衛門さんの徳利です。1974年三越の個展で入手しました。斑点のような面白さが気にいりました。



 ラベンダー氏の蘭の花
 本人の説明文
 このランはポリスタキア属プベスセンス
  (Pol.pubescens)という原種です。
 2004年4月5日撮影。このランは一般の花屋さんでは売られていないため、あまり知られていないのですが、ラン屋さんではとてもポピュラーな品種です。
 一般のランに比べますと、花の上下が逆になっています。
 我が家では、最初素焼き鉢で育てたのですが、全く花が咲きません。
 そこで、プラスチック鉢に変えてみましたら、それからは毎年沢山の花を付けるようになりました。成長旺盛でよく増えます。超強健種です。1997年12月21日購入。



                       以上

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2008年9月21日 (日)

NO 86 製作中の作品、蕎麦猪口・続き、ラベンダー氏の蘭の花

 陶芸を始めて漸く3年半が過ぎました。駆け出しの素人が臆面もなく作品を公開するなど、常識では考えられない事です。
 ご覧の方々も下手な作品に接して呆れられたと思います
 それは或る方から、

 「人に見せなくては進歩が得られません」

 と教えられ、そういうものかと、恥を忍んで始めたのです。確かに人に見られているとの意識を持つと、真剣になるようです。これはあらゆる部門で言えることではないでしょうか?
 意外なことに,僅かな間に見て下さる方が増えて来ました。私の作品だけでは面白くないと思い、お願いして他の方にも出品をお願いし協力して頂きました。
 乏しい骨董の収集品も展示して、購入の場所や、経緯、焼き物についてのささやかな事も書かせて頂きました。そのほうがが面白いとも言われました。
 陶芸教室では様々な作品を皆さんが作られます。日常に使用する食器から始まって、飾り物など人夫々(それぞれ)の個性に従い好きなものが作られて,窯出しは楽しいものです。
 私は何とか先人が作られていないようなものを作りたいと柄にもない事を思っています。多彩鉢はその一つなのですが、中々思うようなものが出来ないで悩んでいます。
 ゴッホやピカソが過去の作品に似せて描いたら、全く価値がないでしょう。作風が新しいところに真価があると思います。

 製作中の壷
 題名・冬を越す樹々(きぎ)
 赤土の壷が半乾きになったら、表面を轆轤(ろくろ)で削り落として作品を薄手にします。白泥を塗り、泥が半乾きになったところで削刀で樹影を彫りました。
 乾き上がったら素焼(800度)して、釉薬を掛けてから本焼(1,200~1,300度)に入ります。 葉の落ちた樹影は黒になる筈なのですが、出来て見ないと判りません。よく出来たらお目にかけます。来月になるでしょう。
 2度焼きますと都度縮み小さくなります。
 現在の径14cm、高さ17cm。15%位縮みます。


 同鉢


 蕎麦猪口・続き
 千葉県木更津の古道具屋で買いました。
 どっしりした量感が何とも気にいりましたし、家紋と思える鳥の図柄は特注品である事を示しています。
 どこかの大名か大地主が纏(まと)めて誂(あつらえ)たと思いました。.家紋一覧表で調べましたが判りませんでした。
 いずれにしてもご大家にあったもの、それがどうした弾みでか私の所に来たのです。刻まれた歴史を思いました。皆様でこの紋章の家をご存知でしたら教えてください。
 縁が波打ちで蕎麦猪口としても美味しく使えますが、猪口の中に入れるよりも、小鉢の類と思います。
 五客揃いです。
 径10.5cm、高さ7cm




 同底 意味不明の作者の署名か?サインマークと言うべきか。


 蕎麦つゆ入れ
 宮崎市で買いました。苗代川焼です。昭和40年はじめの頃です。相当に古いものと思います。重いですから現代の方には向きません。



NO69 で一つの皿が二人で描かれていると述べたところ、写真を見ても判らない。との指摘が有りました。その為に部分拡大して両者の比較を判り易くして見ました。


 皿の左約70%は慣れた筆遣いですが、下部で見るように花と蝶は全く筆が慣れていないのが判ります。


 ラベンダー氏の蘭の花
 こんなにも可憐且美しき花がこの世に存在しているのがオドロキです。
 
 本人説明文
  このランはデンドロビュームです
(Den.Sagimusume)。サギムスメという名前が付いていまして、これは日本人による交配です。2004年2月16日撮影。購入日は控えていないのですが、
我が家にきてから、既に20年以上は経過しています。毎年開花する超強健種です。
 但しこの株も調子に波がありまして、この写真を撮ったあと、何故か機嫌を損ねまして、
勢いがなくなりました。最近ようやく復活の兆しです。
 他のランと違い、調子を崩しても、
枯れる心配はまずありません。この写真は大株になって、花が沢山付きました。こんなに沢山花が咲いたのは初めてです。



                        以上

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2008年9月18日 (木)

NO 85 多彩鉢、蕎麦猪口・続き、ラベンダー氏の蘭の花

 多彩鉢
 前号掲載の多彩植木鉢と同じ窯出しのものです。植木鉢はご承知の通り ①底に穴があることー根腐れ防止の為 ②内壁に釉を掛けないー空気の貫流の為です。
 径14cm、高さ13.5cm


反面


 蕎麦猪口・続き。
 この綺麗な器は京都寺町通りの骨董屋で、前に掲載の鉢と一諸に買いました。
 店主は未使用の品と言い、赤の部分が黄色の土のようなもので覆われていて、帰宅後洗い落としました。蕎麦猪口としても使えますが、なにか勿体無くて自宅でも使用した事はありません。
 これは寧ろ向付けという物ではないかと思います。
 来客膳の主菜の向こう側に置き、小菜、漬物や酢のものなど副菜を入れて置くものだと思います。
 京都というところは買った侭永く使わないで、売って片付けるような物持ちの家庭があるのだと、感心しました。縁が波打ちです。五客揃いで有田焼きで古いと聞きました。裏底に 冨貴長春 の文字があります。
 この前にお見せした馬の器の蓋の真ん中にも、冨貴長春の文字がありました。同じ窯のものなのでしょうか? 美しいものは清清(すがすが)しくて良いですね。

 径8.5cm 高さ6.5cm


 ラベンダー氏の蘭の花
 これは誠に妖艶と言うか妖精というか、誠に悩ましい美しさです。
 以下は本人の説明です。
 このランはパフィオペディラム(通称パフィオ)のサクハクリ(Paph.sukhakulii)という原種です
 以前に同じパフィオの原種のインシグネというのを掲載して頂きました。
 同じように花に袋があります。2003年4月27日撮影。
 1998年2月7日に購入しました。以来我が家では、殆ど毎年開花してくれる強健種です。
 花がビニールのような感じで、この感じが気持ち悪いと思われる方もいらっしゃるようです。


                     
                     以上

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2008年9月17日 (水)

NO 84 多彩鉢に植えたラベンダー氏の作品、蕎麦猪口、多彩印判皿

 多彩鉢とポトス
 私の前号掲載の多彩鉢を鎌倉のラベンダー氏に譲り、彼が何か植えたものを10日位のうちにPCで私に送信し、ブログに掲載と前号でお知らせしました。
 鉢を宅配便で送ったのが9月16日。その鉢に下記のごとく植えつけて写真電送してきたのが翌日の17日。なんとも早い便利な世の中になりました。
 植物名はポトス。花は滅多に咲かないそうです。写真は同一のものを違う方向から夫々撮影です。





 蕎麦猪口。印判物ですが図柄がよく、なかなか精密に出来た逸品です。縁が浅い波打ちで
、縁の内外の模様も細かく出来ています。よく見ないと印判と気付かないほどの作品です。
 印判もここまで進歩したかと思います。多分大層な絵を余程の名人が銅版を根気よく刻んだことでしょう。
 明治末か、大正期のものと思います。これも沼田で買いました。
 残念にも2個しかありません。



 次の猪口は鎌倉で五客揃いで買いました。高価で買うのに逡巡しました。金額は忘れました。
 しかし、これはそれなりの優品と思います。  良い物は持って見ると判ります。骨董品は見るだけでなく、手で感ずる事が必要です。江戸時代のものと思います。



 次は手描きで、平凡な猪口ですが、縁が波打ちで、はてなと思いました。波の向こうに生き物が見えますが何だか判りません。ありふれた物です。



 次に、印判の作品が上記のように出ましたので、1枚だけの色印判の皿が有りますので、ご参考に見てください。
 随分沢山の色を用いていますから、銅版の数もそれだけあった筈です。骨董屋が有れば入り込んだものですが、色印判に出会ったのはこれ一度だけでした。不思議な皿だと思いました。大正時代のものと思います。



                       以上

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2008年9月16日 (火)

NO 83 多彩植木鉢、蕎麦屋と蕎麦猪口(ちょこ)

 

 多彩植木鉢


 
 上下の鉢は向きが違うだけで、全く同じ鉢です。それが何故違うものに見えるのでしょう?それは背景が白と黒の違いで、光が違うものになるからです。
 これは鎌倉在住のラベンダー氏が、あるものを植えて今後の頁に再登場して下さることになっております。
 そうすると多分又違う感じのものになる筈です。
 10日以内に実現すると思いますから楽しみにして下さい。


 蕎麦屋と蕎麦猪口
 昭和50~60年頃、今からだと3~40年位前になるでしょうか。急に蕎麦猪口を集める人が増えた事がありました。
 それまで蕎麦猪口なぞ骨董屋に並ぶものではありませんでした。
 流行の種を撒いた人が居たはずです。
 これ等の猪口は沢山の種類があり、品も多く、優品もあり、手軽に集められ、場所も取らず、大衆の収集品として誠に格好の品だったからではないかと思います。
 それまでこれに注目しないでいた事が不思議なくらいでした。
 実はその頃から蕎麦屋さんが減り、猪口の処分品が市中に出回り始めた事が大きく影響したのでは?と思います。
 当時私は食品を扱う仕事をしていたので、影響があるので蕎麦屋さんがポツポツと廃業するのに気付き、東京中にどれだけ蕎麦屋さんがあるのかを知りたいと思い、職業別の電話帳で調べていました。
 その時の数字は正確には覚えていませんが、1万2千店くらいだったと思います。今は1万店を遥かに切るでしょう。
 何故蕎麦屋さんが減ったか?です。それはコンビ二の激増と各種弁当の提供を安く競っていたからです。 しかも安い蕎麦を汁付きで薬味も付けて、味もしっかりしていました。これではたまらないと思いました。
 蕎麦屋に敵の外食産業も店をどんどん増やしました。
 それはスーパーの進出で、乾物屋、八百屋、肉屋、酒屋、魚屋、豆腐屋、油屋が雪崩を打ってやめたのと同じでした。
 唯一の大衆食堂の蕎麦屋の受難の始りでした。今生き残った蕎麦屋さんは高級志向か競合相手の居ない場所の店だけになりました。牛ドン、居酒屋の台頭も忘れられません。
 私は早くから蕎麦猪口を少し買っていました。それを見てください。
 


 何だ粗末な蕎麦猪口じやーないか、と、お思いですか?
 それほど馬鹿にしたものではないのです。

①印判で明治中期と推定します。理由は後期 ~大正の物に比べて印刷が粗雑です。
 
②器全体を覆う文様は海の波を表しています 

③桜は何かの祝いを表現しています。つまりこれは黄海会戦の海戦勝利で売り出した記念品と思うのですが。

  兵隊が軍隊から解放された時に、特に凱旋(勝って帰る)したときは、故郷へお土産を買って帰ります。そのようなお土産店が軍隊兵舎の前に沢山ありました。
 こういう物は5個単位(正確には五客分)で売られますが残念なことに,よく使用されたか小さな傷が見られますが、幸いにも数は5客分揃っています。
 買った所は群馬県沼田市です。山に囲まれてコンニャクや蕎麦の取れるところです。
 多分海軍の兵隊さんのお土産だったのでは?と推測します。これを買いたくて探しても先ず見つからないでしょう。推測が正しければ113年位前の製品です。希少且貴重品になります。
 次回更に蕎麦猪口の続きをお話しします。
                       以上
 

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2008年9月15日 (月)

NO 82 私の作品、高鶴淳一氏の作品、ラベンダー氏の蘭の花

 剣山用花瓶の続き。試行錯誤

 前回掲載品と同時期に作成、アクセントの工夫を重ねていますが、道は遥かなりを感じます。アクセント部分は横溝の数を多くしています。
 この部分は鉄釉だけで透明釉などは用いていません。

径13cm、高さ14cm

反面


NO80掲載の高鶴淳一氏作品と一緒に買った同氏の作品です。箱書きに淳窯、観音堂焼きと書かれています。
 径24cm、高さ10cm


 
 真上から。



 裏面



 ラベンダー氏の蘭の花
 本人の説明文

 これは、胡蝶蘭の原種ですPhal.stuartianaという品種です。
 03年4月20日撮影。花屋さんで普通に見られる胡蝶蘭とはだいぶ趣が違います。
 一つ一つの花は小さいのですが、沢山花を付けることと、花の形が面白いので、飽きません。


             以上

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2008年9月14日 (日)

NO 81 秋の陽射し、 私の作品、、古九谷、ラベンダー氏のカトレア、庭の百日紅

 厳しい夏の陽射しが僅かながら優しさを加えてきました。9月10日の朝、カーテン越しの陽の光がそんな気にさせました。



 杜の鍛冶屋の作品 剣山用花瓶
 下の作品は9月13日窯から出したものです。陶土は赤土、白釉を掛けたもの。白釉が掛からないところは撥水油を用いました。焼き物は単純に釉薬を掛けただけでは面白さがありません。
 アクセントが必要です。それが難しいのです。そのアクセントで優劣が決まるような気がしています.
 この平凡な作品で満足していません。何回も似た作品で退屈なさるかも知れません。色々と試作を続けてまいります。
 径14cm、高さ13.5cm



上記の反面



 古九谷の鉢
 9月7日に岐阜県の親戚の所へ行きました。そこで下記の古九谷の良品に接しました。
 デジカメしか持たず、撮影補助具なしで、満足な写真ではありません。急遽畳の上で撮りました。
 日本の焼き物は中国や韓国に較べると発達の歴史は遅かったのですが、17世紀はじめからの永い平和のお陰と、オランダの舟が大量に買い付けて呉れたのに支えられて、急速な発展を遂げたと思います。
 古九谷と古伊万里が、つまり日本の陶芸の端緒の作品が収集家の集めることになりました。
 古九谷は古伊万里に較べて50年ほど後のスタートでした。
 古有田と言わないのは伊万里港が大集積地であり、有田で作られたものも、伊万里ものとして欧州へ舟積みされたからでしょうか?
 この前お見せした私の古九谷と、今度の品には共通点が見られました。
 それはここに描かれている紐が似たスタイルであり、同一人により描かれたか?と思わせるものがあります。また裏底に□の中に福の字が書かれている点です。
 これは「角福」と読まれていますが、私の古九谷もこれも同じ角福が書かれています。
 径22cm、高さ16cm



  上より続く。
  私は石川県のいくつかの美l術館に電話して、角福マークは何処の窯のものか?、又古九谷に角福マークを付けたものが有りますか?と尋ねました。
 答えは、角福は昔から多くの窯が用いており、古九谷にも、新しいものにも付けており、特定の窯のものではない事。
 有田焼きの角福を真似た説もあること、などが判り、古九谷と呼ばれる品は1655年に発足して廃窯までの期間に作られたものである事は確かですが、廃窯までの期間が多種の意見で判らないこと。
 その期間後に古九谷を真似て作られたものもあり、本物の古九谷と呼べるものは専門家だけにしか判らない。つまり美l術館で見るしかない。
 また有田で学んで発足,否独自に開発と諸説が有る。また有田から運んだのが古九谷だとの意見を私も新聞で読んだことがある。
 諸説紛々で混乱しますが、それだけ魅l力があるということでしょう。

 ラベンダー氏のカトレア

 本人の説明文
  このカトレア(Bc.Cynthia 'Lilac Gem')は、2003年9月19日に撮影したものです。購入したのが、1996年5月2日で、2003年に初めて咲き、その後は現在まで全く咲きません。咲かないどころか、株が弱って、いま瀕死の 状態です。
 我が家では、どういう訳か、大型のカトレアはよく育つのですが、小型のカトレアは殆ど枯れてしまいます。



 杜の鍛冶屋で8月咲いた百日紅(サルスベリ)
 まだ花が残っています。あまりボリュウムが大きすぎ、来年剪定します。


                    以上

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2008年9月 9日 (火)

NO 80 葡萄皿、松竹梅祝い鉢、高鶴淳一氏の作品、ラベンダー氏の蘭花、我が家の夏水仙

 新陶友 優希さんの作品 葡萄皿
 
葡萄を盛る皿を葡萄の葉と実で表現され、面白い発想と思いました。葡萄の美味しさが増すでしょう。
 幅15cm、長さ25cm


 最近 杜の鍛冶屋 の作品が無いとお小言を頂きそうです。別にサボっている訳ではありません。夏季旅行が重なり、思う作品がなかなか出来ないこと、窯が満杯にならないと火が入らないこと、素焼き釉かけ、本焼きと結構時間が掛かります。

 下記は松竹梅鉢。更に牡丹に蝶と盛り沢山。祝い事用と思います。
 何時ごろのものか判りませんが明治末と行きつけの神谷町の骨董屋さん。明治末でも約100年前。随分慣れた手つきで描かれて豪華版ですが、値を聞いたら予想外に安いことを言いましたので買いました。丁度昭和53年で景気がどん底の時、その為か?
 娘夫婦が昨年家を建てて、飾りものが欲しいと言うのでこの外に数品を加えて贈りました。
 径26cm、高さ12cm


 裏面


 次ぎは高鶴淳一氏の若き日の作品
 この方は福岡県若宮町の山間に窯を擁している大作家です。
 私の40歳頃(1969)、福岡県に商用で行き、訪問先に近くに窯が有りませんか?と聞きました。
 案内されたのが高鶴氏の窯でした。
 若く活気に満ちた好感の持てる魅力的な若者でした。
 そこで私は下記の土瓶と茶碗が気に入り買いました。茶碗は5客揃いです。
 あの若者はその後どうして居るだろう?と思いつつも
美l術年鑑を開いても消息が無く、判らない侭40年の歳月が過ぎ去りました。(美術年鑑に掲載を好まない作家が結構いるのです)
 それが2004年10月7日、日本経済新聞の末尾の文化欄の「私の履歴書」の横に、略1ページ近くを費やして彼の事が大層な作家として、写真入りで詳しく紹介されていたのです。
 驚いた私は貪るようにその記事を読みました
 やはりあの人は只者では無かったのです。
 記事は「古陶追いかけ自然流」との見出しで、化学釉を使わず、草木灰釉を使い、火も薪を使い全く古代からの技法で素晴らしい作品の追求に徹しているとありました。
 奇遇でありましたが別れた後に交流が無く、遥か遠くの存在になっております。
 永い人生の中ではこういう事もあるのです。作家が高名になっても、無名時代のものは余程でないと値が出ません。


 ラベンダー氏の蘭の花
 
説明文
 
 ステノコリネ属のラン(Stenocoryne racemosa)です。 2004年8月1日撮影。
 ランの展示会で見たこのランが気に入り、ラン屋さんから購入しました。ポピュラーなランです。
 ラン展に出品されているランで気に入ったものが欲しくなりますが、実生品(みしょうひん・・・種から育てたもの)の場合は入手不能です。
 ポピュラーなものでしたら、ラン屋さんに有ります。
  出品者は、交配して出来た実生の株を買い求めたり、ご自分で交配したりでどんな花が咲くのか分からないまま、期待して育てます。その中から良く咲いた花を展示に出すことになります。
 交配から開花まで恐らく7~8年はかかるでしょう。
 業界ではラン展で入賞するためには、実生を買えと言われるのですが、実生で駄花(だばな)が咲く場合もありますので、これは賭ですね。
  このランは、原種で、極めて強健で、普通に栽培して全く枯れたことがありません。
 花の形もいかにもランといった趣があり、花つきもよく私が気に入っているランです。

 
 つぎは森の鍛冶屋の庭で数年前から栽培し、漸く今年花をつけて呉れました。庭には3株有りますが咲いたのは2株。名前はインドハマユウのアマクリナム ドロシーハンニバル。長い難しい名ですね。夏水仙とも言うそうでこの方が便利です。
 蕾が幾つもあり、尚咲いて呉れると思います
 背長けは1m



  
                 以上

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2008年9月 6日 (土)

NO 79 古九谷と言われた皿,神谷町の2枚皿、郷之介氏の作品2点、らベンダー氏の蘭の花

 古九谷と言われた皿
 新潟県高田市で買いました。1968年頃です。店主は古九谷と言いましたが、本物かどうかは判りません

 古九谷の始まりは1655年とされています。それは加賀前田家の支藩の大聖寺藩領内の九谷で、白磁鉱脈が発見されたのが契機となり、白磁の焼き物の製作が始められました。
 非常に力強い優品が残されているのですが、何故か75年後の1730年頃突然閉鎖されました。何故閉鎖となったか?大きな謎が残されています。小説にでもなりそうな政治的な何かがあったと考えられます。
 閉鎖までの75年間に製作されたのが古九谷と呼ばれるもので、今あれば珍重されます。
 閉鎖後80年後に違う加賀藩内で窯が築かれて九谷焼きが再興されて現代に続いています。
 次の皿を撮影中、落として割れて8個の破片になりました。古九谷で無くても私の好きなものでしたから残念でした。
 破片で気付いたのは厚さが1mmしかないことで作者の優れた手腕に脱帽でした。陶芸を始めて一番初めに悩むのは薄く作れないことです。はじめは作品が重くて困りました。今も満足に作れません。
 皿は千枚作らないと駄目だそうです。
 破片はセメダインで繋げて撮影しました。
 径13.5cm、高さ4cm



 2枚の皿、下の皿は美しく手間が大層掛かっています。東京神谷町の行きつけの店で買いました。その次の品も同じ店で買いました。1965年頃です。同じ皿が両方共15枚程重ねて積んでありました。
 この様な骨董品がまとめて放出されたのは古くは明治維新で困窮した旧士族が沢山の骨董品を放出したときと、昭和の初期の大不況と、終戦で支配層が崩壊した時がひどかったそうです。終戦のときのひどさは私も見ました。旧大名の華族と一部皇族が気の毒でした。
 美術品の値段は好景気になると無茶苦茶に上がり、不景気には逆現象が起きます。それが極端な値動きを示します。
 この店では買ったものと同じものが夫々15枚くらい並べて積みあげてありました。両方共1枚づつ買いました。翌日10枚ずつまとめて買おうと思い直し、又尋ねたのですがもうありませんで、惜しいことでした。
 栄枯盛衰は世のならい、まとまった売り物が出ることが有るのですね。

 大きさは2枚共同じで、径21.5cm、高さ3.5cm 有田焼きと思います。店主は維新前後のものと言っていました。それでも今からだと140年前のものになります。





 陶友・郷之介氏の作品、2点
 

 奇想天外の作陶に敬意を表します。(杜の鍛冶屋)
 径15cm、高さ22cm

 


 上記の裏面


幅16cm、高さ26cm、

上記裏面


 ラベンダー氏の蘭の花の説明文
 このランはデンドロビューム属の、アメジストグロッサム(Den.amesystoglossum)という原種です。
2005年2月4日撮影。前回のノビル系のデンドロとはだいぶ趣が違います。デンドロビューム属は大変種類が多い大属で、これを集め出したらきりがないです。形態も多種多様です。
 概して、育て方は難しいものが多いと思います



 育てるのに難しいものが大属を成すとは驚きました。一般には逆を成すような気がしますが。人間も男子が育て難く、女子が育て易いとされ、その結果男より女の人口が多いと聞いていますので(杜の鍛冶屋) 以上

ご感想を是非お寄せ下さい。必ずご返事を差し上げます。

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2008年9月 4日 (木)

NO 78 人間国宝 井上万二氏個展開会のためそのご紹介です。                               

 あれは昭和40年頃の事でありました。日本橋高島屋で有田焼き祭りが賑やかに開催されました。
 そこで或る大きな魅力ある壷に遭遇しました。美しい絵が描かれ、どっしりとした貫禄がありました。
 一目でひきつけられて、高価でしたが買い求めました。その作者が井上万二氏でした。それまで私は氏の存在を知りませんでした。未だ有名ではありませんでした
 私は作者に葉書を書き、立派な壷を買わせて貰った旨を伝えました。何日か後に年賀状としてお礼の手紙を頂きました。
 今でこそ巨匠と言われる作家であり、人間国宝としてあまりにも有名な方となりました。しかし買ったときには全く何も知らずで時が過ぎて行きました。
 或るときにご案内を頂き、銀座和光で個展開催のお知らせに接し、それほどの作家になられたことを知り驚きました。
 和光で初めてお目に掛かり、私と同じ歳、同じ月の生まれと知りました。正確には私が13日早く生まれていました。
 それから永い交遊が続きました。昨年11月私は初めて有田を訪問しました。
 感心するのは氏の極めて旺盛な製作意欲と行動力です。
 三越や方々のデパートや外国で個展を毎年何回も開かれているばかりでなく、佐賀大学で陶芸の先生を務め、アメリカの大学で二校の教授までしていますから超人的です。国家褒章も二度受けられたと思います。
 有名な芸術家は多く居ますが、国際的に活躍している方はそう多くは無いでしょう。先年はアメリカの学生を多勢有田へ連れてきて、有田の家庭に分宿させたのですから驚くばかりです。

          個展開催期間
  9月4日~9日まで池袋東武デパート10階で個展を   開催中です。

 氏の作品は白磁が殆どで、正に名人中の名人です。

 製作中の井上万二氏


 以下は東武デパート展示中の3品です。
 白磁緑釉桐彫文壷 径35.5cm、高さ39cm



白磁緑釉牡丹彫文 水指
径20cm 高さ19.5cm


白磁牡丹彫文面取 壷 径29cm 高さ27.5cm
白磁に彫刻のため見難いと思います。


私が買った井上氏の作品は後日掲載します
今回は個展開催のご案内を臨時に掲載しました。
前回予告の掲載は9月7日(日)の予定
です。
                        以上

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2008年9月 2日 (火)

NO 77  酢の物器、西端 正氏の抹茶茶椀、郷之介氏の作品

 これは和式料亭で昔使われた酢の物器です。
 絵も手描きで派手に描かれています。このクビレはなにかと言うと箸置きになるのです。
 箸が転がらず女中さんがお客の落とした割り箸を補充する必要が減ったと思います。具は大抵キュウリに蛸が定番でした。
 器の絵も大きく表現でき宴席が華やかになりました。
 更に宴席で必ず必要な箸置き(焼き物で箸の先端が膳に触れるのを防ぐ小さなもの)の必要が無くなり料亭の繁忙を助けた素晴らしい発明品であったと思います。
 家庭には必要なく、料亭だけのものでした。
 私は三越本店で展覧会を見た帰り、神田駅の近くの骨董屋で偶然店頭に沢山これを並べたのを発見しました。昭和40年代半ばの頃でした。今から約40年前になります。
 その頃は既に和式料亭が衰微しており、結婚式や会合はホテルや、洋式レストランの時代でした。
 どこかの料亭の閉鎖で片つけた物と思いました。家庭では使わないし、美l術的価値も無いので、買い手も無かったのでしょう。大層安い値がついていました。
 この品は多分大正末期から昭和10年頃までによく作られたのではないでしょうか?その後は戦争で作られなかったと思います。
 私は他の美術品には目もくれず、懐かしさで並んでいたこの器全部を買いました。10個ありました。以後40年店頭でこの器を見たこがありません。探しても無いでしょう。それは料亭の日用雑器で割れて消耗してしまったからと思います。
 今日これを読まれた若い方々は多分初めて見た器だったではないでしょうか?
 器にも時代の変化を映した歴史があるということです。


 西端 正(にしはた ただしさんの茶の湯用の抹茶茶碗で、既に掲載済みです。再度ご紹介するのは、前回の写真がよく撮れていないので、改めて撮りなおし、また掲載させて頂きました。
 平成17年9月に三越本店で西端さんの個展があり、そのとき買いました。丹波焼というそうで、赤土が綺麗に出て白釉とよくマッチしています。白釉に僅かの織部釉が見られます。
 私のものとは何ランクも格が違うのがお判りでしょう。


 仲良し ばけちやん
 既に何回も掲載の 陶友 郷之介氏の作品です。
 こんこんと構想が果ても無く浮かび上がるのに感嘆します。


 氏の次回掲載に大作を準備中。またラベンダー氏の蘭の素敵な花も同時に掲載となります。ご期待下さい。
                     以上

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2008年8月31日 (日)

NO 76 京都寺町通りで。ラベンダー氏の蘭の花

 京都御所の東南の角から南に走る寺町通りは、狭い道の両側は骨董屋ばかりが長々と続きます。正に日本一の骨董街と思います。昭和50年頃と記憶していますが、幾つもの店を見ながら私は聊か興奮ぎみでした。
 その密度の高さ、量の膨大さ、目移りする高価な品々等東京ではとても見られない光景でした。骨董好きはそのような店に気軽に入れると楽しい幸福感に浸れるのです。
 何か目ぼしいものは無いかと探して買ったのが次のものでした。旅で持ち帰るのに手頃な大きさでした。店主の話では150年くらい前のものだと言いました。
 当時の150年前は今からだと200年近い昔の物になります。フントかねー?との思いがこみ上げるのですが。

 径18.5cm、高さ7.5cm


 左端縁2箇所に小さな金継ぎ修理がみられます。金継ぎとは漆に金粉を混ぜて焼き物の傷を直すことで、傷でも金継ぎであれば価値は下がらないそうですが、傷の大きさにもよるでしょう。
 私も金継ぎを自分でして、陶器を直したことがありますが、金粉が大層高価で手間も大層掛かり、安物ではしない方がよいでしょう。プロに修理を頼むと当然相当高価になります。
 この品を見ると絵付けに大層丹念な手間をかけて居ることが判ります。波一つも正確に同じ形に描かれて感心してしまいます。優れた画工が居たことは確かです。
 次ぎの3枚は側面の写真です。





次ぎは内面一部拡大です。

 
 次ぎは二重高台です。高台の種類は12種に分類されます。何故高台を二重に作るのか判りませんが、柔らかい粘土で成形すると底がたるむのを防ぐためかと思います。見えない底も入念に描かれています。


 ラベンダー氏の見事な蘭の花
 本人の説明文
 この花はラン科のデンドロビューム(Den.Victory Shuu 'Shogun')です。2005年2月4日に撮影。
 デンドロビュームの育種改良で世界的に高い評価を得ている、山本デンドロビューム園(山本二郎氏経営)で作出されたものです。
 同園ではデンドロの原種でノビレ(Den.nobile)という品種がありますが、これを交配改良して、優れた交配種が数多く作出されています。
 デンドロは日本の環境が適しているせいか、栽培は比 較的容易です。11月頃10度~14度の低温に2週間程当てると花芽がつくと言われています。ですから、関東地方を基準としますと、11月の中旬までは外に出しておけば、自然に低温処理がなされます。



 陶芸作品は今回夏枯れです 以上

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2008年8月30日 (土)

NO 75 ラベンダーさんの花,蓋もの2個、紅白梅茶碗、仙太郎氏の平皿

  ラベンダーさんの説明文
  この花はオサバグサと言います。ケシ科の植物です。2008年7月2日に写しました。場所は、新しく尾瀬国立公園に編入された帝釈山と田代山の間の稜線に咲く花として有名です。
 田代山から、帝釈山に向かう稜線の左右に、行けども行けども切れることがないほど、沢山のオサバグサが見られます。
 見事な群生です。



 蓋もの。07年春の作品です。日常に使い重宝しています。梅干や佃煮入れに手ごろです。
径11cm、高さ11cm 現物は縁の呉須がもっと鮮明に濃いです。


 同蓋もの。
 径11cm、高さ11cm


 紅白梅茶碗。陶芸を始めて1年目くらいで丁度庭の紅白梅が開花したので作りました。
 径7cm。高さ11cm


同上の紅梅部分


 平皿・落花流水
 新しい陶友 仙太郎氏の作品です。赤土に白泥、透明釉と思います。素晴らしい作品です。これより大きく写真を掲載出来ませんで残念です。
 幅12cm、長さ21cm


 平皿・流水残照
 上と同じ皿ですが撮り方でこんなに違います。

                          
                       以上

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2008年8月29日 (金)

NO 74 九谷焼、有田、今衛門、ラベンダーさんの蘭

 九谷焼
 俗に青九谷と言われるもので、吉田屋という古い窯のものと思います。裏の高台の中の□の中に福の字が書かれています。5客揃いで前回の芙蓉手を買ったときに同じ店で買いました。 径15cm、高さ4cm



 有田 今泉今衛門窯の皿です。有田三衛門の一つであまりにも有名です。13代が01年に亡くなり今は14代目となりました。
 有田の三衛門とは柿右衛門、今衛門、源衛門を言い、更に伊万里の太郎衛門を加えると佐賀4衛門になります。
 これらの外に有田からは優秀な作家を多数輩出しています。以上の4家は最も古くから始めた家で、永い伝統で著名で作品価格も高価です。芙蓉手を買った店で買いました。3客揃いでした。品格を感じさせますが、何代目の作品か不明です。
 径15.5cm 高さ3cm



 ラベンダーさんの撮影です。
 本人の説明文
 このランはオノエランといいます。2007年7月7日に焼石岳にて写しました。
 東北地方の高山に多いです。尤も東北地方の高山はどれも標高が2000mあるかないかの低い山が多く、登り易いため、うまく時期が合えば、比較的容易に見つけられます。白い色が非常に目立つ美しいランです。



                 以上

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2008年8月27日 (水)

NO 73 松林の朝日、芙蓉手の焼き物と歴史、

 北軽井澤の朝は空気が良く澄んで、何とも言えない森の景色が見られます。
 これは朝6時太陽の光が差し込んだときのものです。
 この辺一帯は松林です。松は一年に40~50センチ成長します。大木が並び立ち、地面はブルーベリーの群生が見られます。

 同

 夏の間旅をしたり遊んだりで陶芸作品が絶えました。
ここでまた作り始めましたので、何れお見せ出来ると思います。暫くご勘弁下さい。その間に少しのものですが集めたものをお目にかけます。

 芙蓉手と言われている焼き物
 中国万暦年間(1573~1619)に景徳鎮で創始された青花磁器の様式です。
 オランダ東インド会社(VOC)が中国でこの皿を大量に買い上げて欧州へ運び大儲けしました。
 時あたかも明朝末期にあたり、中国々内は混乱により陶器の生産が注文に間に合わず、VOCはこれを伊万里に大量に発注してきました。明製の芙蓉手を手本にして伊万里から大量のこの焼き物が積み出されてゆきました。その皿には東インド会社のマーク VOCが記されていました。
 下の白磁染付けは帝国ホテルの近くの銀座の小さな骨董屋で買いました。今その店はありません。これは小さなものですが美しさに引かれたのです。
 店主の老人の話ではアメリカ大使の夫人がこの手のものを買い集めていると言っていました。
 45年程前のことです。店主の話だと江戸時代の国産ものとの事ですから有田産と思います。唐物(中国産)も時々僅かな取引があるようです。
 径16cm、高さ5cm
 
 芙蓉手皿、神戸市立博物館蔵、里帰りの品
 VOCのマークが入っています。これは多分有田が注文を受けて大量に作り伊万里から舟積されたのではないでしょうか。
 有田で古い廃窯を発掘すると、この手の皿の破片が大量に出るそうです。生産が大きかった事がわかります。
 この皿は日本人が欧州で買い求め里帰りと言えるものです。1690~1700年初頭の作品の由。
 径40cm、高さ6,9cm大皿です。

 
 ここで面白いことに気がつきました。明国滅亡は1644年で、この17世紀の約前半は明の国力の衰微で混乱し、外敵の侵入で悩まされていました。更に秀吉の朝鮮侵犯でも明国は朝鮮救済のために大軍を朝鮮に送り、経済的に行詰まっていました。陶芸も衰微が始まりました。
 秀吉の朝鮮侵犯は1600年直前でした。李三平が有田に連れてこられて白磁鉱脈の発見がその頃だと思います。
 そして日本で本格的に白磁の生産が始まった頃に、丁度VOCが芙蓉手を伊万里に大量発注を始めたと推定されます。
 万暦の焼き物と、明国の衰微と、秀吉の侵犯と、優れた朝鮮陶工の確保と、白磁鉱脈の有田での発見と、VOCの存在と活躍と、有田、伊万里の大発展が歴史の上で有機的に繋がっている事になります。
  歴史って面白いですね。
  このどれもが欠けても、この話は成立しなかった筈で、これを材料にすれば、大スケールの小説が書けそうに思いま
 尚、芙蓉は広辞苑で見ると、花の名、蓮の花の別称、美人の例え、芙蓉峰は富士山の雅称とありますが、皿の真ん中に丸い大きな部分があり、これが革新的な図案として愛された原因と思いますが、中国では蓮の花を芙蓉としていますので、それが命名のもとと思います。
 蓮の花です


 歴史年表を見ていましたら丁度この頃に英国でシェークスピアが活躍していたことを知りました。彼はもっと新しい人と思っていましたから私の無知に驚きました。
  それに、VOCはこの皿を欧州全土で売りさばいた のですから、多分イギリスにも渡り、シェークスピアの家にも有ったかも知れません。
 あの小さな国のオランダが、勇敢にも帆船でアジアに来航し、大きな商売で大成功を収め、相手国も豊かにしたことを思うべきです。商売はかくあるべしと思います                
                以上

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2008年8月23日 (土)

NO 72 焼き物小品2個、馬絵の器、ラベンダーさんのスミレ、北軽の花々

 コーヒー茶碗

 織部抹茶茶碗


 馬絵の器
 35年程前です。今はありませんが松本駅の近くの骨董屋で、5客揃いで買いました。値段も程度にしました。4色の馬が巧みに描かれています。馬好きの方には誠に魅力あるものと思います。



 


ラベンダーさんのスミレ

 本人の説明文
 この写真は、2005年4月18日、高尾山で撮った
「マルバスミレ」という品種です。
  この写真の株は花数も多く、これだけ沢山の花がついた株にはその後お目に かかっていません。東京近郊にあり、手軽に行ける高尾山でも多くの種類のスミレがみられます。

 以下は「杜の鍛冶屋」北軽で道端に咲いていた美しいと思える花を名前も知らずに片端から撮影したものです。
①コスモス


②ノギク(正式名称不明)


③ムラサキハナナ(別名ハナダイコン・ショカツサイ)


④キバナコスモス


⑤同


⑥ブッドレア


⑦フロックス、別名オイラン草


⑧シオン


⑨ユリ、背後クレオメ、手前マリーゴールド


⑩ナスタチューム


⑪フロックス、別名オイラン草


⑫?


⑬ダリア


⑭ダリア


⑮ダリア


⑯青色はアガパンサス、黄色は菊科だが不明


⑰キバナコスモス


⑱同

                                                     以上

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2008年8月18日 (月)

NO 70 植木鉢に植栽、我が家で咲いた蘭、李朝白磁2個

 前回掲載の多彩植木鉢をラベンダーさんに差し上げましたら、下記のように植栽されました。植えたのはシダ類のタマシダの由。よく似合うと思います


 我が家で咲いた蘭
 
今年の冬忘れていたくらい咲かなかった蘭の初咲きがありました。デンドロビュームです




 李朝白磁以下2個は前に書いた沼田市の骨董屋で40年ほど昔に買いました。




 今から600年程前に朝鮮で革命がありました。高麗王朝が倒れ、李成桂が国王となり(1392)新しい国名を朝鮮と名付けました。私達が使う朝鮮と言う国名はそれ以前には無かったのです。この時代を李朝と言い焼き物を李朝陶磁、又は李朝白磁と言い後者が一般的のようです。
 余談ですが日本という国名の使用は何時からかご存知でしょうか?私もよく判らないのですが、どうやら天武天皇以後らしいです。つまり690年くらいかららしいのです。それまではご存知のように幾つもの国名を使っていました。それはPCで(日本の国名)と書いて検索して見てください。
 朝鮮国は明治の日朝合併(1910)まで518年続きました。今年2008年から見ると合併は98年前の事になります。
 不思議なことに、高麗王朝時代にもて囃された青磁が廃れて、白磁の時代がやってきたのです。
 白磁の名品が沢山500年余の間につくられました。それは白磁の持つ気品の高さが買われた結果と思うのですが。
 上に見る2個のものはそんな高級品ではなく、日用雑器の類です。しかし多く作られたものの日用品で使われて、壊れ今では貴重品だと思います。下の形のものは珍しいと思います。 以上
 

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2008年8月 8日 (金)

NO 68 近作茶碗、郷之介氏の作品、カトレアの花

  近作 茶碗  各 径8.5cm、高さ7.5cm



陶友 郷之介氏の作品。ユウモラスと独創性がいっぱい
長さ12cm、幅10cm、高さ7.5cm







長さ10cm、幅9.5cm、高さ7.5cm



 
ラベンダーさんの五番目のカトレア
 下記は作者の説明
 
 このカトレア(Blc.Memoria Roseryn Reisman 'Diana')は、国際園芸(蘭を専門に販売する会社)にて1989年(平成元年)5月2日に購入しました。以来現在まで19年我が家で生き長らえています。
この品種も性質は極めて強健です。秋咲きです季節が移り変わって、暑い夏を過ぎて涼しくなる頃に咲きまので、家の中に置いてじっくり鑑賞が出来ます。この花は、花弁が「濡れたような、潤ったような」質感が肉眼では見えるのですが、写真に撮りますと、この質感がどこかに飛んでしまって、写真では平面的にしか写りません
 花弁が「濡れたような、潤ったような」質感のことを、写真の業界用語で「しずる感(シズル感)、英語sizzleからきている用語です」というのだそうですが、今年の秋にもし咲いたら、何とか「しずる感」が出せるように撮りたいものだと思っています。
 ポジフィルムを使ってみようと思います。


 一部拡大


                        以上

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2008年8月 6日 (水)

NO69 多彩植木鉢、不思議な皿、不思議な爵、見事な蘭

多彩植木鉢
これは前掲の同様な植木鉢
よりも小型です。径19cm、高さ14cm




不思議な皿
 これは大分前ですが浅草で観音様をお詣りした帰り道、何となく裏通りをぶらぶら歩いていましたら、小さな骨董屋があり次の皿を見つけました。
 径14cmで5枚揃っていました。縁も細かい湾曲で慣れた職人が描いたと思われる細かい模様が描かれて蕾のある植物が垢抜けした筆跡の染付けでした。勿論手描きですから5枚は似ているようですが、違いが判ります。
 不思議だというのは蝶と、止まろうとしている花が他の流麗に描かれている物と筆跡が全く異なり、絵として全く劣っていることです。
 弟子か子供が描いたとしか思えないのです。陶芸の社会でも師弟の教育でこんなことが有るのだと思わざるを得ませんでした。
 私の知る限りでは絵付けは一人の人で完成させるのが普通ですから、これを商品として何故売り出されたのか?不思議でなりませんでした。
 
 この皿は何故か大層使い易く毎日のように使って重宝しています。



不思議な爵(しゃく)
 爵とは下の写真で見る器で、青銅器時代
の遺物で本物なら中国で2千年くらい前に作られたことになりますが、写真の材料は鉄ですから更に下った年代のものでしょう。
 酒器だと聞いていますが、蝋燭を立てるような突起物があるので祭器ではないかとも思います。
 本物は国立博物館で見られます。
 私がこれを入手したのはもう40年以上昔のことです。
当時懇意にしていた骨董屋に見せたら、本物だと5百万円位しますと言われて驚きました。40年前の500万円は今なら幾らになるのでしょう。
 鑑定を頼んだことはありませんので真偽の程は判りませんが、滅多に見られるものではなく面白いものだと思って買ったのです。
 買ったところは群馬県の山中の沼田市で、在職中よく行きました。眞田氏の城下町で古い骨董屋があり、行く度に何かを買いました。何故中国で生まれたものが沼田にあったのか?それが不思議で買う意欲が沸いたのです。
 幾ら洗ってもy煤の汚れは落ちません。左右に張り出した両翼の下に赤い絵の具の跡が微かに読み取れます。煤は線香のものかも知れません。
 これは陶芸とは違いますが、私の道楽の一部で掲載
しました。


 ラベンダーさんの蘭の花 説明はご本人。
 次の花は、パフィオペディラム(Paph.insigne)という花です。真ん中に袋がありましてこの袋が虫取りのモウセンゴケのような働きがあると思われる方もおられるのではないか、と思いますが、虫取りの機能はありません。
 西洋ではこの花をレディース・スリッパと呼んでいまして、袋がスリッパの形をしているところから名付けられました。
 この花は、パフィオペディラムの原種でインシグネという品種で、現在沢山作出されているパフィオペディラムの交配種の一番の元の親である重要な原種です。
 日本に自生するクマガイソウとかアツモリソウとも近縁の品種です。


部分拡大


                           以上

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2008年7月27日 (日)

NO66 抹茶茶碗と縄文風花瓶、ラベンダーさんの自宅で咲いた蘭、函館、洞爺の旅

抹茶々椀
高さ11cm、径10cm


 縄文追想
 吉野ヶ里の印象です。×印は縄文集落の柵を表しています。丸い茶色は茅葺の家を、赤い四角は囲炉裏です。囲炉裏を囲んだ一家を追想しました。
高さ19cm、径13cm




ラベンダーさんが自宅で丹精して育てた蘭です。
 バンダの仲間(Ascocentrum miniatum)
 前回00年に咲いてから、5年振りの開花です。なかなか咲いてくれません


函館の町
 ここが五稜郭入口。16世紀に欧州で普及した平城を原型としたそうです。欧州のものは、市民の住居を巻き込んでいたと言います。

 ここから幾ら歩いても変わりない風景で、全容は窺うことも出来ませんでした。

 ペリー来航により、幕府は下田と函館を開港することを条約で取り決めました。下田を離れたぺりーは函館に向かいます。函館は大騒ぎになりました。幕府が詳しい連絡をしなかったからです。
 幕府は別のことを考えていました。それは函館を松前藩から取り上げ、直轄地として北辺の防備の基地とする事でした。
 そうして得た函館に幕府は城を作りました。それが五稜郭でした。
 五稜郭がほかに長野県佐久にも作られたのは忘れられてしまいました。それは維新で不要になり、解体された為です。今再建が進んでいるそうです。
  四稜郭という砦が五稜郭北3kmに出城として作られ保存されています。
 幕府の海軍副総裁・榎本武揚は総裁勝海舟の恭順の姿勢に従うことが出来ず,不満派を率い無傷の幕府軍艦群で函館に向かい、恭順派の旧幕府群と戦い五稜郭を占領します。
 彼は蝦夷地で独立国家の成立を目指したのですが、列国の承認が得られず、維新新政府も当然拒否し、大きく行動を起こし戦いになり、榎本武揚は諦めて新政府軍に降参しました。これを函館戦争と言いました。
 今、武揚死後100年展が函館で開催中です。
 
 元新撰組副長・土方歳三の戦死の地です。今でも女性フアンによる献花が絶えないと、タクシー運転手の弁でした。写真の彼は実に好男子です。



 赤い電車が便利に短間隔で走り、観光に誠に便利でした、啄木は一時ここに住み、見ませんでしたが、一族の墓があり、与謝野晶子の墓もあるそうで意外でした



 「函館の 青柳町こそ悲しけれ 友の恋歌矢車の花啄木の歌をタクシー運転手から教わりました。その青 柳町の坂道を歩きました。

重要文化財、函館公会

中も素敵で素晴らしい明治の建物でした。
このほかに幾つもの古い建物を見ました。


駅前市場です。並ぶ食堂で新鮮廉価なイカソーメン、うに、いくら、を堪能するくらい食べさせて貰いました。また市場でこんな巨大な鮭を初めて見ました。

買いたい、食べたいものが安くいっぱい並んでいました。食いしん坊にはたまりません。しかし赤いものの半分は模型と聞いて感心しました。

洞爺湖畔のサミット会議場だったウインザーホテルに泊まりました。霧で建物が霞んでいました。経営はセコムと聞きました。これも意外な事でした。中国、台湾、韓国の人と思える方々が多くおられました。


                           以上

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2008年7月20日 (日)

NO64  皿と明治の印判

昨年作成の葉型皿2枚と十字3色皿






 次は料治熊太氏の書かれた「明治印判の染付」。
 発行 工芸出版 昭和49年発行

 誰も書こうとしなかった明治の印判と言う、新しく生まれ育った民芸に対して優しい眼差しを注ぎ、収集に乗り出しその紹介を試みた意欲作で、全く新しい分野の開拓者となり、名著となった。
 今となれば誠に尊い貴重本となった。殊に掲載の写真の多さは何とも有り難い。
 私自身この書により、どれだけ啓蒙されたか分からない
 この書により印判陶磁器に対する評価が大きく変わった。
 また印判蒐集の人が増えたと思われる。
 表紙も印判染付陶器の写真である。



  この書の言わんとする所は、焼き物と言えば古九谷、古伊万里が称揚され、身辺にある優れた日用雑器である明治に生まれた印判が全く顧みられないのはおかしいではないか?と言うにある。
 日用に用いるものは永い間に割れて消えてゆく運命にあるが、何年も後には遂に存在が無くなって忘れられてしまうのだ。
 日本の国宝になっている井戸茶碗は400年前に、偶然に日本でその美しさが発見され、大事に保管されているが、作られた韓国では使われて割れて無くなってしまった。
 作られた韓国ではふんだんに有った農民の飯茶碗の美しさを感じ取ることが出来なかった。
 それは浮世絵の素晴らしさに気付かず、有田の輸出陶器の包装紙として、ヨーロッパで賞賛された古事とよく似ている。
 明治の印判もこの本が出るまでは、気の利いた骨董屋に並ぶようなものではなかった。
 買う我々にはありがたいことに、印判が骨董屋に並んでも、兎に角大量に作られたものだけに、値段は極めて安かった。
 昭和の時代は藁葺き屋根の家を無くし、住宅の建て直しが普及し、その家に温存されてきた大きな徳利や、大きな皿、大きな漬物甕(かめ)などが失われてしまった。
 一人宛ての高足付お膳など、余程の家でない限り見ることも出来ない。
 これ等は住宅事情だけでなく、冠婚葬祭が家庭で行われなくなったのが大きく原因している。
 いまに明治~昭和の遺物は大層な貴重品になることが想像され、その意味では今は大きな収集の好機である。
 次は、この書に刺激された私の収集品の一部である

  山水図銅版角皿。31cm四方 40年位前川越で買う。
 
 多文多様印判角皿。40年位前東京港区神谷町骨董屋で。

 
 花鳥図銅版角皿 つい最近近くの古道具屋で



 これらの大きな角皿は平素使用することが無く、冠婚葬祭のために大事に蔵の中に温存され、地主が所有して小作人に必要時に只で貸し出していたものだ。
 現代は殆ど使用されなくなり、改築時不用品として手放す人が多く価格も安いし、優品も多い。温存品で日常使用でないから、多く残った事になった。
 こんな皿に漬物や煮物を沢山盛り並べて宴を開く風景を想像するだけで楽しくなるのだ.出征兵士の壮行会にも使用されただろう。
 これは明治のものだが、古い程印判技l術が幼稚だが値の方は貴重品で高価。
 私はこの角皿に正月沢山の刺身を並べて、子や孫の来宅を歓迎するのだ。

 月に兎図銅版鉢 千葉県木更津で ガラクタ屋と名乗る店で下記2個を買う。面白いものが沢山。40年位前
径22cm


 上下に見るもの明治の印判染付。このような捻り文が多い。海外の文明導入の中で影響をうけたのだろうか?明治も早いうちの作品と思うが。

 径22cm


 下図は岐阜県多治見で購入。捻り文の描き皿。基本的な捻りで当時の印判との共通を見る。印判普及の前と思うと、絵は上手ではないが貴重。大きさが使いやすいので我が家で常用。径21cm



 横浜市港南区で35年位前買う、印判径30cm


 下図は「明治印判の染付」」掲載の写真178~179頁。川越の買い物と同じものが掲載され、鯉の皿は中心部だけが一致しており興味深い。

  「明治印判の染付」178頁。下の角皿が該当。


 「明治印判の染付」179頁。丸皿が該当。

 下図は大正期の印判と推定。完成品に近い。
 現在の通常食器も印判を精巧に作られただけで、印判であることに変わりはないが、印判とは言わないのはご承知の通り。
 径34cm


                           以上

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2008年7月18日 (金)

NO63 近作花瓶と茶碗

 韓国の陶器のことばかり書いたので、近作に移る。
 花瓶 滝 黒い所は岩石。赤粘土をその部分だけに用い、そこに織部釉を用いて黒くした。白い所は流れ落ちる水のつもり。


 
 違う面を下記に掲載



 茶碗二題




                              以上
                             

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2008年7月14日 (月)

NO62  柳 海剛 (りゅうかいごう)とその作品。

 柳 海剛 本名は ユ・ヘガン 柳 根濚 が作品の箱書き署名。
 1894年生~1993年没・99歳
 明治27~平成5年まで生きる。
 18才で高麗青磁の復元を志す。韓国全土を巡りその地の土で試作を継続。遂に現在の柳海剛窯の場所の土が適合することに辿りつく。
 そこに自分の窯を建てたのが1964年で既に70歳になっていた。
 この間に日清、日露の戦いが有り、日本と統合の時代があり、昭和の大戦があり、朝鮮の南北分割、朝鮮戦争があり、研究がよく続いたものである。 健康が幸いしたと思うが、 多分研究が軌道に乗ったのは1955年(朝鮮戦争終結後)以降ではあるまいか?
 青磁は粘土の含有鉄分の適合量でないと発色しないことを知るが、その化学的研究まで本人がしたか否かは分からないが、随分永い歳月を要したのである。
 出来た新青磁は往古の高麗青磁に遜色ない立派なものであった。
 先に書いたように、高麗青磁は約600年前に姿を消した。 何人もの人が日韓を含め復元に挑んだが成功しなかったのだから、偉大な功績であった。
 韓国政府は1960年 「人間文化財」の称号を与えて偉業を讃えた。
 1973年正月、三越日本橋本店で、柳海剛 200点に及ぶ作品展が開かれた。
 偶然にも私はその会場で作品を拝見出来、且つ海剛先生にお眼に掛かることが出来た。
 ご高齢で歩く時に三越の担当者が先生を抱える感じであった記憶が鮮明である。
 次の写真は三越の作品展カタログ。
 作品は高麗青磁象嵌雲鶴文梅瓶
 こうらいせいじ ぞうがん うんかくもん めいびん


 次の写真は海剛窯での仕事風景、右端が海剛先生。
 登り窯。最近は電気窯が使用されるようである。電気だと温度管理が平均的に行き亘り楽で、焼きむらが無い事と、長時間薪をくべる重労働から開放される。
 この為か、焼きむらが有る方が古い作品とされて、価値が高いそうである。



 次は
 高麗青磁象嵌牡丹唐草文壷
 こうらいせじ ぞうがん ぼたん からくさもん こ



 次の作品は白黒写真でカラーでお見せ出来ないのが残念。全体は青磁で、黒い所が辰砂と言い濃い赤。実物はとても美しい。
 高麗青磁辰砂牡丹文梅瓶
 こうらいせいじ しんしゃ ぼたんもん めいびん
 

 彼が99歳で天寿を全うしたとき、韓国政府は慌てたそうである。
 それは政府に海剛作品が皆無で、国立博物館に展示できるものが無く、急いで買いに入ったが、殆どが好事家の所有で手放す人が無く、漸く表紙の梅瓶と同様のもの3品を購入したエピソードを海剛記念館(海剛窯に付属)で聞かされた。
 尚、この時の展覧会での作品には全て、韓国政府輸出認証章(アルミで丸い章)が貼り付けられていたから
もしもこの時の作品を購入されるなら、ご参考にしてください。
 私の韓国旅行は日経旅行が古寺深訪と、海剛窯とその記念館訪問が織り込まれていたので参加する気になりました。                   以上

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2008年7月12日 (土)

NO61 釜山と鉄。韓国の焼き物。

 韓国の旅は釜山空港から始まった。ここから韓国の女性通訳が同行して呉れた。
 釜山が古来より鉄の産地だと聞かされて驚いた。砂鉄が沢山取れたそうである。それで今まで知らなかったものが判ったような気がした。
 対岸の島根県が古来日本の鉄製品の産地であったからだ。中学に入学して歴史の先生が、中学で教える歴史とは、鉄を人類が使うようになってからを学ぶのだと教えられた記憶がある。
 鉄を使用することで、人類の文化が飛躍的に向上した。何時の時代か?朝鮮の製鉄技術が出雲の国に伝えられた。恐らく多くの工人が渡来し新天地を開拓したのだろう
 農業だけの地域に工業が初めて生まれ、経済的な発展に結びついたと想像する。
 嘗て出雲大社で買った説明書に、出雲の国が膨張し日本海沿岸を支配地にして新潟、長野までも傘下に置いたときがあったとしてあり驚いた。
 大社は大古には97mの高い空の上にあった。
 これは故郷釜山の祖霊を拝み、望見する目的と思うが違うだろうか?
 これ以上書くと、脱線になるから焼き物の話に移る。

          韓国の焼き物
 次の本は1976年、東京、京都、福岡の国立博物館で開催された展覧会の説明書で、厚さ15mm、大きさ25cm四方の本である。
 5千年と書いてあるが、新石器時代(紀元前8千年以降)からの土器や石器の展示で始まっている。
  
 上の活字がはっきりしないが、1976年である。

 韓国で黒釉を使った陶器が、西暦前500年の青銅器時代に既に使用されていた事が判っている。近い中国の影響が早く伝わっていたのだろうか?それにしてもどうして日本には全く伝わらなかったのだろう。

 下の作品は更に下った青磁全盛期のもの。

 12世紀中頃。高麗時代。 青磁象嵌雲鶴文梅瓶
(せいじ ぞうがん うんかくもん めいびん)めいびんはばいへい と読むこともある
酒器と書かれている。
 記載のものは全て韓国々宝。息を呑むような素晴らしさである。 高さ42.3cm。

 

 12世紀は今から900年前である。韓国では12世紀中頃に青磁の技術が頂点に達していた。始まりが何時だか不明だが、10世紀終わりに作られたものが発見されている由だが、私は現物を写真でも見ていない。
 この製造は大層難しいものであった。
 12世紀は日本では院政や源義家、平清盛の活躍の頃である、京都が5回大火に見舞われ物情騒然としていた。

 我が国で色付きの陶芸品が出来たのは、今から   400年前の17世紀に入ってからである。500年ものその差はあまりにも大きい。
 青磁は中国で一世紀に既に製作が始まっていた。その目的は珠のような色を人工で作り出したい願望が有ったからとされていた。翡翠(ヒスイ)ような色を望んでいたのではないか。
 唐代(7~9世紀 )の中国青磁は淡いみどりであり、それはそれで誠に美しい。
 奇しくも08年7月13日の今日、日経新聞が「青磁の秘密」と題した2ページに及ぶ美術記事を掲載しており、唐代の古寺で1987年3月、大量の宝物が地下洞窟で発見され、その中に青磁が多くあることが分かった。
 興味ある方は13日の日経朝刊を参照してください。
 当時の青磁は12世紀の高麗青磁の色よりも遥かに淡い緑である。12~13世紀前半の高麗青磁が最高のものではないだろうか。



 次は13世紀前半。高麗時代 
 青磁辰砂彩蓮弁文瓢形注子 (せいじ しんしゃさい れんべんもん ひょうけい ちゅうし)
 高さ32.5cm 


 次は、15世紀 朝鮮王朝時代
 青華白磁梅鳥文壷(せいか はくじ ばいちょうもん こ)

 13世紀の元寇により、朝鮮の国力が大きく消耗された。
 元寇は元が日本を攻めた前後2回の元寇である。朝鮮は既に元の属国だったから、食料、労力、兵力全てを元の言う通りに提供しなくてはならず、数百艘の舟を作らされ、これで朝鮮の山の大木が無くなったと言われた程だった。戦死者も多かった筈だ。
 この困難の中で白磁の原料石が発見され、青磁と白磁が共存で製造されたが、青磁の技術は次第に衰微して行き、1392年以降製作されなくなった。
 16世紀の秀吉の侵攻で優れた陶工が日本に拉致された。
 韓国で発展した白磁の技術がその侭拉致された陶工により白磁原料石鉱脈が有田で発見され、有田、伊万里の大発展に貢献したのである。
 青磁の衰微は白磁に比べて、製造の難ばかりでなく
、白磁のような絵画や文章の書き込みや、色の自由が出来なかった事も原因したと思われる。
 有田には朝鮮陶工「李参平」に感謝した神社がある。
李参平の子孫は今14代で金ヶ江を名乗る。
     
 高さ16.5cm


 次は16世紀、朝鮮王朝時代 
 白磁鉄絵梅竹文壷(はくじ てつえ うめ たけ もん こ)高さ40cm


 陶芸では韓国の方が我が国よりも遥かに永い、歴史を味わって来たことが判る。 
 世界から賞賛された高麗青磁は技術が失われた侭で20世紀の大戦後朝鮮は国が南北に二分され、また朝鮮戦争で国土は荒れ果てた。朝鮮は誠に気の毒な国である。
  その荒れ果てた大地の上で、一人の男が立ち上がった。名前は柳海剛(りゅうかいごう)という。
 彼は失われた高麗青磁を艱難辛苦を乗り越えて、現代に見事復元させたのだ。それは600年の空白を乗り越えた難事であった。
 韓国には優れた人材が居る。この韓国の陶芸の歴史を読むだけで、そう感じられないであろうか?
 造船や半導体、液晶で我が国を抜いたではないか。
 
 次号では高麗青磁復興の物語を書こうと思う。

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2008年7月10日 (木)

NO59 韓国土産と馬上盃

 2005年4月、レンギョウ(韓国の国花)の美しい韓国へ妻と旅行した。行く先々至る所に黄色いレンギョウの花が咲いていた。
 
 ソウルでの事。町の名前は忘れたが、都心の繁華街で骨董屋に入った。
 店主は直ぐ日本人と判ったらしく、流暢な日本語で語りかけてきた。
 聞くと日本統治の時代に小学校で日本語を習ったという。年齢は私よりも10歳ほど若かった。彼は急に思い出したか日本語で歌いだした。

 みんなで学校うれしいな  国民学校一年生
 みんなで勉強たのしいな  国民学校一年生

 これは昭和16年頃それまでの ○○尋常小学校の呼称を国民学校に変更したのだ。戦後に○○小学校に又変えたが。

 彼はこの歌を懐かしそうに、楽しそうに歌った。
 当時私は既に中学生だったが、ラジオがこの歌を屡流したから覚えていたが、異国でこの歌を聞くとはおどろきであり、店主に更に親近感を覚え、胸に熱いものがこみ上げて来た。
 日本と朝鮮、一体何度対立して来た事だろう。彼も日本を憎んだことも有ったに違いないのに!
 狭い店だったが、品物は沢山あり、私は次の物を買った。
 泥で汚れており、帰国後洗っても落ちないから、古墳などに永く埋められていたのではないか?とも考えた。 彫刻は精細で中々見事である。用途はローソク立てと聞いた。蓋が取れるように出来ていた。3頭の動物は何か判らない。

 下は蓋をはずしたもの。


       下図2枚は部分拡大



 旅というものの何と素晴らしいことか!


 馬上盃は難しいと先に述べた。どうやらの物が出来たので2点を掲載。





                             以上

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2008年7月 7日 (月)

NO 58 梅原龍三郎とコーヒー茶碗。お土産。



 これは巨匠梅原龍三郎画伯のバラの絵です。何かの本に掲載されていたのを切り取り、枕上の壁に鋲でとめて、朝夕眺めています。
 情熱の迸り(ほとばしり)出る侭に書き上げたこの絵に感動したからです。
 この絵が今誰のものか、所在は全く私には判りません あるとき、ふとこの感覚をコーヒー茶碗の上に少しでも写し表現できないか?と大それた事を考えて、試作したのが下のコーヒー茶碗です。
 


  勿論あの絵から受ける感じは残念にも殆ど写されておりません。しかし楽しく毎日コーヒーを頂けてありがたいことです。2006年の作品です。

             お土産
         これはエジプトからです。
 お土産は大抵お菓子が多いのですが、時々後に残るものも有りますね。次のものはエジプトから親戚がもたらしたものです。
 底辺8cm四方、高さ7.5cm 小さなものですが、ずしりとした重量感があります。原作は相当の芸l術家のものではないかと思います。







金属でライトの反射が激しいので撮影が旨く出来ません

        南米からもたらされたもの
       これはアルゼンチンからです。



 これは牛皮2枚を重ねた頑丈な作りです。細部までよく作られています。寝室に飾りました。

        次はモスクワからのお土産
  ロシヤのお土産は木彫りの人形が知られています。 大きな人形の中に小さな人形が入り、更にその中に、何重にも人形が入っていました。 孫が幼い頃は、我が家に来ると、必ずこれを分解するのが常で、とうとうみんな壊されて今はありません。



国により、色々な趣向の違いが判って、たのしいものですね。

   中国からは

 これは昭和61年(1986)今からだと22年前、中国へ訪れたときに、娘家族にと買ってきた書。大きな建物で書や骨董品が大量に並べた店でありました。
 「少年老い易く学成り難し・・・・・」あまりにも有名な詩だから解説は省略。
 不思議なことにアメリカへ数度、豪州、ニュウジーランド、欧州、と行きましたが、デンマークの皿(既掲載)があるだけで、残ったものが無いことです。消費物だけを買ったのでしょう。

          杜の鍛冶屋  敬白     以上

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2008年7月 5日 (土)

NO57  鳴門の渦潮、新宿御苑、無名作家の作品

 

 私は鳴門海峡の渦潮を見たことが無い。従って想像の産物である。黒く写っているが、濃い緑である。
 厚い粘土の板を作り、擂粉木(すりこぎ)を握り粘土板の上をぐるぐる回すとこんなものが直ぐに出来上がり、波らしいものも、おまけのように付着してくる。
 掛かった時間は僅かなものだ。
 あるとき、福田平八郎画伯の素晴らしい渦潮の絵を見て感動し、真似しようとして次の作品を作った。その絵は大海原に巨大な穴が渦巻いて居るかのように見えた。



 下図は上からみたもの。25cm四方


勿論福田画伯の絵と比較など出来るようなものではない。
          新宿御苑

 08年6月30日(月)4回目の新宿御苑に行く。


 この前は15年前で、ここは西洋庭園と呼ばれていた。
バラの花が咲き始め、満開になれば壮観だろうと思えた。
           巨樹の幹

 鰐の背中を想像させる激しい幹の起伏が目を奪う。幹の径は150cm位に見えた。
 巨樹が林立し、広い芝原を覆うように囲んでいた。
人は疎ら、アジサイが盛り。好天を約8km程歩く。15年の歳月が樹木をこんなにも巨大に育てるのに驚く。

          無名作家の壷


 東京都港区神谷町は外国公館が多く、大きな会社のビルが並んでいる。
 地下鉄神谷町で降りて、大通りのゆるい坂道を登ると数軒の骨董屋がパラパラと眼につく。そこの或店にこの壷が並んでいた。
 しかしゴツイ相貌からか買う人が居ない。買い手が一年くらい付かなかった。大きさは一抱え程でずっしりとした重さがある。
 その頃私は月に3回ほどこの付近に用事があり、通う傍ら骨董屋を覗くのが楽しみであった。
 店主に何焼きか?聞くと作家ものでしょうと言うだけで作者は不明である。行く度に見るから次第に愛着が沸いて来る。店主は売りたいから盛んに薦める。値も安くなり、とうとう買う羽目になった。
 近づいてよく見ると、釉の流れが何とも美しい。
 1995年頃のことであった。
 最近娘一家が家を建てた。丁度良いからこの壷を持参して床の間に飾って見た。何と実に旨く釣り合うではないか.
 良い買い物をしたと思った。      

     杜の鍛冶屋  敬白         以上


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2008年6月29日 (日)

NO55 花瓶、Mさんの作品、

          近作花瓶

      高さ14cm、幅13cm


      Mさんの力作パッチワーク
① 何とも美しい作品、作るのが大層苦労があったと推定される。これ